迷宮の濁流
増大する体積が屋敷の内側に収まり切るはずもなく。シモンの屋敷は内側から溢れ出した迷宮本体によって、大きな破砕音と共に一気に破裂してしまいました。
「なんだなんだ!? ずいぶん大きな音がしたけど?」
「なんだ知らんのか。さてはシロウトだな? あの家が壊れるのは最近しょっちゅうなんだよ。今日はまた一段と派手にいったみたいだけど、うん、まあ、よくあるよくある」
「ほら、例の使徒様が出入りしてるせいかちょっとやそっと壊れても次の日にはもう直ってるからね。今回もたぶん大丈夫でしょ。ウチも頼んだら新築同然にしてくんないかなぁ」
塀越しに見える一部ではありますが、突然家屋が木っ端微塵に粉砕される様を目の当たりにした学都住民もこの通り大いに動揺して……はいないのですが。ここ最近、アイが来てから既に数回は半壊しているので日常の一幕として受け入れられつつあったりするのですが。
そんな肝の据わり過ぎた住人達も、流石に溢れ出る迷宮本体が迫ってきたら流石にこうして呑気に話してはいられないはずですけれど、特にそういった様子は見られません。
門の隙間からよくよく見れば破砕したはずの屋敷の残骸が、ほとんど敷地内に残されていないことにも気付いたかもしれませんが、すでに日が落ちて視界が悪くなっていたせいもあり違和感に気付く者はいなかったようです。
さて、暴走する迷宮達と屋敷にいた面々が一体どこに行ってしまったのかというと――――。
◆◆◆
学都から北東に二百キロほど移動した地点。
周囲に人里の見当たらない山中にて。
「おや、ここはどこだい?」
『あれ? ここ知ってるのよ。我たちが修業してたとこなの。あの大きい滝にも見覚えあるし』
皆は一瞬のうちにウル達が修業地として使っていた場所に移動していたのです。となると気になるのは、いったい誰がやったのか。こんな真似ができる人物は世界中探してもそうそういません。
「転移」
「おお、ライムか! でかしたぞ!」
街中に迷宮本体が流れ出すのを危惧したライムが、咄嗟に屋敷ごと人里離れたこの場所まで転移魔法で飛ばしていたのです。今も増大を続ける迷宮の下に押し潰され、あるいは押し流されていますが、よくよく見れば屋敷の建材や家具などがそこかしこに散らばっているのが見つかるはずです。
かなり悲惨な状態ですが、一瞬でも判断に迷えばこれと同じ被害が街中で起きていたはず。ライムのファインプレーと言えましょう。
「……ばたり。魔力切れ」
とはいえ大きな屋敷一軒分もの体積と、それを埋め尽くすほどの巨大質量を二百キロも飛ばしたのです。ライムの膨大な魔力量でもかなりギリギリ。パタリととその場に倒れ込んで、一人では立ち上がれないほどに消耗しています。これでは戦力として勘定に含めることはできそうにないでしょう。
「さて、それじゃあどうしようか? ウル君達、いやもう姿は見えてないんだけど話はできそう?」
『うん、よく聞こえてるし話せるのよ。我、口がないのにどこで話してるのかしら?』
ちなみにレンリ達人間は周囲で一際高くなっている山頂付近に、迷宮達はその少し下から山を下へ下へと広がり続けているという状態です。
迷宮達の化身の肉体は、流れ出す本体の入口と化しており最早人の姿を保っていません。土や木や石や水、周囲にあるそれらから普段と同じ声が聞こえるので意思疎通に支障はありませんが、果たしてどんな仕組みになっているのやら。
じっくり調べてみたいところですが、こうしている今も迷宮本体は溢れ続け、元々この山に生えていた森をバキバキと砕きながら押し流しているのです。
いくら人里離れているとはいえ、この付近は学都のすぐ横を流れる大河の上流に位置しています。このまま勢いを止められなければ今度こそ学都を押し流してしまいますし、その過程で巻き込まれる中小規模の集落も決して少なくはないでしょう。
「ふむ、とりあえず皆には勢いを抑えるのと広がる方向をコントロールする努力をしてもらうとして……こんな時こそ冷静に現状確認だ。まず聞くけど、学都にいたキミ達以外のキミ達も同じようになってたりしない?」
『うん、それは大丈夫だと思うのよ。ていうか、我たちがこうなった時点で他の場所にいた別の我たちは消えちゃったみたいなの。あと移動用に置いてた領域も』
『我からも補足を。元々、本体内部を探索していた冒険者の方とか、学都や各地の遊園地にいた方々は強制的に近場の安全な場所まで転移させたと本体の記録に残ってますね。まあ多少の混乱はあるでしょうが、この状態の我々に混ざって濁流の一部になるよりは幾分マシでしょう。。我も知りませんでしたけど、こういう事態を見据えて安全装置のような機能が仕組まれていたのでしょうね』
ウルやゴゴの発言によるならば、他の化身や領域はこうなったと同時に全て消えてしまったのだとか。各地にいた化身にも同様の事態が起きて本体が溢れ出していたら流石に手に負えなかったので、これは不幸中の幸いといったところでしょうか。
「ははあ、あの神様らしい慎重さというか小心さというか。色々仕込んであったんだね。というか、それを言ったら今のコレも仕込みの一つだったりしない? 止め方とか聞いてみたら?」
『ええ、予想される被害を考えると内々で収めることに固執してる場合ではありませんし、もう聞いてはみたんですけど……』
まず前提として、神としてそれなりのベテランである女神も自分以外の神々を創り出そうという試みは今回が初めてなわけです。やること為すこと試行錯誤の連続で、前例など皆無。予想外のトラブルなど起きて当たり前とすら言えます。しかし、それでも未知へと一歩踏み出す姿勢こそが大事なのではないでしょうか……というのが、ゴゴの問い合わせに対する女神からの返答でした。
要約すると『今のコレは自分にも予想外で何をすれば収まるのか分からない。むしろ教えてほしい』といったあたりになるでしょうか。
「はっはっは……あの野郎! 野郎じゃないけど!」
本当に最悪の事態が間近になったら溜め込んでいる信仰を際限なく使って『奇跡』で抑え込む手もあるのでしょうが、女神がその決断をするのは本当に限界ギリギリの状況になってからでしょう。
「今思うとアイ君はこうなることを危惧して逃げ回っていたのかもしれないね。こう、赤ん坊ならではの純粋な心的なやつで見抜いて……いや、自分で言っててやっぱり無理あるね。ないない」
『だぅ? あいあい?』
迷宮達の中でもアイだけは姿を変えずにルカの腕の中に抱かれています。まだ覚醒していないのが幸いしたのでしょうか。彼女が今のトラブルを誰よりも先んじて予想し、それを避けるために各地を逃げ回っていたというのは、レンリの言うように流石に無理があるでしょう。
あっても精々『なんとなく嫌な予感がした』くらいのものでしょうが、そうだとしても結果を見ればむしろ逆効果。アイを探すために姉妹が勢揃いしてしまったわけですから、トラブルの発生を早めたことになってしまいます。
『あぃ……ごぇんしゃい?』
「いや、アイ君に謝らせるのもそれはそれで違うというか。謝ってもどうにもならないというか……ルカ君!」
「えっ……ど、どうしたの?」
「だから、アイ君の手! 足やお腹もか!」
そしてトラブルは解決どころか更にもう一つ。
レンリの剣幕に押されたルカがアイのベビー服のお腹をたくし上げると、そこは彼女の髪の毛と同じように周りのモノを映し出す鏡のような状態に。
触れた質感こそ肌のソレと変わりませんが、手や足にもどんどんと鏡状の部分が広がりつつあります。頭と手首足首から先以外をすっぽり覆うベビー服を着ていたせいで発見が遅れてしまったのでしょう。
『んゅ、まぁま?』
「そんなっ……アイちゃん!?」
他の姉妹に比べて変化が格段に緩やかなのは、覚醒済みかどうかの差でしょうか。しかし、恐らく変化そのものは同じタイミングから起こり始めていたのです。もう体表の六割以上まで変化は進行しています。
このまま状況が進めばどうなってしまうのか。
他の姉妹と同様に身体から本体が溢れ出してくるのか、それ以外の何かが起きるのか、まるで予想ができません。倒すべき敵がいるわけでもなく、何をすれば解決するのかも一切分からない。そんな不安な状況で――――。
『だぃじょぅ、まぁま……あい!』
服を脱がせて身体の状態を検めていたのが良かったのか悪かったのか。アイは驚くべき速度のハイハイで動き出すと、そのまま躊躇うことなく、止める間もなく、迷宮渦巻く濁流の中へと勢いよく飛び込んだのです。




