おかしなお菓子のおかしな島
「なるほど、これは勝てぬ」
「ん。確かに」
ウルが言っていた『攻撃を当てることができない』理由。
それはすなわち、アイが外見も思考も赤ん坊そのものだから。
もし彼女がその謎めいた能力で周囲を攻撃したとしても、流石に赤ちゃんに斬りかかるわけにはいきません。少なくともシモンやライムには、ここにいる他の仲間達にも心情的に無理でしょう。
『あぅ? あー?』
「ふふふ、アイ君。私の髪を引っ張るのはやめたまえ。あ、こら、そのまま口に入れるんじゃあないよ」
『そうなのよ、アイ。変なモノ食べたりしてお腹壊し……は、しないだろうけどお姉さんの髪の毛なんか食べても美味しくないの。ほら、ぺっ、てするのよ』
「それはそうなんだけど人の髪の毛を変なモノ呼ばわりは微妙に釈然としないね」
『だぅ?』
アイの振る舞いは一見すると人間の赤ん坊とまるで変わりません。
ウルが抱っこしていたのですが、たまたま近くに立っていたレンリの髪に手を伸ばし、そのまま興味本位で口の中へと。そのせいでレンリの髪はヨダレでベタベタになってしまいました。
いえ、ヨダレでベタベタになったように見えた、というのが正確でしょうか。ベタベタになった理由はそれだけではないのです。
「なあ、レン。お前の髪の今食われてたところ、ちょっと色変わってないか? いや、色というか……溶けてる?」
「えっ、嘘!? うわ、え、何これ!」
ルグに指摘されて初めてレンリも異常を自覚しました。幸い変化したのは髪の毛全部ではなく、アイが口に含んでいた毛先の一部だけですが、この変化は無視できません。
「私の髪が途中から飴になってる」
熱した飴を専用のナイフなど使って様々な形に加工する飴細工があります。今のレンリの髪は、その飴細工で作られた糸状の飴のように変化していたのです。それも無理に接着したわけではなく、最初からそういう風に生えていたかのように自然なままの髪と連続して。
「うん、甘い。なるほど、これはアイ君も食べるわけだね。というか髪の毛だったからまだ良かったものの他の部位だったらすごく怖いことになってない?」
『あい?』
レンリも自分で味見をしてみましたが、本物の飴としか思えません。
状況的に考えてアイが何らかの能力を使ったものと思われますが、これが髪ではなく指や耳ならどうなっていたことか。一歩間違えれば相当にグロテスクな事態になりかねません。
『レンリさんの髪を口に入れたアイが、もっと美味しかったらいいのに、と思ったから? 明確な言語に基づく思考ではないんでしょうけど……皆さん、何か食べられる物を持ってないですか?』
「なんだいゴゴ君、こんな時に。ははぁ、さてはキミも私に倣って空気読めない腹ペコキャラ路線でキャラ立ちしようってハラかい? いやまあ別に私のはただの素なんだけど。でも、たしかに最近は姉妹の数が増えてきて何かと押しが強いウル君以外の初期メンは割と影が薄くなりがちではあるからね。いっそ思い切ってキャラ変という手もなくはなかったり?」
『しませんよ! そうじゃなくて、とりあえず他の食べ物を目の前に用意しておけば、アイがわざわざ何かを作り変えて食べ物にするリスクを軽減できるんじゃないかとですね』
「あ、なるほど」
各々ポケットや手荷物を漁ると、チョコレートやクッキーやキャンディなど、それなりにまとまった量のお菓子が出てきました。迷宮内では何かにつけてよく歩き回ることになるので、カロリー補給のためにお菓子や軽食を常備しておくのは迷宮に慣れた人間にとってはセオリーのようなものなのです。
「あ、あの……アイちゃん、果物も、食べる……かな?」
『ええ、問題ないと思いますよ。それでは手の空いてる皆でこの辺りに生っている果物を集めて、それと、そのままでは食べられない栗なんかは焚き火を起こして焼いてしまいましょうかとキャラの薄くない我は提案します』
「ゴゴちゃん、さっき、の……気にしてる?」
ともあれ、第七迷宮の調査をするにせよアイの信頼を勝ち取るにせよ、ひとまず食べ物を山ほど用意して肉体を食べ物に変えられるリスクを下げるというのは有効な手のように思えました。
もしかしたら魔法や呪いへの抵抗力が一定以上高ければ自然と能力の影響を弾けるのかもしれませんが、それはあくまで楽観的な推測に過ぎません。まさか実際に実験してみるわけにもいきませんし、今は思いつく限りの用心をしておくしかないでしょう。
お菓子の包装を開けて食べやすいようにし、周囲の果樹から採ってきた果物の皮を剥いて小さく切り分け、万が一にもアイが火傷しないように少し離れた位置で焚き火を起こして栗の実を焼いたりなど。一見すると秋の野山でキャンプかハイキングでも楽しんでいるかのような牧歌的な光景です。
『わぁ、きゃっきゃ』
「ふふ……チョコ、気に入ったみたい……あ、口の周りベタベタ……ほら、アイちゃん、お口を拭きましょうね」
『あいっ』
「へえ、上手いもんだねルカ君」
「えへへ……弟が小さい時に……慣れてる、から」
今この場にいるメンバーで、最も赤ん坊の相手が上手いのは意外にも、あるいは順当にもルカでした。弟のレイルがまだ幼い頃、出産直後に亡くなった母の分まで父と兄妹とで協力しながら一通りの子育ては経験しているのです。
次点はルグ。彼は一人っ子ですが、故郷の村では近所の子まで面倒を見るのが当たり前だった経験ゆえでしょう。その下には迷宮達と、魔王一家の子供達が生まれたばかりの頃を知っているシモンとライムが大体同列で続きます。
「ふっ、私に赤ん坊の面倒など見れると思っているのかい? 抱っことかしたら落としそうで困るし。私のひ弱さを舐めてもらっては困るね」
『ここまで自信満々に言い切られるといっそ清々しいの』
ちなみにレンリはダントツの最下位。
ただでさえ末っ子な上に、親戚や友人の赤ん坊も大抵は専任の子守り係が面倒を見るのが当然の環境で育ってきたレンリには、あまり期待しないほうが良いでしょう。
「で、迷宮の皆。そろそろ少しくらい教えてくれてもいいんじゃない? アイ君の力は、願いを叶える能力……ではないんだよね? でも私の髪が飴になったのは多分だけどアイ君が美味しくなれと思ったからで」
『ええ、それでは僭越ながら影の薄くない我がお答えしましょう。とは言っても、あくまで過去の例から推測したものですが。我々はアイの能力について「夢を現実にする能力」だと仮定しています』
「将来の目標とか希望? それとも夜に見るほう?」
『どちらもです。他にも「夢を現実にする」ではなく「夢と現実の境界を曖昧にする」か「現実を夢で侵食する」、「夢と現実を一つに混ぜ合わせる」などとも言えそうですが』
「分かったような、分からないような」
『実際、我々も正確に把握してるわけではありませんから。アイ自身も、まあ見ての通りの赤ん坊なわけですし。彼女も元々は他の姉妹と同じくらいの姿で普通に会話も思考もできたんですが』
「え」
ゴゴが気になることを言いかけた、その時です。
バチッ、と大きな音が鳴り響きました。
「ああ、焼いてた栗の実が爆ぜたのか。で、ゴゴ君、話を戻すけ……え?」
ただ焚き火に入れていた栗が爆ぜただけ。
ほんの、それだけのことだったのですが。
『びぇぇぇあぁぁ!』
「あ、アイちゃん……!? び、びっくり、しちゃった……の?」
大きな音に驚いたアイが泣くのと同時に異変が発生しました。
清く澄んでいた湖が瞬く間に真っ黒に染まり、そこから続々と奇妙な生き物が上陸してきたのです。堅牢なるクッキーの鎧兜に身を包み、鋭利な槍や剣はキャンディ製、筋骨隆々のチョコレートの肉体は優に全長十メートルを超えるでしょう。甘い香りでむせ返ってしまいそうです。
そんなお菓子の兵隊が一体のみならず、十体二十体と次から次へと小島に上陸し、手当たり次第に暴れ始めました。レンリ達を狙うでもなく、木々も、先程建ったばかりのログハウスも、とにかく目に付くものは手当たり次第。しかも、その数はどんどんと増え続けています。
「ライム!」
「ん」
どう見ても友好的な存在ではないでしょう。
シモンとライムは息の合った動きで、最も近くにいたお菓子の巨人兵に狙いを定めて急接近。音を遥か置き去りにする速さで首を断つべく左右から剣と蹴りとを繰り出したのですが、
「なに!?」
シモン達に負けない速度で身を反らして両者の攻撃を回避。そればかりか手にしたキャンディの巨槍を素早く持ち替え、空中にいて回避の難しい二人を叩き落とさんと不安定な姿勢のまま横薙ぎに振ってきたのです。
「ほう、数を頼みにした雑魚ではないというわけか。見た目で侮った非礼を詫びねばなるまい」
「ん。わくわく」
重力を制御して空中で停止し、反撃そのものは回避したものの、これほどの実力者が相手となると考え方を変えねばなりません。この恐るべきお菓子の巨兵が万が一にも迷宮の外に出たら大変なことになってしまいます。
しかも目の前の一体を倒したところで恐らく同等近い戦力を持つ敵がまだ何十体もいるのです。シモンとライム、そこに迷宮達の総力を結集したところで、果たして勝てるかどうか。
まさしくシモンやライムが夢見たような、今の彼らとギリギリの戦いができるだけの強さを有した強敵達との激闘が始まりました。




