おいかけっこ
屋敷に押し入ろうとする謎の集団から逃げるべく、表通りと反対方向の裏庭目掛けて二階の窓から飛び降りたレンリとウル。
「ぃ痛……ったぁっ!?」
『お姉さん、だ、大丈夫?』
「……大丈夫、すっごい痛いけど折れてない! いたた……」
下が石畳やレンガではなく土だったのと、咄嗟に脚部に魔力を流して強化したおかげで、骨折や捻挫などの走れなくなるような怪我は免れていました。
まあ、それでも相当痛かったようですが。
「それより早く、あいつらが来る前に裏口から逃げるよ!」
『う、うんっ』
こうしている今も、建物の反対側から窓が割れる音が聞こえてきています。
このままでは、この裏庭にまで侵入してくるのも時間の問題でしょう。
まるで状況が分からなくとも、あの不気味な連中に捕まったらロクなことにならないであろうと確信できます。
不幸中の幸いと言うべきか、まだ屋敷の全周を包囲されてはいませんでした。
家主であるマールスの研究用に庭の面積がかなり広くとってあるので、裏口側には人数を回していなかったのでしょう。
裏口に面した道を必死で駆け、どうにか囲まれる前に大きな通りに出ることができました。
まるで先程までのことが白昼夢だったかのように、呼び込みをする店屋や足早に歩く通行人など、生気と常識に満ちた光景が広がっています。
『お姉さん、後ろ! 後ろ来てるの!?』
しかし、残念ながら夢ではありません。
後ろを振り返れば、すでに小さく追っ手の姿が見えていました。
レンリたちが逃げるとその異様な雰囲気の集団も大通りに侵入してきて、そこかしこで悲鳴が上がり始めました。
操られている人々には交通ルールも何もありません。
通行人にぶつかって転ばせるくらいならマシなほうで、店屋の店頭に置いてある什器や商品にぶつかって蹴倒し、踏み壊す。中には、馬車の前に飛び出して轢かれて手足があらぬ方向に曲がり、しかし何事もなかったかのように這いずって標的の二人を追う者までいました。
「ツイてる、辻馬車だ! あれで逃げるよ!」
『う、うん!』
もはや振り返る余裕もなく走っていたレンリとウルですが、運良く路上に停車している辻馬車を見つけました(※ちなみに辻馬車とは、複数人が乗って決められた道を走る乗合馬車と違い、個人客を希望の目的地にまで運ぶことを目的とする馬車で多少料金が高め。タクシーとバスのような違い)。
ロクに準備をする間もなく逃げ出してきていましたが、幸いカバンの中に財布は入っています。
レンリとウルは全速力で客席に飛び込み、叫ぶようにして御者に伝えました。
「すまない、なるべく遠くまで止まらずに走らせてくれ!」
「…………」
しかし、御者からの返事はありません。
「早く! 急いでく……れ?」
その時、業を煮やして急かそうとしたレンリが異変に気付きました。
御者は首をぐるりを回すと、客席に座った二人を虚ろな目で捉え……、
「……みツケた……」
「きゃーっ!?」
『ギャーッ!?』
レンリとウルは鋭い悲鳴を上げると、転がり落ちるようにして辻馬車の客席から逃げ出しました。
◆◆◆
『どうにか撒いたみたいなの……』
「鍛えててよかった……」
それからどれほど走ったでしょうか。
人型を模しているだけのウルはともかく、いくら魔力で身体機能を強化できるとはいえ、レンリの持久力には限界が見えてきました。
とはいえ、日頃からの軍での訓練や、いつぞや干し肉を巻きつけて魔物から逃げ回らされたライムとの特訓がなければ、もうとっくに追いつかれていたことでしょう。世の中、どんな経験が役に立つかわからないものです。
現在二人が隠れているのは、どこかの商会の勝手口に放置されていた大きな空き木箱の中。恐らくは商品を取り出して、処分する前に仮置きしていた物でしょう。やけに糸屑が多いのを見るに、服に加工する前の織物でも入っていたのかもしれません。
「でも、いつまでも隠れてるワケにはいかないよね……」
箱の中にいても耳を澄ますと、先程の集団が原因と思われる悲鳴や怒声が小さく聞こえてきます。このまま日が落ちるまで待ってから夜闇に乗じて逃げるというのも一つの手ですが、それまで見つからずに隠れていられるかというと怪しいものがあります。
あるいは、どこかの胡散臭い知り合いのように、見かけた衛兵に保護を求める。あるいは、それこそ騎士団本部に駆け込むというのも一つの手ですが。
「気付いてる? さっきから随分走ったのに、兵の一人も見なかったんだよ」
『今どこにいるかも分からないし、シモンさんの所に行くのも無理そうなの……』
まさか、人々を操っている首謀者が前回獲物を逃がした反省を活かして、今回の獲物を発見すると同時に街のあちこちで傀儡達に暴れさせ、騎士や衛兵を忙殺させることで注意を引き付けているなどとは、この場の彼女達には思いも寄りません。
不可抗力とはいえ、ラック本人の知らないところで彼女達の足を引っ張っていました。
この時点で既に大事件ですし、苦労して集めた手駒が捕らえられて使えなくなるリスクもありますが、事件の首謀者としてはそれでも構わないのでしょう。
本さえ手に入ればもう学都に用はありませんし、この混乱に乗じてならば行方を眩ますのも容易です。
そして、騎士団本部に逃げ込むのも難しい状況でした。
無我夢中で逃げていたせいで、レンリとウルは完全に迷子になっていました。こっそり木箱の隙間から外を見ても、道に見覚えはありません。
唯一覚えがあるモノといえば……、
「そうだ、あそこなら!」
『そ、そうだ、我にいい考えがあるのよ!』
二人同時にそのアイデアを思い付いたようです。その視線の先には学都の中心にそびえ立つ、この街のほぼどこからでも見える聖杖がありました。これならば道が分からなくても充分辿り着けます。
『迷宮に入っちゃえば安全なのよ』
迷宮の中にさえ入れば、そこはもうウルの体内も同然。
仮にそこまで追ってこられたとしても安全は保証されますし、なんなら迷宮の中に住んでいるやたら腕が立つエルフの知人に助けを求めることもできるでしょう。
「この距離だと……走って三、四分ってとこか」
現在地から見える塔の大きさで大体の距離は測れます。
その際の走行ルート次第で所要時間は多少変わってくるでしょうが、レンリは今の体力でもどうにか走りきれる距離だと判断しました。まだ疲れは残っていますが、箱に隠れている間に呼吸も整って、幾分マシな状態になっています。
「よしっ、行くぞ!」
『行くの!』
ここまで来たら、もう全力で走るのみ。
『あっちにもいるの!?』
「そこの角に入って!」
見覚えのない道を必死で進み、進行方向に例の集団らしき者がいれば道を変えて走り、徐々に見覚えのある街並みが近付いてきました。
聖杖前広場にまで来ればもう迷宮は目と鼻の先……ですが、広場に入る一歩手前で。
「くそっ、挟まれた!?」
とうとう、前後を囲まれてしまいました。
前方には十人、後方には二十人ほど。
しかも、どんどんと人数が増えて来ているようです。
こうなっては、まともな手段では突破できません。
仮に武器や魔法で攻撃しても、数の暴力で押し潰されてしまうでしょう。
レンリはウルと視線を合わせ、深い覚悟を感じさせる悲壮な表情を浮かべると……。
「くっ、仕方ない。ここは任せる、先に行く!」
『そんな!? お姉さん、我の身代わりに……ん? ええと、我の聞き間違いかしら?』
「ここは任せた。ウル君が襲われている間に私は逃げる」
ウルにとっては残念なことに、聞き間違いではなかったようです。数瞬前の覚悟を浮かべたっぽい表情は、自己犠牲ではなく仲間を囮として遣い潰すためだったのでしょう。
「だって、ウル君はその身体が壊れても再生できるんだろ。だったらキミを囮にして私が生き延びるのが合理的というものじゃないか!?」
『こ、この人、やっぱり性根が腐ってるの!? こういう時は年上が小さい子を庇うものじゃないかしら!』
「あっコラ、背中を押すのはズルいぞ!?」
『そっちこそ足を引っ掛けて転ばせようとしたでしょ!?』
なんということでしょう。
こんな非常時にも関わらず、二人はその場で仲間割れを始めてしまったのです。




