アイ
もう今から五年以上も前になるでしょうか。
学都がまだ学都になる前の、田舎の鄙びた農村だったこの土地に、天を突く聖杖が突き立てられてまだ間もない頃のこと。
G国主導の都市計画も、まだまだ本格的な着工前。
あちこちの測量やら地質調査やらで訪れた技術者、あるいは今よりずっと未知の要素が大きかった神造迷宮の謎を解き明かすべく訪れた冒険者。そういった外部からの人々によって、元々は開店休業が常だった村の宿はかつてない賑わいを見せていたものの、割合的にはまだまだ元からの村民が大半を占めていた時期です。
『あれ、アイはまたお出かけなの?』
『うん、今日はお芋の収穫をお手伝いする約束をしてるの』
生まれつき会話に不自由しない言語能力や一般知識を与えられていたとえはいえ、迷宮達もまだまだ人々との交流については慎重になっていた頃です。もっと街らしく多くの店や施設が増えてくるまでは、これといって彼女達が興味を持ちそうな見どころがなかったせいもあるでしょうか。
その数少ない例外がアイでした。
『こんにちは!』
「おお、アイちゃん。よく来たね」
「こんな何もない村じゃあ退屈だろう? お父ちゃんの仕事の都合とはいえ、災難だったねぇ」
『あはは……でも、我この村のこと好きですよ? 畑仕事も面白いですし』
「そうかい、そうかい。嬉しいこと言ってくれるねぇ」
「都会の子にはかえって物珍しいのかもなぁ」
当時の村の人々はアイや時折見かける他の迷宮達のことを、外部から訪れた誰かが連れてきた子供だと思い込んでいたようです。その勘違いは彼女達にとっても好都合だったので、少々の後ろめたさはありつつも否定せず利用していたわけですが。
アイは毎日のように村に通っては畑仕事や動物の世話を熱心に手伝い、村の人々もそんな彼女を可愛がっていました。
「不思議とアイちゃんが来るようになってからウシ共の乳の出が良くなってんだ。エサは変えてねぇはずだけどよ」
「おお、ウチの芋もいつもの倍ぐれぇデカくなってたんだ」
『あはは、不思議なこともあるものですねえ……』
「あっはっは、なぁにが不思議なモンかい。ウシや芋だって冴えねぇジジババより可愛い娘っ子に世話されたほうが嬉しいに決まってら」
「わっはっは、そりゃ違えねぇ!」
アイの能力については、この当時の彼女自身もよく分かってはいませんでした。ただ漠然と『近くにいる誰かの希望が叶うようなものなのでは?』と推測してはいましたが。
自分の意思では一切使えず気付いたら勝手に発動していた、らしい。村の誰かから話を聞いて、後から能力が漏れ出ていたと知るばかり。
しかし、家畜や作物の状態が良くなる程度なら何も問題はありません。事情を話せないもどかしさはありつつも、しばらくの間はアイも深く気にすることなく村の人々との交流を続けていたのです。それが間違いの元だったと気付くこともなく。
『あれ、今日はなんだか騒がしいですね?』
「おお、アイちゃんか。いや、なんとゴサックの奴が畑を耕してたら、古い木箱が出てきてな。そん中からとんでもねぇ量の金貨が出てきたんだ」
『き、金貨ですか?』
「おう、チラっと見たが千枚や二千枚じゃあなかったと思うぞ。ゴサックの爺さん、普段から酔っ払うたびに金持ちになりてぇとか言っとったけどよ、いざ金貨の山を見たら目ぇ回してぶっ倒れちまったよ」
『えっ!? だ、大丈夫なんですか?』
「ああ、倒れた拍子にちょいとばかし頭をぶつけたみたいだが、お医者の先生は放っておけばすぐ目覚めるだろうとよ。アイちゃんがそんな心配することはねぇさ」
『そ、そうですね……』
毎日のように触っている畑から、ある日いきなり莫大な埋蔵金が出てくる確率はどの程度のものでしょう。完全にゼロではないまでも、限りなくそれに近い低確率のはず。偶然ではなくアイの能力によるものである可能性のほうが遥かに大きいでしょう。彼女自身にも確証はありませんでしたが。
それでも、このあたりまではまだ良かったのです。
本格的に歯車が狂い始めたのはこの少し先でした。
『ケンカ、ですか?』
「ああ、例の金貨の件らしい。ゴサックの息子連中や余所の村に嫁いでった娘連中が揉めに揉めてな。普通なら領主の男爵様に仲裁を頼むんだが、今は用事で王都に行っててな」
ある日突然大金を掘りあてて大金持ちになりました。
めでたしめでたし……なんて平和な形にはいきません。
埋蔵金の所有権、土地の所有権、相続権、税金の支払い、人間関係のしがらみや法律上の解釈……全部を丸く収めるには、この人間社会というのはあまりに複雑怪奇で面倒臭い構造になっているのです。
誰もが認める上位者が間に入って仕切りをすれば幾分マシだったのでしょうが、この時期、当時まだ男爵だったエスメラルダ氏は伯爵への昇爵に関わる諸手続きや儀式のために首都まで行って留守にしていました。
そして、いよいよ決定的な事態へと。
「大変だ、ゴサックん家の連中が血まみれで医者に担ぎこまれた!」
「ありゃ、ヒデぇ。何をどうやったら、あんな風になるんだよ……うっぷ、思い出しちまった」
「玄関先まで逃げてきた奴の身体がいきなり宙に浮いたと思ったら、見えない力で引き絞られたんだ。まだ息はあったが、あれはもう助からないだろうな。他の連中の手足も胴体も雑巾を絞ったみたいに滅茶苦茶に捩れてた」
「それだけじゃねぇ、家ん中ぁズタズタだったろ。身体が捩れる前に包丁や農具で殺し合ってたみてぇだ。あの金貨、呪われてたんじゃないか?」
『そ、そんな……そんな……だって、あんなに仲が良かったのに……』
生まれたばかりのアイは人間の心をよく理解していなかったのです。
人の夢は、望みは、希望は、決して綺麗なものだけではない、と。それを理解していたら不特定多数の人々との交流に、もっと慎重になっていたかもしれません。
普段は仲の良い家族や友人とふとした弾みでケンカになって「こんな奴、いなくなってしまえばいい」、あるいはもっと直接的に「いっそ殺してやりたい」と頭の片隅でほんの僅かにでも思い浮かべたことのない人は、いったい世の中にどれだけいるでしょう。
この時の事件について言うならば「他の家族がいなくなれば自分が財産を独り占めできる」のような考えもあったかもしれません。
もちろん、大抵は思い浮かべてもそれを実行に移したりはしません。
多少の時間を置けば冷静さを取り戻し、何事もなかったかのように元通りの関係に戻れる目も十分にあるでしょう。
『治って、治ってよ!? ううん、全部無かったことにして! 元通りの仲の良いお爺さん達に……なんで、なんで叶わないの!? やだやだやだ!?』
しかしアイの能力は想いの大きさに関わらず、周囲の願いをランダムに拾い上げて現実のものとしてしまうのです。誰しもが抱き得る、ほんの僅かな心の闇をも。その対象のコントロールはアイ自身にもできません。いくら泣き叫びながら咽も涸れんばかりに願ったとしても彼女の『夢』が犠牲者を救うことはありませんでした。
『……全部、我のせいだ。我なんて、消えちゃえ』
能力の対象はあくまでランダム。涙も涸れて絶望に沈んだ頃になってようやく、彼女の『夢』は叶ったのです。
◆◆◆
現在。
第七迷宮『愛ノ宮』。
『――――というのが、我の知る限りでの経緯です。細かい部分は端折りましたし、当時の村の人達のセリフとか一部想像も混ざってますけど、大まかな流れは外していないかと』
「ははぁ、結構ハードな流れだね。これは流石の私も茶化せないかな。ところで、そのゴサックさん一家はそのまま……?」
『ああ、いえ。そこはネムの第五に運び込むのがギリギリ間に合いまして、どうにか死者は出ませんでした。あとは女神様が「奇跡」で埋蔵金発見以降の関係者全員の記憶を改変しまして。今はご家族で仲良く学都で暮らしてるみたいですよ』
ゴゴによるアイの過去についての説明も一段落。想像よりも血生臭い内容を受けて、ただ聞いていただけのレンリ達もやや疲れた顔を浮かべています。
ちなみに他の迷宮達が探しに出た時点ですでに今の赤ん坊姿になっていたアイは、発見されてから間もなく深い眠りにつき、それからつい最近までこの第七迷宮で一人ずっと眠っていました。
時折、他の迷宮達が様子を見に来ることはあったものの、起きる様子はまるでなし。女神曰く、深く傷ついた心を癒す為、でもあったので姉妹達もあえて彼女を起こそうとはしなかったのです。
「それが今になって起きたということは、心に負った傷はもう大丈夫ってことなのかな? アイ君はどう思う?」
『あい?』
「そうかそうか、全然分からないね」
アイの目覚めが何を意味するのか。
それはまだ彼女自身にも分かりません。
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《おまけ・アイ(ラフ画)》




