ショートコント『グランニュート号事件』
広大な大地を西へ東へと行き来する大陸横断鉄道。
列車という新しい交通機関が、まだ登場から十年足らずという短期間で人々の生活に欠かせないものとして受け入れられた一因には、間違いなく食堂車の存在が挙げられるでしょう。
各地で仕入れた新鮮な食材を腕利きのシェフが調理し、その質を考慮すれば安すぎるほどのお手頃価格で楽しめるのです。それも一等客車に乗るような貴族や富裕層に限らず、簡易寝台のみの二等客車や寝台なしの三等客車の乗客も利用することができるという大盤振る舞い。
多くの国でまだまだ伝統的な身分制が根強いこの世界においては相当に大胆な形式なのですが、結果的にはこれが大当たり。非日常の空間における大きな楽しみとなっていました。
◆◆◆
本日のグランニュート号食堂車の昼食メニューは二種類。
一つは新鮮な鮭のクリーム煮をバターたっぷりのパイ生地に詰め込んでサクサクに焼き上げたサーモンパイ。鮭は丁寧な下ごしらえで生臭みがなく丁寧に小骨も取り除かれ、一緒に入っているタマネギやキノコ類との相性も抜群です。
もう一つはボリューム感を求める腹ペコ向けの羊肉ステーキ。ただでさえ風味に癖があって人を選ぶ羊肉を、なんとこれまた風味がキツいニンニクとチーズのソースで食べさせようという冒険心に満ち満ちた一皿。
しかし料理というのは不思議なもので、単独では好みが分かれる匂いがキツい物が別の匂いの強い食材と合わさることで、かえって食欲を掻き立てられる個性へと昇華されることがあるのです。無論、料理人の腕が良いからこその技ではありますが、この羊肉ステーキはまさにそういった逸品でした。
「美味い!」
食堂車の三分の一近くを占拠しているレンリ達一行も、食堂車の絶品料理に舌鼓を打っていました。総勢十二人でサーモンパイが三十人前と、羊肉ステーキを二十人前。一般的な基準では明らかに多すぎますが、レンリ含めてこの量ならばむしろ少なすぎるくらいでしょう。流石の彼女も他の乗客に気を遣って空気を読んだものと見えます。
「わっはっは、久しぶりだが元気そうだな坊主! あん時は大変だったからな、もちろん覚えてるぜ! おお、そっちのお嬢さんはあの時の子か!」
グランニュート号の料理人は以前に乗車した時と同じ人物で、当時は臨時雇いの給仕役として乗っていたルグや、強盗事件の解決に一役買ったレンリのことも覚えていてくれたようです。その縁で本来はディナー用に仕込んでいた鴨肉のコンフィをちょっぴり味見させてくれました。
なお、幸運なことにルカのことは忘れていてくれました。
以前の強盗事件でより目立つポジションにいた彼女の姉や弟が同行していたら危ないところだったかもしれませんが、ルカの姉弟およびペットは、せっかくの長期休みにあちこち忙しなく動き回るのが嫌だとのことで、同行の誘いを断っていたのです。
「ルカ君のお姉さん達は別の場所に旅行に行くんだっけ?」
「うん、ペット同伴が大丈夫な……温泉地、だって。地野菜を使った、ピザが美味しい……最近売り出し中の、穴場らしいよ?」
「へえ、ピザはいいね。でもペットOKって、普通はせいぜい犬とか猫でしょ? 大丈夫かい? ロノ君を見た宿の人が腰を抜かしたりしない?」
「うん、鷲獅子でも……大丈夫だって、手紙で、聞いて……なんでも、村の人がみんな、吸血鬼だから……とか? よく分からなかった、けど……」
「何それ? 地元民だけに通じるローカルジョークとかかな?」
話しているルカも旅先についての詳細は知りませんでしたが、彼女の家族もきっと有意義な冬休みを過ごせることでしょう。
『まま、もっと』
「ふふ……アイちゃん、おさかな、好き?」
『あい!』
アイにもパイの中の鮭を細かくほぐして食べさせていたのですが、どうやらお気に召してくれたようです。体質的にも成長速度的にも普通の赤ん坊の常識が通用しないので、もしかしたら特に気にせず大人用の食べ物を与えても本当は問題ないのかもしれませんが、今のところは一般的な離乳食やそれに近いものから試して慣れさせる方針を取っています。
「ルカ、代わるよ。さっきからアイに食べさせててあんまり食ってないだろ? ほらアイ、あーんして」
『あい。るぐくん、あーん』
「ふふ、じゃあ……お願い、するね」
「キミ達、なんだか親っぷりが板に付いてきたね」
時折アイの担当を交代しつつ皆で食事を楽しみ、そして頼んだ皿が一通り空っぽになった頃のことです。
「強盗だ、金を出せ!」
すぐ近くからそんな声が聞こえてきました。
◆◆◆
「止めろ、馬鹿な真似はよすのだ!」
食堂車での強盗の出現直後。
シモンは必死に説得を試みていました。仲間の。
強盗氏は特にこれといった外見的特徴のない瘦せ型の青年。
一応ナイフこそ持ってはいますが、筋肉の少ない体格といい隙だらけの所作といい、見る者が見れば武術の心得など全くないド素人なのは一目瞭然。この状況でどちらが危険な存在なのかは火を見るよりも明らかです。
「おいっ、金を……」
「ええい、お前は黙っておれ、死にたいのか!? いや多分殺されはせんだろうが、死んだほうがマシな目には遭うかもしれんのだぞ!」
『えぇ~、そんなことないのよ~? ねえ、皆?』
「ん。平和的にメキッと」
『うふふ、ライムさんその擬音はどこか折れてるのですよ? ここはひと思いにスパッといくのがいいと思うのです』
今にも強盗に襲い掛からんとするウルやライムに向かい合い、必然的に武器を構えた強盗に背中を向けているシモンですが、まあ何も問題はないでしょう。一般的な刃物では今のシモンの皮膚には文字通り刃が立ちません。武器のほうが折れるか欠けるかするだけです。
強盗本人は気が付いていませんが、今間違いなく世界一不運な人物でしょう。シモンに守られていなければ、次の瞬間にでも悪人退治という大義名分を得た凶悪な連中が嬉々として襲い掛かってくるに違いありません。
「あ、こらっ、ウル!」
「え、えっ、は? はっ!?」
『ほら、犯人のお兄さん。我の首にナイフを当てるの』
ですが、流石のシモンも一人で注意すべき全員をカバーしきるのは難しかったようです。ほんの一瞬、注意が逸れた隙にウルが犯人の間近にまで迫り、そして自らの首筋にナイフを突き付けて人質に取るように要求したのです。
『はーい、一発芸やるの! 乗客の皆さんも見てて欲しいのよ。ショートコント、人質――――うわーん、怖いの~助けてほしいの~……ほら、犯人のお兄さんもちゃんと合わせてくれないと困っちゃうの』
「お、おう……お、俺は強盗だぜ~! 大人しく金を出さないとこのガキがどうなるか」
『怖くて泣いちゃうの~……あ、怖がり疲れてちょっと小腹が空いてきたの。おおっと、こんなところに良い物がボリボリボリ』
「うわぁ、ナイフを食うな!? 危ないだろうが!」
鉄製だったと思しきナイフは、ウルの歯で刃先から柄の部分まで簡単に噛み砕かれてしまいました。ウルはそのまま口内の刃を細かく噛み砕くと、ごっくんと。傍目からみたらクッキーか何かで作った模造品だったように見えたかもしれません。
『うーん、鉄分たっぷりで意外とイケるの! おかわり!』
「人質が凶器のおかわり要求すんな!」
このあたりで事情を知らない食堂車の乗務員や乗客から、クスクスと笑いが漏れてきました。どうやら、「強盗というのは単なる方便。乗客向けの余興として芸人が芸を披露しているのだろう」という風に誤解している様子。
もちろん実際にはそんなことがあるはずもないのですが、事の発端である犯人としては既に頼みの凶器は影も形もなくなってしまったのです。元より成功の見込みは限りなく薄かったとはいえ、こうなったら成功確率は完全にゼロ。
ならば最初っから芸のためのネタ振りだったということにして、強盗事件そのものをチャラにするしか無事に列車から降りられる可能性はありません。
『今度の凶器はそこのお肉がいいの。あ、お姉さんその食べかけのパン小道具に使うからちょうだいなの』
「やれやれウル君め、一つ貸しだぞ。ああ、犯人君。じゃあ、これを」
「あ、どうも……へっへっへ、ナイフがなくなったから代わりにパンで、って代わりになるかー!」
どっ、と乗客から笑いが出ました。
レンリ達もウルの意図を察してか小道具や小芝居で協力し、食堂車は今やすっかり和やかな空気に包まれています。
『どうもありがとうございました、なの! では引き続きお食事を楽しんでほしいの』
「あ、ありがとうございました……」
『あっ、大事なことを忘れてたの。おひねりはこのパン篭にお願いするのよ!』
これにて終幕。
強盗もウルと一緒に周りにお礼を言っています。空のパン篭には拍手と共にそれなりの額のおひねりが投げ込まれてもいました。
一部の乗務員はまだ納得しきれていない様子でしたが、今となっては消えた凶器が本物のナイフだったのか、それとも模造品の小道具だったのかの証明も不可能。最終的にゲリラ的なパフォーマンスだったということで、強引に疑問を呑み込んだようです。今度からはせめて列車側には事前に話を通してくれという厳重注意をウルと犯人にした上で解放となりました。
被害者は一人もおらず凶器は消滅。
法的に犯行を立証するのはもはや無理筋。
これではシモンも苦笑しつつも見逃すほかありません。
『はい、犯人のお兄さん。これ、あげるの』
「え、いや、でも悪いし……」
『いいから貰っておくの! でも、これからはもう悪いことしちゃダメなのよ?』
「あ、ああ! 俺、真面目に生きるよ!」
ウルからおひねりを渡された犯人の青年はそのお金で苦しい生活を立て直し、後に本当に芸人になって、やがてはお笑い界の巨匠となる波乱万丈の人生を歩むことになるのですが、それはまた別のお話。




