第七迷宮『愛ノ宮』
第七迷宮『愛ノ宮』。
その空間はこれまで見てきた六つの迷宮と比べても、明らかにこじんまりとしたモノでした。便宜上「迷宮」と呼んではいるものの、この第七迷宮で道に迷う心配は無用でしょう。
「へえ、どんな恐ろしい場所かと思ったら綺麗な所じゃないか。別荘でも建てたら良い保養地になりそうだ」
レンリの言葉も半ば本音です。
この第七迷宮の構造は、湖に浮かぶ小島が一つのみという単純なもの。島の大きさは恐らく直径一キロにも満たないでしょう。透き通った湖には様々な魚が泳いでおり、淡水でも生きられるカニや貝の姿もあるようです。
島には栗やクルミ、リンゴやブドウなどの木々が多く生え、ウサギやリスや小鳥達がのんびりとそれらを啄んでいる様子がそこかしこで見られます。
人の姿を見慣れていないからか一行が近寄っても逃げることはなく、むしろ好奇心の強い個体がじゃれついてくるほど。島内に肉食の動物や魔物が存在しない上に豊富な食料に恵まれているため、何ひとつ警戒することなく生き物達が平穏に生きられるのでしょう。
「えへへ……わたし……ここ、好き」
「私はもう少し刺激があったほうが好みだけど、たしかに悪くない。海じゃないけどビーチチェアやパラソルなんか持ち込んだら読書や昼寝が捗りそうだ」
気温は恐らく二十度をやや下回る程度。
暑くも寒くもなく、常に穏やかな風が吹いているおかげか湖畔であるにも関わらず、ジメジメとした印象もありません。
赤や黄の落ち葉が降り積もった地面は上質な絨毯のように柔らかで、大きな起伏もないため実に歩きやすい。散歩を楽しむのには最高の環境でしょう。
「おや?」
島を散策していると、ちょうど先程レンリが口にしたようなビーチチェアとパラソルが置かれているのを見つけました。すぐ脇のサイドテーブルには分厚い本と、まだ淹れたてと思しき湯気の立った紅茶、お茶請けの焼き菓子まで置かれています。
「私達の前に他の誰かが先乗りしてるってことはないだろうし、これは例のアイ君とやらが使ってる物かな。どうやら私と同じような考えに……あれ?」
何気なく置かれた本へと視線をやったレンリが、ピタリと動きを止めました。
『お姉さん、どうかしたの?』
「ああ、いや、ちょっと驚いただけ。たまたま私が今読んでるのと同じ本だったから。金属の加工法による摩擦係数の変化を扱ったモノだね。私が言うのもなんだけど、なかなか渋い趣味で……違う。同じ本なのはそうなんだけど、同じ別の本じゃない」
何気なく手にした本をパラパラとめくっていたレンリが驚くべき事実に気付きました。少々ややこしい状況のため、他の皆は何がどう同じなのか判断するのが遅れましたが。
「これ、私の部屋にあるはずの私の本なんだよ! 貼ってる付箋とか書き込みの位置も内容も全部私のと同じ! 昨日の夜まで読んでて、そのまま部屋に置いてきたはずだけど……ええと、つまり、どういうこと?」
どうにか理屈の筋道を立てるならば、今朝レンリが外出した後に彼女の部屋に侵入して本を盗み、この場所に置いておいたということになるでしょうか。その「誰か」についてはアイ以外に考えられませんが、しかし一体なんのために?
「そうだ、そのアイ君はどこに……ねえ、皆。さっきまであそこにログハウスなんて建ってたっけ?」
「う、ううん……なかったと、思う……けど」
視線を他に向けると、つい先程歩いてきたばかりの道沿いに、立派なログハウスがデンと鎮座していました。それも猟師や木こりが用いる粗末な山小屋のようなものではなく、二階建ての立派な家屋です。
屋根には石造りの煙突が生えていますし、窓ガラスの外から室内を伺った感じからするに、大きな暖炉を備えたリビングや、水回りの設備が完備されたキッチン。二階には大きなベッドが備え付けられた寝室まで一通りの物は揃っているようです。これならば、そう例えば、さっきレンリが言ったような別荘にするにはもってこいの物件ではないでしょうか。
「別荘? 私が言ったから? つまり、この島のどこかにいるアイ君は人の願いを叶えるような力を持っていて、私の希望を叶えてくれた……的な? ウル君、そのあたりどうなってるの?」
『うーん、近いけどちょっと違うの。ここで下手に説明するとかえって危なそうな気もするし、やっぱりアイ本人が力を使うところを見るのが良いと思うのよ』
「ふむ、それでそのアイ君がどこに隠れてるのかは分かるかい?」
『隠れてる気はないと思うの。ほら、そこにいるでしょ?』
迷宮達だけでなく、鋭敏な感覚を持つシモンやライムも彼女の接近には気が付いていました。気付いた上で出方に困ってもいましたが。
レンリやルカが気付かなかったのは、アイが目にも留まらぬ速さで動いていたとか、何らかの能力で透明になったり気配を消していたからでもありません。
ただ単純に、小さかったから。
ちょっと太い木の後ろにいたら、それだけで隠れて見えなくなってしまうでしょう。これまでの六迷宮も小さな子供の姿をしていました。ある意味では今回もそれと同じことですが、これほどの小ささはレンリ達にとっても予想外の展開でした。
『だ、だぁ、ねぇね?』
『うん、ねぇね達なのよ。アイ、よく眠れたかしら?』
『あいっ』
木の後ろから現れたのは、元気にハイハイをする赤ん坊。
人間の成長具合で例えるならば生後半年から一年くらいでしょうか。
髪の色は一見すると銀に近く見えますが、ちょっと角度を変えると赤や黄や緑など、周囲の木々の色へと変化していきます。どうやら髪の一本一本が鏡のように周りの色を映し出しているようです。
『今日はお客さんを連れてきたの。アイ、ちゃんとご挨拶するのよ』
『あい!』
『はい、上手にご挨拶できたの。アイはとってもお利口さんね』
ぽかんと呆気に取られたまま、あるいは何を言うべきなのか分からず固まったまま、ウルとアイとのやり取りを眺める人間達。最後の七人目の迷宮との出会いはこのような形となりました。




