シモンvs流転法
舞台がいきなり爆発した。
観客がそう錯覚するのも無理はありません。
耳をつんざく轟音。
闘技場全体が震えるほどの振動。
四方八方に散らばった舞台の石片。
そして、もうもうと立ち込める土煙。
あまりに非常識な光景に多くの観客の理解が追いついていない、あるいは猟奇的とすら言える姿を理解することを無意識のうちに拒んでいる。そんな現実逃避にも似た努力は、しかい土煙が次第に晴れてハッキリと選手の様子が見えるようになるまでのこと。
まず人々が目にしたのはガルド。
あちこち血まみれの姿ですが、こちらはまぁいいでしょう。
もう一人、シモンの状態が問題でした。
石製のリング中央が大きく吹き飛び、その下の露出した地面にピンと突き立っている。人間に対して「立つ」ならまだしも「突き立つ」という表現が使われることはそうそうありません。
観客達も最初はシモンが自分の足で立っていると誤解していました。ですが、土煙が晴れて姿をハッキリ直視したのなら、最早見間違いを続けることもできません。
シモンは確かに立っていました。
ただし、上下が普通の逆。
頭が下で足が上の状態で。
頭部の全てと肩、胸あたりまでが深々と土中にめり込んで、それこそ地面に打ち込まれた杭のように突き立っていたのです。
「……やべぇな。ちと、やりすぎたか?」
観客席から無数の悲鳴が聞こえてくるにつれ、ガルドもそんな風に呟きました。見ればシモンのファンと思しき女性の一団がショックのあまり次々と白目をむいて倒れ、場内はちょっとしたパニック状態です。
とはいえ、ガルドとしても先程はまるで手加減できる状況ではありませんでした。速さも技も昨年までのシモンとは桁違い。確実に一撃で仕留めねば押し負けるという焦りが手加減を許さなかったのでしょう。
しかし、これでシモンが死んでいたら本末転倒。
ガルドは失格負けとなり、決勝戦はまさかの勝者不在という結末に……。
「危ない危ない! 死ぬかと思ったぞ!」
そんな危惧は、逆立ちのまま頭を土の中から引っこ抜いて、元気に飛び出してきたシモンの声でかき消されることとなりましたが。観客席は彼の無事を喜ぶ歓声に包まれ、リングのすぐ手前にまで来ていた担架を持った医療班も慌てて引き返していきます。
「なんとも凄まじい投げであった。流石はガルド殿」
「おう、無事で何よりだぜ。つーか、何で無事なん……いや、言うほど無事でもねぇのか?」
わざわざ親切に教えることはしませんが、シモンが無事だったのは剣に蓄えられていたガルガリオン由来の魔力のおかげ。投げられる瞬間、最早逃げるのは不可能と悟ったシモンは、頭部を中心とした肉体の防護に剣の残魔力を全て費やし、辛うじて耐え切ることができたのです。
しかし、どうにか耐えたとはいえシモンの頭からは血がどろりと流れ出し、せっかくの男前がすっかり台無しです。普通ならこの負傷だけでも勝負ありとなっても不思議ではありません。
「では、続きを始める前に一つ芸を披露しよう」
戦いを続行するのが困難な、本来であれば立っていられるのも不思議なほどの重傷。けれども今のシモンにとっては、これくらいは大した問題ではありません。
抜いたままの剣を自らの頭上にかざすとあら不思議。
つい一秒前まで真っ赤な血にまみれていたシモンの顔が、元通りのハンサム顔に戻っているではありませんか。もちろん隠し持っていたタオルなどで素早く血を拭ったなどという話ではなく、出血の元となっていた負傷もまるで見当たりません。
「んん? 治癒の魔法……じゃあねえよな? 怪我を治す魔法使う奴は結構知ってるけどよ、なんか感じが違ったぜ?」
「然様。今のは『ダメージ』の概念を斬って怪我をなかったことにしたのだ。まあ俺も感覚でやっているので具体的な説明を求められたら難しいのだが」
「おう、全然分からん……が、要はまだまだケンカの続きができるってことでいいんだよな?」
「うむ、まだまだ存分に試合おうぞ!」
両者共にまだまだ意気軒高。
見せていない技の引き出しもたっぷりあります。
休憩の間に幾らか体力が回復した二人は、先程までにも増して勢いよく激突しました。
◆◆◆
流転法。
ガルドの強さの根幹となる技術です。
昨年、初めて人前で披露した際、ガルド本人はほんの思いつきのように言っていましたが、その実態は長年の鍛錬と実戦の果てに開眼した極意の類。
その要諦は力の流れの把握と操作。
類似の技術は多くの格闘流派にも存在しますが、徒手による打撃のみならず刃物による斬撃や刺突の勢いまでをも流しきって無力化できるのは、ガルドの才能と経験あってこその芸当でしょう。
シモンやライムもある程度近い芸当はできるようになりましたが、力の受け流しにおいてはまだまだガルドに一歩及びません。しかも、その技術は一年の修練を経て更なる高みへと練り上げられていました。
「……流転法。そういえばその名はライムが付けたのだったか」
「おう、なかなか気に入ってるぜ」
斬撃を手のひらで受けて、ピタリと止める。
ガルドの皮膚には傷の一つも生じていません。
剣に充填されていた魔力を使い切り、シモンの身体強化の度合いが先程までより低下している点を加味しても、凄まじい技量には違いありません。
シモンは続けて腕、足、胴、肩などを斬りつけますが、いずれも結果は同じ。斬撃の威力を流され切って完全に無効化されてしまっています。
先程までの超強化状態のシモンの高速斬撃に耐えきったのも、基本的には同じ技術の応用でしょう。速度や力が一定以上になると完全に受け流しきるのは難しくなるようですが、それでも大幅に威力を減ずることはできる。
あちこちの皮膚がズタズタに切り裂かれたせいで派手に出血して見えますが、皮膚より下の筋肉まで届いた刃はごく僅か。実際のダメージや運動能力への影響は見た目の印象ほどではないはずです。
「っと、また空振りか。ほれほれ、怖くねぇからもっと寄ってきな」
「はっはっは、悪いが御免被る。一撃で意識を飛ばされては怪我を治すも何もないのでな」
仕切り直してからシモンは間合いを広く取り、回避優先の消極的とも言える戦法に切り替えていました。剣に充填していた魔力を使い切ったせいもありますが、それ以上にガルドの異常な攻撃力を警戒してのこと。
流転法は守りのみの技にあらず。
受け流した力を体内で循環させ、自らの技に乗せることで独力では得難い破壊力を生む攻防一体の奥義でもあるのです。先程、シモンを地面に突き刺した強烈な投げも、自らが受けた無数の斬撃の力を上乗せしたからこそあれほどの馬鹿げた威力だったのでしょう。
迂闊な攻撃はガルドに無効化されるばかりか、攻撃力の底上げという利を与えるばかり。ある意味ではシモンの愛剣と同じことを、人体で以て技術によって実現しているようなものかもしれません。
その類似性。
そこに逆転のヒントがありました。
「……とはいえ、このまま手をこまねいていても勝機はなし。そろそろ勝負に出る頃合いか」
「おっ、ようやくやる気になりやがったか?」
シモンの策はそう複雑なものではありません。
まずは渾身の力を込めてガルドに一撃を入れる。しかし、これは高確率で無効化されるか、せいぜい皮膚を浅く斬るだけに終わるでしょう。
直後、全力の一撃を放って隙が生じたシモンに対し、受け流した力を乗せたガルドの反撃が来る。拳か蹴りかそれ以外かは分かりませんが、彼ほどの達人がその好機を見逃すことなどないはずです。
超強化の恩恵が失われた今、シモンが喰らえば今度こそ一撃で意識を断つか場外に弾き飛ばされるか、いずれにせよ確実に試合の趨勢を決める威力が秘められた攻撃が来るに違いありません。
だからこそ、そこにシモンの勝機がある。
その一撃必倒の攻撃を愛剣で受け、威力を奪う。
そして、その衝撃力を変換した魔力で再びの超強化を発動。
それで普通に斬撃を加えるだけでは試合序盤の展開の焼き直しですが、そこは前試合のガルドとルグとの準決勝に打開するヒントがありました。地面の『摩擦』を斬って安定を奪えば、恐らくほんの数秒とはいえ流転法の使用に障りが出るはず。力を流されなければ、場外まで蹴り飛ばすなり気絶させるなりも可能でしょう。
「参る!」
まず予定通りに渾身の縦斬り。
ガルドは開いた左手を伸ばして受けきりました。
同時に強力な一撃を放ったシモンに僅かな硬直が生じます。
ここまでは予定通り。
「……、っらぁ!」
左手で受けた威力が腕、肩、胴を伝わって身体の反対側へ。胴を通じて肩、腕、右手と伝達されてきた力が、腹を狙って放たれた拳に乗ってシモンへと向かいます。
喰らえば恐らく内臓の損傷は免れない威力。
意識を保てなければ『ダメージ』を斬っての回復も不可能です。
しかし最初から覚悟のあったシモンは、拳が腹に触れる直前でどうにか剣を引き戻しました。こうして作戦通りに剣で拳を受けることに成功……、
「いや、こりゃ違うな」
「な!?」
しませんでした。
作戦は成功しませんでした。
ガルドが放ったボディブローは、刀身に触れる直前で上向きに方向転換。
ほとんど直角に軌道を変えるという荒技ゆえ、そのままボディブローとして打ち込むのに比べたら何割か威力が減じてしまったようですが、それで十分。完全にシモンの虚を突く形となったアッパーカットは彼のアゴを完璧に捉え、見事にダウンを奪ってのけたのです。
「お前さんの狙いを読んでたわけじゃあないんだけどよ、まあ、アレだ。このまま腹を打ったら何かがヤバそうだって勘だな。勘」
ガルドが読み勝ったというよりは、勘の精度の差。
数え切れない場数を乗り越えて磨かれた理屈を超えた直感力。こればかりは年若いシモンではまだまだ敵わなかったということなのでしょう。
アゴを打ち抜かれたシモンは、脳震盪で意識が朦朧としたまま「大」の字の格好で倒れています。左手に握っている剣も含めると「犬」の字かもしれませんが。
形のないモノを斬るには高い集中力を要します。気力を振り絞ってなんとか意識を繋ぎ止めてはいるものの、これでは『ダメージ』を斬って回復するのも望み薄。万に一つ立ち上がれたとしても、シモン一人だけの力ではここからの逆転の目は皆無でしょう。
(……起き……シ……)
そう、シモン一人の力では勝ち目がない。
それは間違いありません。
ならば、一人ではなかったらどうでしょうか?
「この、声は……?」
(諦め……ないで……立ち……上が……)
未だ意識定かならぬシモンの耳に、どこからともなく彼を励ます声が聞こえてきました。




