迷宮トレーニング
神の力を使いこなすために修業をしよう。
アイ以外の六迷宮が人里離れた場所に移動していれば、学都に魔物が集まることもなくなって一石二鳥。そんな風に考えていた彼女達ですが、一つ失念していたことがありました。
『修業って、何をどうすればいいのかしら?』
ひとまず善は急げとばかりに翌日の朝イチで学都から北東方向に二百キロほど先、大森林中央近くの山中に移動してみたのですが、具体的に何をどう頑張ればいいのかという点については全くのノーアイデア。
これまでにも騎士団に顔を出して剣術の真似事などしてみたり、迷宮を外部展開する練習などしたことはあるものの、基本的に彼女達はトレーニングなどせずとも本体が集めた魔力や情報や信仰を栄養源として勝手にどんどん強くなっていくのです。
こうしている今も特に意識するまでもなく身体能力や各々の固有能力が成長し続けていますし、その伸び率は知名度の向上に伴って最近ますます急上昇しています。そもそもの人類の総人口という限界はあるものの、当分は伸び止まりに悩むことはないでしょう。
とはいえ、それはあくまで戦闘能力などの話。
このまま成長していけば自然と神の力も使いこなせるようになるのかもしれませんが、そうなる確証はありませんし魔物対策など考えるとあまり悠長に時間をかけるのも好ましくないでしょう。
『うーん……悩んでても始まらないの。とりあえず、思いついた端から全部やってみるのよ。皆、まずは腕立て伏せ一万回よ!』
神に相応しい修業とは何ぞや。
普通に考えても分からないので、思いついたことを片っ端から試してみることにしました。他の皆としては効果がないことは薄々気付いていたのですが、これといって有力な代案もないため仕方ありません。
『我々に筋トレって意味あるんですかね?』
『ないんじゃないかしら? だって、そもそも筋肉で動いてるわけじゃないもの』
普通の人間なら筋肉が断裂するか関節を傷めるかしそうですが、迷宮の化身とは本体から伸びる見えない糸で精巧な人形を操っているようなもの。ゴゴやヒナの言う通り、ただの筋トレを何万回やろうと精神はともかく肉体の疲労はありませんし、それで筋肉がモリモリになったりすることも多分ありません。モリモリになってしまっても困ります。
『こら、そこ! 無駄口を叩くんじゃないの!』
「ん。修業は集中してやるべき」
が、逆説的に精神修養としての効果なら見込めるかもしれません。
いつの間にか一緒になって腕立て伏せをしているライムからも、修業中の雑念に惑わされないようにとのアドバイスが飛んできます。
『一応聞きますけど、ライムさんは何で当然みたいにいるのです?』
「ん……そこに修業があるから?」
『くすくす。ライム様はとっても修業がお好きなのですね』
到着した時点では周囲にいなかったはずですが、恐らく迷宮達の気配を頼りに走って飛んで、ついでに瞬間移動までをも駆使して場所を探し当てたのでしょう。
生身のエルフでありながら今の迷宮達と比べても遜色ない実力を誇るライム。同格相手との訓練であれば一人でトレーニングするよりも大きな成長が望めますし、可能であれば試合の機会に恵まれるかもしれません。第一迷宮の中に住んでいる関係でウルとは時々組手をしているのですが、他の姉妹とはなかなか戦う機会がないのです。
「一万回、終わり。次は?」
『そうね、腕の次は腹筋かスクワットを十万回くらいやってみるの!』
『制止。提案。せっかく修業の専門家がいるのだし、ここは一つ我々に効き目がありそうな訓練メニューがないか意見を聞くのはどうだろう?』
ライムまで来たのは想定外でしたが、舵取りをウルに任せていてはいつまでも無意味な筋トレを続ける羽目になりかねません。肉体は疲れずとも徒労感や飽きはあるのです。その精神的苦痛を乗り越えることで精神力を養うという考え方もあるでしょうが、妙にやる気になっているウル以外は御免被りたいというのが正直なところ。
それに筋トレや騎士団で習った基礎的な型稽古、あとは試合くらいしか鍛錬の方法を知らない迷宮達と違い、ライムは暇さえあれば修業をしている修業のプロ。彼女達の知らない、彼女達にも効果がありそうな訓練メニューを知っているかもしれません。
「ん。じゃあ」
ライムがすっと指差した先にあるのは、落差千メートルほどありそうな大瀑布。地理的に考えると、この滝は学都東を流れる大河の上流にあたるはず。この周囲に人里はありませんが、交通の便さえ良ければ見応えバツグンの観光名所としてさぞや人気が出ることでしょう。
ライムはそんな滝の滝壺に向けて躊躇なく飛び込むと、着水寸前で氷の魔法を発動。河面を凍らせて滝の勢いでも簡単には砕けない頑丈な足場とし、そのまま滝に打たれながらの瞑想を開始しました。
『あっ、我こういうの漫画で見たことあるの!』
『滝行ですか。やっぱり精神修養系メインってことになりそうですね』
この付近は学都よりも気温が低いようで、もう完全に冬の気候となっていますが、迷宮達であれば少なくとも凍死する心配だけは無用でしょう。
この激しい滝に打たれながら瞑想すれば、身体を打つ滝やたまに落ちてくる岩や倒木すらも意に介さないほどの精神力と集中力を養えるというわけです。もちろん普通は死ぬので良い子は真似してはいけません。
『……』
『…………』
『………………』
『……暇なの』
瞑想中は学都や他の場所にいる別の自分達との接続も一時的にカットしています。通常であれば別の自分が遊んだり本を読んだりした情報をリアルタイムで共有して、いつでもどこでも退屈から逃れられるだけに、こうした状況というのは不慣れなはずです。元々出せる化身の最大数が少ない下の姉妹達は比較的慣れていますが上の姉達には、特にウルやヒナには厳しいものがあるでしょう。
「むぅ。静かに」
『ぐぅぐぅ……はっ、モモは寝てないのですよ?』
「起きて」
三時間ほど滝行を続けたものの、果たして効果があったのやら。
『我は結構気に入りましたよ? 余計な思考を排除して考え過ぎを止める感覚が心地良いというか』
『同意。無想。たしかに悪くない。わざわざ滝浴びまでする人は少数だろうけど、聞けば武術家のみならず市井の商売人や学者にも瞑想を日々のルーティンに組み込んでいる人がいるそうだし。我も取り入れてみようかな?』
ゴゴとヨミは滝行というか瞑想を気に入ったようですが、ネムを除く他の皆はすっかり退屈に打ちのめされてしまった様子。二人のことを信じられないような目で見ています。
「次」
『腰を落として、それで……ただ立ってるだけなの?』
「ん」
滝行を終えたら休む間もなく次の修業です。
今度の修業は馬歩や站椿などと呼ばれる、太ももが地面と水平になるまで腰を落として、その姿勢をひたすら維持する訓練。通常は足腰及び精神の鍛練ということになるのでしょうが、熟練者になれば体内を巡る内的な力を養う効果を実感できるのだとか。
実際ライムもこれで体内魔力の流れを感じ取り、より効率的な運用をしたり魔力を練り上げてその質や密度を高めたりといった修業を日常的にしています。
『我々の場合は神力をより明確に感じ取ったり、それを練り上げる感覚を掴むのがとりあえずの目標になりますかね。まあ魔力と同じように扱えるかも分からないんですけど』
『これ、本当に意味あるのかしら? それを確かめるのも目的ってことになるんだろうけど……うぅ、暇すぎて死にそう』
ヒナの言う通り、そもそもこれらの修業に意味があるのかも分かりません。瞑想系の鍛錬を気に入ったゴゴやヨミ、いつもの穏やかさを崩さないネムはライムに倣って訓練に励んでいますが、その他の面々はなかなかキツそうです。肉体面の負荷については相変わらずのノーダメージですが、動かずじっとしている退屈さには耐え難いものがある様子。
「これを日が暮れるまで。その後で食事」
『あと七時間くらいはあるのですよ!? お昼は!?』
「抜き。あとでまとめて食べれば大丈夫」
『そんな当然みたいに。モモ達は最悪食べなくても大丈夫ですけど、ライムさんはよく平気なのですね?』
「慣れ」
『ええと、ちょっと言いにくいのですけど、普段からそういう生活してるせいで身長とかその他色々の成長に悪影響があったりとか……ぶっちゃけ、そのへん大丈夫なのです?』
「……え? え?」
もちろん大丈夫なはずがありません。
常日頃からの過度のトレーニングがライムの成長に悪影響を与えているのは間違いないでしょう。なにしろライムときたら、強くなればなった分だけ更なるハードトレーニングに耐えられるようになったと考えて、心身が壊れる限界点ギリギリを常に攻め続けているのです。
まだ故郷に住んでいた頃は家族の目もあったので自重していましたが、学都で一人暮らしをするようになってからは夢の修業漬けの毎日。エルフとしてはまだ成長期真っ盛りの年頃である十代後半から二十歳前後の時期にそんな生活をしていたら、伸びるものも伸びなくなるでしょう。
本人に自覚はほとんどなかったのですが。
なんなら本人は自分の鍛え方が甘いせいだなどと考えていたのですが。
「どうすれば……?」
『どうって、修業の時間を減らせばいいんじゃないの?』
「修業を、減らす? 一日……に、二十時間くらい?」
『減らしてソレってエルフのお姉さんの一日は何時間あるの?』
起きている時は常に何かしら鍛え続けているライムにとって、修業をしないというのはシモンに嫌われる次くらいに苦痛なのでしょう。とはいえ身体がこれ以上成長しないのもまた困る。こんな生活を続けていたら、まだ十年前後残っているはずの成長期を過ぎても、今と一切何も変わらないという結果になりかねません。
「とりあえず……お昼は食べる」
『当然ですね。あと適度な休憩も必要だと主張するのです』
「ん。十時間に一分くらい?」
『どんな拷問ですか……三、いや、二時間おきに最低十五分の休憩を要求するのです! もちろんライムさんもその通りに休むのですよ?』
「そ、そんなに……」
モモの言葉にライムはひどくショックを受けたような顔をしていますが、これで常態化していたオーバーワークも多少は改善されるかもしれません。退屈で心が死にそうになっていた迷宮達としても、なんとか耐えられる範疇でしょう。
二時間おきの十五分休憩と朝昼晩に一時間の食事休憩、夜は最低八時間の睡眠を。ライムにとっては少なすぎて逆にハードなスケジュールですが、修業という行為に不慣れな迷宮にとっては本来の意味でハードな内容。このあたりが双方が妥協できるギリギリのラインでしょう。
そうしてライムと迷宮達の修業の日々は続きました。
十月からしばらく忙しくなりそうなので更新頻度か一話あたりの量が少し減るかもしれません。どうか気長にお待ちください。




