つかもうぜナントカボール
学都北東、山中の高台にて。
“つい先程”、ほんの数分前にアイを追って濁流へと飛び込んだルカの姿を目の当たりにした面々は、それはもう慌てに慌てていました。
「は、離せレン! 俺は行くぞ!」
「だーかーら! ルー君が行ってどうなるってのさ! 二次遭難で探す相手が増えるのが関の山だろう。ここは探しに行ったシモンくんに任せて待ってるのがベストだって言ってるだろう?」
ルカの頑丈さへの信頼はありますが、流れに呑まれて窒息でもしていたら万が一もあり得る……と、外見上は普通の土石流のように見える暴走迷宮を見て考えるのも無理はありません。
実際、ルカが混沌迷宮の内部に入ることができたのは、同じく迷宮であるアイが一緒だったからこそ。普通の人間や動物が同じように飛び込んでも、入場を許可されずに土石流に巻き込まれたのと同じような格好になってしまいます。
一応、内部に混沌迷宮という異空間があると認識した上であれば、シモンが空間を切り開いて侵入できた可能性はあります。そればかりか魂の覚醒という第六迷宮のクリア条件を最初から満たしている彼が入れば、その瞬間に事態をどうにかできたかもしれませんが、そもそもそうと知らなければ試そうという発想に至らずとも仕方のないことでしょう。
「ど、どうしたの……?」
「あ、ルカ君! キミからもルー君に言ってやってくれたまえよ。彼ってばルカ君達を探しにあの中に飛び込もうって言うんだよ?」
「そ、それは危ないから……やめたほうが……」
『だぅ? あーあぃ?』
「ほら、ルカ君とアイ君もこう言っていることだしあれぇぇぇぇっ!?」
「え、ちょっ、え? ルカ? 何で!?」
「さ、さあ……? よく分からないけど……気が付いたら、アイちゃんと一緒に……ここに戻ってたの」
『あい! たぁいま!』
そんな鉄火場にいきなり探している当人達が現れたのだから、レンリやルグの驚きようといったら大変なものでした。
ルカとアイに混沌迷宮内部での記憶は一切残っていません。
これは元々の第六迷宮の性質に由来する現象でしょう。魂に強烈な負荷をかけて覚醒を促すという方法は効率的ではありますが、記憶をそのまま残していたら強烈なトラウマも同時に残ってしまい、その後の人生に多大なる悪影響を及ぼしかねません。よって第六迷宮の奈落での出来事は、そして恐らくはその性質を引き継いでいたであろう混沌迷宮でも余計な記憶はすっきり削除。
ルカの主観としてはアイと一緒に濁流に飛び込んだ次の瞬間には、何故だか高台に瞬間移動していたようにしか感じられません。アイの姿も思考も元の赤ん坊のままですし、一見すると何も変化がないかのようにも思えます。
「うむ、よく分からないけど二人が無事なら良しとして、今度はウル君達をどうにかする手を考えよう。ウル君、相変わらずコントロールとかできなさそう?」
『それが我たちもよく分かんないけど、なんだか急に力の流れが安定してきたけど……うぬぬぬ、やっぱりまだちょっとキツいの! 他の皆もそんな感じ!』
ルカ達だけでなく混沌迷宮を構成していた当人達、第一から第六までの迷宮にも自分達の内部で何があったのかは把握できていないようです。しかし、攻略の影響は確かに出ているようでルカ達が戻ってくる前と比べると、格段に流れるスピードが落ちています。
進行方向についてのコントロールも多少は利き始めているようですが、完全に制御できるようになるにはまだ多少の時間を要してしまいそう。このままでは人里には流れ込んでしまわずとも、人里以外の山林を少なからず薙ぎ払ってしまう未来は変わりそうにありません、が。
「あ、あのぅ……?」
ルカがおずおずと控えめに手を挙げました。
彼女にも具体的なところは分かりません。
しかし、確信がありました。
勘違いでも思い上がりでもなく、自分ならこの事態をなんとかできるという確信が。「できるかもしれない」ではなく、「できて当然」という揺るぎない自信が。
「大丈夫……たぶん、すぐ済むから」
「ルカ君、何を?」
レンリの疑問に対し、ルカは言葉でなく行動で答えました。
両手をくっ付けて水を掬い上げるような格好で手を、すい、と動かしたのです。
ただそれだけで事態は概ね終わりました。
「こんな感じ……かな?」
森林を打ち砕きながら猛スピードで流れていた迷宮の濁流が、ぴたり、と止まりました。それだけではありません。広範囲に広がって今も体積と質量を増大させつつあるソレが、宙に高々と浮かび上がっているのです。
木々が軒並み圧し折られてハゲ山となった山中で、未だ状況を知らないままのシモンがキョロキョロと慌てた様子で周囲を見渡す姿もよく見えました。
『なに、なに、何なの!? 我たちどうなってるの!?』
『さあ、話の流れからしてルカさんが何とかしたみたいですけど』
『我の液体操作に近いような、やっぱり全然違うような?』
『よく分かんないですけど、これで助かりそうな流れなのです?』
『くすくすくす?』
『驚愕。疑問。好奇心が尽きないね。おや、覚醒してる?』
今が異常な状態だからという理由もありますが、当の迷宮達ですら何をされているのかさっぱり分かりません。しかし分からないながらも地上から浮かび上がり、ひとまずこれ以上の自然破壊は食い止められそうです。
いくつもの山と谷を埋め尽くすほどに膨れ上がった迷宮達が全て空中に移動したわけですから、空を見上げても月も星もすべて隠れてしまっています。いえ、いました。
「ええと……こうして、こう」
ルカが手元の空間をコネコネとあれこれ捏ね回していると、それに連動するかのように空中の迷宮達も姿を変えていきます。まるで粉を捏ねて、一まとめにして、丸いパン生地に仕立てていくように。米粒を集めて丸めておむすびでも握るかのように。
今もなお質量を増し続けている迷宮達が圧縮されて、どんどんとその姿を小さくしていきました。全体が現出すれば惑星にすら比肩するほどの総質量を誇る迷宮が、見る見る間に小さくなり最終的には握り拳大の球体になってしまったのです。
「っと、とと……みんな、大丈夫? 痛かったり、しない?」
『そ、それは全然大丈夫だけど、これってどうなってるのかしら?』
「さ、さあ……? なんとなく、できそうだなって?」
最後は落ちてきた迷宮ボール(仮称)をルカが受け止めると、隠れていた夜空も元通り。いくら小さくとも質量を考えると迷宮ボールからは決して無視できない引力が発生しているはずですが、特にそうした影響も見られません。
ボールの見た目は大きめのビー玉のようなカラフルなマーブル模様。
模様がゆらゆらと揺らめいている点が単なるガラス玉との違いです。
最初のうちはごちゃ混ぜの濁った色だったのが、次第に緑・金・青・桃・白・黒とはっきり見分けられるまで分離してきました。正直なところルカ自身も自分が何をしているのか理解してはいないのですが、両掌で直に握ったボールはより一層安定している様子。あと十数分もして完全にそれぞれの色が分かれきったら正常な状態に回復するのではないでしょうか。特に迷宮達がダメージを負っている様子もありません。
破壊された山林の再生や屋敷の修理など後始末はいくつか残っていますが、このまま時間が経って各々が制御を取り戻すまでじっと待っていればそれで事態は概ね解決と見てよいでしょう。
「なんとかなりそう、で……良かったね」
『あい!』
調査・検証すべき事柄は新たに沢山湧いて出ましたが、ひとまずはこれにて一件落着。こうして当のルカ達すらも何がどうしてこうなったのか知らぬまま、今回の迷宮暴走事件は無事解決することとなったのです。




