七つの迷宮
捕獲したというよりは結果的にそうなったというだけですが、幸運にもアイはアリスが確保してくれました。今はご飯を食べて眠くなったのか、スヤスヤと可愛らしい寝息を立てています。
「本当に大丈夫ですか? 良かったらしばらくウチで預かりますよ?」
『うーん……他の皆とも相談したけど、流石にそれは悪いの』
またいつどこに消えてしまうかも知れないアイの性質を考えると、ここでアリス達に丸投げしてしまうのが一番安泰なのかもしれません。平時であればそれも選択肢のうちに入ったでしょうが、なにしろ今の魔王一家には妊婦が二人もいるのです。なるべく余計な負担をかけさせたくはないというのが、上の迷宮六人の総意でした。
それに今回は前触れなく消えたせいで必要以上に慌ててしまいましたが、すでにある程度の対策は打ってあります。迷宮達が世界のあちこちに設置した外部領域のうち、知り合いとの連絡や往来に使うアテのないモノ、全体の九割以上を一時的に解除しておいたのです。
こうすればアイが行き先として選択できる先は相当に少なくなりますし、予めそうなる可能性があると把握していればアイが一人でどこの領域に移動したかを他の姉妹に報せるような設定もできます。
『これだけやれば、もう迷子の心配はないの。さ、アイ一緒にお家に帰るのよ?』
『あい! ばぃばぃ』
今回のダイナミックな迷子は、あくまで想定外の状況ゆえに対応が後手に回っただけ。故に対策を打った今はもう大した心配は無用だろう、と。
そんなウル達の予想は確かに間違ってはいませんでした。
より心配すべきは迷子の件ではなかったという意味で。
◆◆◆
そうして確保したアイを連れ帰ってきた学都の屋敷。
ここには捜索に参加していた面々が勢揃いしていました。
「なるほど。考えてみれば無垢という点で赤ちゃんに勝るものはないだろうからね。アイ君もネム君と一緒で固定観念に囚われない自由な発想で力を使えるのかもしれないね?」
迷宮達の力は無意識のうちに自ら制限をかけてしまっている。
自由な心を持つネムと、そして恐らくアイはその例外である。迷宮の汎用能力である領域間移動を自由に使えるのは、その才覚の一端だったのではないか。
……などとレンリが自説を披露していますが、皆ほとんど聞いていません。体力はともかく短時間のうちに世界中駆け回って、精神的にすっかり疲れ果ててしまったようです。
『でも、なんでアイはあんなに逃げ回ってたのかしら? 別に我や皆が嫌われてるわけじゃないと思うけど……嫌われてないわよね? ね?』
「別に逃げてたつもりはないんじゃない? それこそハイハイを覚えた赤ちゃんがあちこち行きたがるのと一緒でさ」
ヒナの疑問にレンリが軽く答えます。
実際、その予想は間違ってはいないのでしょう。
ハッキリと論理立てて思考しているわけではないアイは、主にその場その場の好奇心や快不快で動くのが当たり前。それで言えばアイは人懐っこい気質なのか、上の姉妹や一緒に生活する皆のことは概ね快く思っているように見受けられます。この点については誰がどう見てもまず間違いないでしょう。
「それで迷宮の皆はまたどこだかの山奥に戻って修業しに行くのかい? 聞いた感じ、ネム君以外はどうも壁に突き当たってるみたいだけど」
『それなのですよね。得るものが全くないとはいいませんけど、モモ的にはここらで一旦お休みを入れて流れを変えるべきなんじゃないかとですね』
早くも話題は明日以降のことへ。
元々、学都や他の街に他の自分を常駐させていたメンバーは実感が薄いのですが、今は緊急事態で呼ばれて一時的に修業を中断している状態です。
現状の目標はフィジカルよりもメンタル面での壁を超えることなわけですが、果たしてこのまま山奥で滝浴びやら瞑想やらを続けて目的を達成できるかというと未知数。モモの発言はただサボりたいという本音もあるのでしょうが、一旦休息を取って流れを変えるという発想には一考の価値がないこともありません。
さあ、どうしよう?
そんな風に呑気に先行きを考えていられたのは、眠っていたアイが目覚めるまでのことでした。
『……ふぁ、あぃ』
「ああ、アイ君が起きたようだね。もう食事は済ませてきたんだっけ? じゃあ誰かお風呂にでも入れてあげ……おや、皆?」
果たして何が事態のトリガーになっていたのか。
ここ最近での出来事から推測するに、無闇に漏出させていた神力を体内に留めることを覚えたとか、単純に各地での活動の結果信仰が増してエネルギーの総量が一定の基準値を越えたとか、恐らくはそんなところでしょう。
「ウル君? 他の皆も、急に顔色を変えてどうかしたかい? 何か変なモノでも食べた?」
『お姉さんじゃあるまいし拾い食いなんてしないの! って、そんなこと言ってる場合じゃないの!? よく分かんないけど、ヤバいヤバい! このままだと絶対ヤバいことになるの!?』
しかし最大の原因は明白です。
同じ場所に迷宮七人が全員揃ったこと。
これまでにも一箇所に集まったことはありましたが、恐らくは神力関係の何かしらの条件を満たした上で集まるのが、こうなるキッカケだったのでしょう。
『あ、マズ』
迷宮達は必死に抑え込んでいましたが、そう長く耐えられるものではなさそうです。そのおかげ、というのも妙な表現ですが、ようやくレンリ達人間にも明確にそれと分かる形での変化が現れてきました。
「皆、何それ? イメチェン?」
『んなワケないの! って、ぐぁぁ!? ツッコんだらますます抑えが……』
そういうウルの身体は風船のように膨れ上がり、なおかつ顔や手足からは大量の枝や葉っぱが生えてきています。彼女の能力ならこんな変身も可能でしょうが、どうも自らの意思でこんな風になっているのではなさそうです。
それに他の迷宮達も同様に。
ゴゴは同じく身体のあちこちから刃物が生えて飛び出していますし、ヒナは手足が半透明の海水に置き換わり、モモは爪先から胴体の胸あたりまでは土の塊のように。
『ぎゃー、なの!? ヨミの顔がなんかすごいことになってるの!』
『疑問。質問。えっ、我の顔どうなってるの!? 自分では見られないんだけど』
ヨミなど顔面の真ん中に、先の見通せない漆黒の穴が開いています。目や口も見当たりませんが、いったいどうやって喋っているのやら。
まるでそれぞれの本体の構成物が化身にまで侵食してきているようです。その上、身体のサイズはウル以外の皆もどんどんと膨れ上がり、それなりの広さがあるリビングの空間はたちまち埋め尽くされてしまいました。
彼女達が必死に自分達を押し留めていなければ、とっくに屋敷が内側から弾け飛んでいたでしょう。いえ、屋敷どころか街そのものが溢れ出ようとするモノに押し流されてしまっていたかもしれません。
そして、そんな状態でいながらも……。
『力が、どんどん溢れてきて止まらないの……!』
気分が悪かったりダメージを受けているわけではない。
むしろ、かつてないほど調子が良い。力がどんどんと湧き上がってくる。
なんで固定観念を打ち破るのにあれほど苦労していたのか、まったく分からないほどの万能感に酔いしれそうになってしまう。
だからこそ恐ろしい。
「ふっふっふ……皆の身体に潰されてだんだん息苦しくなってきたけど、誰か起こってることを簡潔に!」
『……ここに! 我達の! 本体が出てくるの!』
通常の世界とは別次元に存在するはずの迷宮達の本体。
それが今、学都のど真ん中へと一斉に顕現し――――。




