星を掴み、手を繋ぐ
ルカがまだ幼い時分のことです。
おおよそ三歳か四歳くらい。
彼女自身もとうに忘れてしまった記憶ですが。
まだ怪力に目覚めていない普通の子供だった頃、兄姉や近所の子供達と外で遊んでいた時に、ふと空を見上げました。
そこにあったのは沈みかけの真っ赤な夕日。
毎日のように見ていたはずのそれが、何故だかその日はやけに綺麗に大きく見えたのです。心を、魂を震わせるほど美しく。
手を伸ばせば掴めそうな気がする。
当時のルカにとって不幸だったのは、それが単なる錯覚ではなく、実際に手が届き得るほどの才覚を秘めていたこと。そして、それが前触れなく目覚めてしまったことでしょう。
その後についてはいつか語られた通り。
降って湧いた怪力との付き合い方を覚えるのに多くの時間を費やし、あの日、空に向けて伸ばした手のことなどすっかり忘れてしまいました。
今も思い出したわけではありません。
しかし、ほんの少しだけ。
「……あれ?」
ほんの微かな既視感がありました。
それが何かは考えても分かりませんでしたが、その感覚はきっと悪いものではない。相手は夕日ではなく夜空の星ではありますが、十数年越しに伸ばした手は、今度こそ天に届いたのです。
◆◆◆
星が踊っていました。
本来あるべき位置を外れて、東から西へ、南から北へ。
地上にいるルカの手の動きに合わせて縦横無尽に。本来の天体運行などまるで関係ありません。
「ふふふ、今頃世界中の天文学者は揃って目を回しているだろうね。ていうか、私も専門ってわけじゃないけど空に見える星がリアルタイムでそこにあるんじゃなくて何万年だか何億年だか前に発された光だってことくらいは知ってるよ。なんでそれが動いて見えるんだろうね?」
「さ、さあ……わたしも、仕組みはよく……」
「不定形の光そのものをキャッチして動かしてる? それとも時間軸を遡って光が発された当時から既に動かした先にあったという風に過去を改変してる? 私達がこうして動きを認識できるあたり前者っぽいかな。だとしても空の端から端までとか速度がどう考えても光速超えてるし、そもそも重さもとんでもないだろうし……」
ちなみに地球のある世界の太陽の重さは約1.989×10の27乗トン。こちらの世界の太陽もだいたい似たようなサイズです。それでも恒星としては決して大きい部類ではありません。
今のルカはその明らかに太陽より大きそうな恒星を自由自在に動かしていました。本人以外には分からない感覚ですが、距離やサイズを無視してたしかに掴んでいる感覚があるのだとか。
後は普通に物を持つのと同じく腕に力を込めるだけ。そうすれば山でも星でもこの通り。驚くべきことに、動力源そのものはあくまでルカの筋力であるようなのです。
少し前までのルカは魂の覚醒具合が半端だったのに加え、半ば無意識に力の大半を自身の力を抑え込むことに使っていました。その制限が外れて本来の力を100%使えるようになったのに加え、カギとなったのはあの混沌迷宮での出来事。本来の第六迷宮で想定されていたよりも遥かに厳しい負荷がかかり、それに耐えきったことで、魂の力が限界以上に引き出された結果です。まあ今やルカ本人含めそれを覚えている者は誰もいないので、他の誰かを対象にしての再現には期待できないでしょうが。
「ハッキリ言って出力の上限は無いも同然だろうね。相対的にウル君達がショボく見えちゃうのも仕方ないというか」
『ぐぬぬ、悔しいけど認めざるを得ないの』
「そ、そんなこと……ないと思う、けど」
実は魔王は星を蹴って一人でサッカーができたりするのですが、今度からはルカを相手にキャッチボールもできるようになるかもしれません。出力の上限がどのあたりかを平和的に確認する方法がないのでどちらが上かを確かめることはできませんが、単純なパワーだけなら魔王に並ぶ世界一位タイと言っても大袈裟ではないでしょう。
ルカは理由なくやろうとはしないでしょうが単に動かす以外にも、握り潰す、砕く、引き裂く、叩くなども自由自在。壊すつもりがなければ生卵を持っても壊さずにいられるので事故の心配もありません。
熟睡していてもうっかり能力が誤発動するようなこともなし。ルカにも理屈は上手く説明できないのですが、この力はそういうものだという直感的な確信があるのだそうで。
まさに神をも超える凄まじい力。
ですが、腕力自体は元々持て余していたようなもの。
更なる力を得たこと自体はルカにはさして感慨はありません。
彼女が素直に嬉しいと感じたポイントは、むしろその逆でした。
「よし、と。これで本の通りだよね? それじゃあ星の位置も元通りにしたことだし、流石にそろそろ引き上げようか。今頃、世界中の天文学者や占星術師が大騒ぎしてるだろうけど、集団幻覚とか何かの理由を考えて勝手に自己解決してくれることを期待しよう。ルカ君、荷物頼めるかい?」
「うん……まかせて」
「あ、いいよいいよ。俺が持つから。ルカは散々こいつの実験に付き合わされて疲れただろ?」
実験のために持ち込んだ資料や計測用の道具などを、ルグのリュックにしまい込むためルカやウルが次々手渡していきます。その途中。
「そ、それじゃあルグくん……あれ? ええと……これ? あっ! そっか、この感じが“重い”だった、ね?」
星を軽々と動かせるほどのパワーがあるのに、大きめの事典数冊で「重い」と感じる。これこそがルカにとって最大の収穫。力を完全に制御できるようになったおかげで、常時働いていた肉体の強化を切ることができるようになったのです。「重い」という感覚もずいぶん久しぶりでした。
生活の利便性を考えれば常に多少の強化はしておいたほうが便利なのでしょうが、ここは恋人に重い物を持たせまいとするルグの男心を汲んであげるのが女の甲斐性というものでしょう。少年というのは好きな子の前で格好つけたいと思ってしまう生き物なのです。
「えへへ、ルグくん」
「うん? あ、手な」
手を繋いでもうっかり握り潰してしまう心配もなくなりました。
以前までと違って力加減に全神経を集中することなく、手の感触や温かさに意識を向ける余裕も生まれています。手を繋ぐ以外にも、これからはもっと普通の恋人らしいこともできるようになるでしょう。
星空の下、ルカはそんなささやかな幸福を思い浮かべて頬を緩ませるのでした。
今回で13章ラストです。
ここまでお読みいただきありがとうございました。
次はこのまま番外編の13.5章、それから迷宮レストランの更新を挟んでから14章という流れになります。14章では作中時間で一年ぶりに年末の帰省シーズンに入って、この一年間に仲間入りした面々含めて色々行ったり、去年のリベンジの機会を得たりなどする感じになるんじゃないかなと。




