無尽斬撃空間
ついに始まった決勝戦。
この戦い、実はシモンに有利となる要素が一つありました。
「すまぬがウォーミングアップは無しだ。最初から出し惜しみ抜きで行かせてもらうぞ」
一定以上の使い手であれば、戦闘時に体内の魔力を賦活させてその肉体を強化して戦います。無論、シモンやガルドもその例外ではありません。
彼らほどのレベルであれば、いちいち「どこそこを強化しよう」と意識するまでもないでしょう。ほとんど呼吸と同じくらい自然かつ半ば無意識に、運動能力や耐久力や思考速度や五感の鋭敏さ、あるいはそれ以外の要素までをも、平常時とは桁違いに強めることが可能です。
身体強化術の習得そのものは数ある魔法の中でも格段に容易ゆえ、使い手は決して少なくありません。普段から肉体労働に従事している者の中には、特に誰かに教えを受けるまでもなく、何ならそれが魔法の一種であるという自覚すらなく自己流で習得している者すらいるほどです。
が、習得難度の低さは決して底の浅さを意味しません。
身体強化を「使える」と「使いこなせる」との間には非常に大きな差がありますし、「使いこなせる」と「極める」との距離は更に遠大なものとなるでしょう。
素手の一撃で容易く金属塊を粉砕する。
素肌で刃物や肉食生物の爪牙を受け止める。
そんな離れ業が可能なのは、数多いる身体強化術の使い手の中でもごくごく一部。シモンもガルドも、その極めて限られた少数。術を極めたと言って差し支えない達人ではありますが……。
「八、いや七割ほどか? 待ち時間に多少は散ってしまったが」
「あん? なんだ、その数字は」
ガルドの問いにシモンは言葉以外のもので答えました。
シモンが手にした愛剣に意識を集中させるや否や、まるで暴風雨の如き魔力の奔流が舞台上に生じたのです。暴風の勢いは幾らか減じつつも観客席にまで届き、見物客が慌てて服や髪などを押さえています。
風を操る魔法などではありません。
これはあくまでシモンが身体強化をした際に僅かに漏れ出た魔力の余波。余波だけで大きな風が吹き荒れるほどの、常識外れの身体強化術を使った結果です。これでは「極めた」という表現ですらも生易しい。
「では、参る」
瞬間、神域の速さを我が物としたシモンが、幾百幾千もの残像を舞台上に生じさせながらガルドの前後左右および上方の全方位から突撃を仕掛けました。
◆◆◆
シモンにとって有利な材料が手に入ったのは、先の準決勝。
対ガルガリオン戦の最終盤でのことでした。
喰らえば宇宙の彼方にまで殴り飛ばされたであろう巨拳の衝撃を愛剣の特性を以て凌ぎ切り、どうにか無事に勝利を収めたわけです……が、その際に衝撃力から変換された膨大な魔力は、使われることなくそのまま試合後も残っていたのです。
「ははっ、流石はガルガリオン殿。まともに喰らっていたら今頃どうなっていたことやら」
より正確には準決勝の二試合目および試合間のインターバルで、剣に充填された魔力のうち三割ほどは自然に散ってしまいましたが、残りの七割だけでも凄まじい魔力に違いありません。
結果、シモンの独力では成し得ないほどの超強化を実現。毎秒三十を超える全方位からの斬撃の嵐をガルドに向けて繰り出していました。
無論、殺すつもりはありません。
……ありませんが、シモンは観客席にネムがいることを知っています。
彼女の能力がどの程度の『復元』を可能とするのかは未だ不明瞭な部分もありますが、彼自身も半身が挽き肉同然の状態から元通りにしてもらった経験がありました。今のネムの能力は恐らく当時よりも更に成長しているはずです。
大会のルールに抵触する恐れがあるので一時的にでも死なせるのは不味いが、とりあえず息があるなら少しくらいやりすぎても大丈夫だろう、と。大雑把な見積もりでかなり容赦のない攻撃を加えていました。
容赦のない攻撃をしているはず、なのですが。
事実、ガルドの皮膚や衣服にはあっという間に数え切れないほどの切創が生じ、上半身など血まみれの状態です。流石のガルドにとっても今のシモンは想定以上のスピードだったらしく、明らかに反応が追いついていません。
「おっ、お、おおおおっ!? うお、危ねっ!」
シモンが即死しかねない首などの急所をあえて外しているとはいえ、それでも太い血管の通っている急所を辛うじて守るので精いっぱい。一度でも守り損なったら大量出血による失神で勝負あり。普通に考えたら敗北寸前の劣勢のはずなのです。
「なん、だ?」
休まず動いて攻撃を続けながらも、シモンも違和感を抱き始めました。
正面斜め前から高速で距離を詰めて胴狙いの横切り。
剣を振り抜いた勢いをそのままに身体を反転させ、肩への刺突。
一旦バックステップで間合いを開けてから跳躍、対応しにくい頭上から鎖骨狙いの斬り下ろし。
他にもありとあらゆる斬撃を。
時には片手を剣から離しての殴打。
爪先や膝による蹴り技、肘や肩による当身まで。
流石に動きが止まる絞め技や関節技は避けたものの、最早剣技だけに限らない多様な攻撃を繰り出し、少なくない数が直撃しているというのに、あと一息のところで勝ち切れない。
戦況は依然シモンの圧倒的優勢。
ガルドは防戦一方で反撃すらままならない。
この状況で勝てないというのは一体どういう……?
「っ、な!?」
シモンが疑問に思考を割いたほんの一瞬。毛一筋にも満たぬ刹那の隙に、剣を握った手首をガルドに握り締められていたのです。
「へへっ、捕まっちまったなぁ?」
凄まじい握力。
ミシミシと音を立てて骨が軋みます。超強化の恩恵がなければ、シモンは一瞬にして手首の骨を砕かれていたでしょう。下手をすれば今の状態であってもそうなりかねません。
「攻守交替。いくぜ」
シモンの手首を右手で握り締めたまま、ガルドは大きく振りかぶるような動きを見せました。まるでボールでも投げるかのように。実際、ガルドの怪力ならばシモンを場外まで投げ飛ばす程度はわけもないでしょう。
ですが、ガルドの狙いは横方向ではなく真下。
ボールに見立てたシモンを足下の地面に向けて……。
「っらぁ!」
硬い石製の舞台を易々と砕き、その下の地面に深々と突き刺さるほどの勢いで、頭から思いっきり叩きつけたのです。




