お菓子の国の冒険②
口に入れるまでは不思議と溶けないアイスクリームの実が生る森。
クリームの白に真っ赤な苺が目にも鮮やかなショートケーキの丘。
香ばしいビスケットの床が敷き詰められた、豪華絢爛なお菓子の城。
どこを見渡しても夢のような、しかし夢ではない現実の光景が広がっています。レンリ達と別行動中の皆はそんなメルヘンチックな空間を、楽しくつまみ食いしながら探検していました。
『これ、どうなってるんです? 木にくっ付いてたカブト虫がチョコで出来てるんですけど……どう見ても生きてますね』
『くすくすくす。こちらの小鳥さんは飴細工みたいですわね。透き通っていて綺麗です』
『理解不能。原理不明。仕組みはまったく分からないけど、ここの動植物は本当に全部お菓子みたいだね。ほら、あっちにグミのトゲアリトゲナシトゲトゲがいるよ』
神造迷宮もそれぞれハチャメチャな世界ではありますが、常識外れの度合いでいったらこちらのほうが上かもしれません。初めてお菓子の国を訪れたモモやネムやヨミは興味深くあちこちを見てはその度に驚いています。
一方、迷宮都市在住で、この場所にも何度か訪れたことのあるウルとヒナは比較的慣れた様子です。現在は別行動中のゴゴも、きっとレンリ達にあれこれ教えていることでしょう。
『ふっふっふ、いきなり甘味から行くのは素人なのよ。通はまず塩味のやつを確保して飽きが来ないようにするの。あっ、ちょうどポテトチップスの蝶が飛んでるの! あの群れはコンソメ味ね。のり塩とサワークリームオニオンのもどこかにいないかしら?』
『飲み物が欲しかったら東の方角に色んな味の小さい滝が集まってる穴場があるわよ。知ってる人はドリンクバーの滝って呼んでるんだけど、たまに色はそのまま味が変わってて麦茶と思ったら麵つゆだったりするから、一気に飲む前に軽く舐めて味見するのをオススメするわ……』
このように常連ならではの的確な意見が出てきます。
甘い物ばかりで舌が飽きないよう、お菓子の国には塩味の食べ物や無糖の飲み物も充実しているのです。焼きたてアツアツの醤油せんべいや揚げたてのフライドポテトが、そこらの地面に開いた穴からモリモリ湧き出してくる光景はなかなか衝撃的ですが食べても害はないので多分、恐らく、きっと大丈夫。
このように興味深いあれこれが山のようにありました。
全部の味を楽しもうと思ったら何十日もかかりますし、その間にも常に新しいお菓子が増え続けています。期間限定でしか味わえないお菓子生物が登場したりもするので、何度訪れても毎回新鮮な驚きがあるのです。
「……あうぅ……」
まあ、今のルカには全部が目の毒なわけですが。
『まま、おなかいっぱい?』
「う、うん……今、お腹いっぱい、だから……」
もちろん本当はお腹ペコペコです。
慣れない嘘を吐いてまで余計なカロリーを摂らないよう我慢していますが、その克己心も果たしていつまで保つことやら。ここに来た当初はそうでもなかったのに、視覚および嗅覚からの刺激によって食欲は大いに刺激されています。
惑星をも絞め潰せるであろう腹筋でお腹に力を入れ続けていなければ、最早いつお腹が鳴っても不思議はありません。
ちなみに他の皆にダイエットしていることは伝えていません。
もし言ったら、良識派の何人かはルカに遠慮して存分に楽しめなくなってしまうでしょう。ダイエットはあくまでルカ一人の問題。皆に後ろめたさを押し付けるような真似はしたくありませんでした。
「ただいま」
『ライムお姉さん、姿を見ないと思ったらどこに行ってた……あ、言わなくても大丈夫なの。一目瞭然にも程があるのよ』
ルカがそんな我慢をしていることなど露知らず、ライムが海からイキの良いシロナガスクジラを獲ってきました。正しくは、甘いシロップの海を泳いでいたブリオッシュ生地のシロナガスクジラですが。
洋酒入りのシロップにブリオッシュを浸したサバランというお菓子がありますが、まさにその巨大化バージョン。全長およそ三十メートル、総重量はおよそ二百トンといったところでしょうか。ライムはその巨大なクジラを両手で持ち上げながら、海岸線から何百メートルも運んできたようです。
「ん。遠慮は無用」
ライムは気前よく皆にもクジラを振る舞ってくれるようです。
これほどの大物が獲れることはお菓子の国でも滅多にないため、遠目から見て興味を持った他の入場客もわらわらと集まってきています。流石にレンリがいない状況で残さず食べ切るのは難しいので、人が増える分にはむしろ好都合でしょう。
「じゃ、俺が切り分けるから欲しい人並んでくれ」
お菓子の国には道端のあちこちに大きな食器棚が置かれており、中には常に清潔な食器が補充されています。率先して取り分ける係を引き受けたルグは、まるで長剣のような巨大サイズのケーキナイフを手に取ると、並んだ人々のリクエストに応じた箇所をずんばらりんと次々捌いていきました。
「……ごく」
噛み締めれば染み込んだシロップがじゅわっと溢れてきます。
お菓子の国を囲むシロップの海は海域によって味が違うらしく、その中を悠々と泳ぎまわっていたクジラは、頭はラム風味、尾びれはブランデー、お腹の中はオレンジリキュールなど部位によって風味に差があるようで。
甘い味で舌が疲れたら食器棚からコップを持ち出して、コーヒーや紅茶の川で味覚をリセット。おかげで意外なほど沢山の量をペロッと食べられてしまいます。
そんな中、必死に歯を食いしばって耐えていたルカですが。
「ふぅ、これで行き渡ったかな? 普通の剣とは勝手が違うけど、これはこれで良い修業に……あれ、ルカ。まだ取りに来てなかったよな?」
「あ、ルグくん、その……実は、お腹がいっぱいで……」
「満腹って、たしかルカ最初から全然……ああ、なるほど。悪い、気が利かなかったな」
「う、ううんっ……ルグくんが、謝ることじゃ……わたしが、勝手に」
流石によく見ているようで、ルグは彼女がダイエットのため甘味を我慢していることに気付いたようです。それを仲間に言わなかった理由にまで察しが付いたのでしょう。
このままでは彼がルカの節制に付き合って食べ控えること必至。
頑張って我慢している前で無神経な真似をしてしまったとルグは反省していましたが、ルカも自分が勝手にやっていることで彼にそんな気持ちを抱かせたくはありません。そんな思いをさせるくらいなら……。
「……食べる、よ」
「え、いいのか?」
「うん……大丈夫、今日だけ……今日だけ、だから」
ルグにまで我慢させるくらいなら、今日だけは我慢を緩めて英気を養い、また明日からダイエットを頑張ろう。なんなら苦手な運動も(常識的な範囲で)頑張ろう。そんな決意と共に、ルカは新しく切り分けてもらったクジラ・サバランにフォークを突き立てると、口いっぱいに頬張りました。
「……おいしい」
背徳感は最高のスパイス。
それまで長く、強く耐えていたからこそ、その味わいは何倍にもなります。
ルカは自分の中の何かがガラガラと音を立てて崩れる音を聞いたような気がしました。




