いざ第七迷宮へ
第一迷宮『樹界庭園』。
ウルの本体である迷宮を、ライムは風のように駆けていました。
無数の木々の間をするりするりと。
枝の一本、木の葉の一枚にも触れることなく。
それだけなら注意深くやれば普通の人でもやってやれないことはないにせよ、しかし両目両耳を閉じたままという条件が付けば話は違ってくるでしょう。
「む。まだ遅い」
目隠しとして分厚い布で顔を覆い、同じく遮音性の高い素材の耳栓で聴覚も封じ、その状態で深い森の中をひたすらに走り続けているのです。
頼りとなるのは土や空気や草の匂い。
肌に触れる空気の感触。
空気の密度や湿度や温度。
木々が僅かに内包する魔力。
それら僅かな情報を頼りに周囲の地形を正確に読み取って、即座に実際の動作へと反映。ちょっとでも集中が乱れたら大木に正面衝突してしまいます。その場合、ダメージを負うのは粉々に粉砕されるであろう木のほうでしょうが。
「よし」
この修業を始めて間もない頃に封じていたのは視覚のみ。それでも宙を舞う木の葉を避けきれずに幾度となく失敗を繰り返していましたが、今では加えて聴覚まで封じてもほぼ完全に避けきれるようになってきました。あと二割ほど速度を上げて、通常時の全速力に等しい速さで同じ真似ができれば完璧でしょう。
この調子で次は嗅覚、その先は触覚を封じていく予定です。
後者については封じる方法探しからになりますが、この特訓を始めてからライムの感覚は以前とは比べ物にならないほど鋭敏になり、身体運用や魔力使用の効率性も何倍も向上しています。
現時点のシモンが相手だと分かりませんが、以前に決闘した際の彼が相手であれば、もう十分に余裕を持って勝てるくらいにはなっているのではないでしょうか。
「ん?」
そんなライムの研ぎ澄まされた感覚が、まだ十数キロも先の森の中にいる来訪者の接近を捉えました。
◆◆◆
「シモン」
「おお、ライム。家にいなかったのでウルに居場所を聞いてな、こちらから向かおうと思っていたところだ」
「そう」
合流に時間はかかりません。
障害物のない空中を音速で駆ければほんの十秒以内。
これだけ速度を出せるようになると、魔力消費の大きい転移魔法よりも走ったり跳んだりして向かったほうが速くて疲れなかったりするのです。
そして来訪者とは、これから第七迷宮に行く予定のシモン達。何があるか分からない以上、ライムも含めての学都最高戦力を揃えて臨む判断は正解でしょう。
「へえ、ウル君の迷宮にモモ君の迷宮を?」
『はいはい、こうペタッとモモのやつを貼り付けまして。修業用の一定のエリア内だけ別々の迷宮の性質を二重に持たせてるみたいな感じなのです』
あくまで一部ですが、この第一迷宮のライムが修業地としている一帯は、騎士団の訓練場と同じくモモが自身の本体を展開しており、常時各種『強化』の恩恵を受けられるようになっています。
騎士団でもそうでしたが、この効果があると見る見るうちに自分が強くなるのが分かり、それが面白くてついつい修業に熱が入り過ぎてしまうようです。ただでさえ修業中毒の気があるライムにとっては、これ以上ない遊び場でしょう。
「――――というわけだ。大山鳴動して鼠一匹ということもあり得るが、万が一にも危険がありそうなら万全を期さねばならぬ」
「ん」
「うむ、お前ならそう言ってくれると思っていたぞ」
鍛えて力を得たならば、それを振るう機会が欲しくなるのは自明の理。シモンも、諸国行脚をしてきた迷宮達もそうですが、心のどこかで戦闘に発展することを望んでいるように見えてしまうのは恐らく気のせいではないのでしょう。
ただ、例えそうだとしても。
『戦いになるとしても相手になるのは多分アイじゃないと思うの』
「そのアイ君とやらは使い魔なんかを操る能力があるのかな。それとも第七迷宮内に強力な魔物がひしめいているとか? だとすれば今からでも仮病で早退させてもらうけど」
『うーん、なんていうか説明が難しいの。あと一人だけ逃がさねぇの。ただ一つ言っておくと、我たちも、シモンさんもライムさんも、アイに対しては絶対に攻撃を当てることができないと思うのよ』
「回避や防御向きの能力ってことかい? いや、それだとウル君達がそんなに危険視するはずないか。迷宮としては未覚醒のはずだし、単純な出力では他の皆よりも下だろうし」
正直、ウルも妹達もアイの能力について全てを把握しているわけではありません。それどころか創造主である女神も、当のアイ自身すらも間違いなく理解していない。そう断言できる理由があるのです。
何をどこまでできるのか。下手に予備知識を与えると、かえって先入観が邪魔をして咄嗟の判断を誤る危険性もあります。聡明なゴゴやモモがあえてアイについての情報を出し渋っているのは、単に手持ちの情報が少ないのに加えそういった理由があるからでしょう。
「つまり、いつも通りの行き当たりばったりってことだね」
『そういうことなの』
ともあれ頼りになる味方を加え、今度こそ本当に目的地へ。
第七迷宮『愛ノ宮』へ向けて一同は足を向けました。




