静かなる剣
「どれ、用事の前に俺も軽く身体を温めていくか」
シモンが来たことに気付くや否や、それまで見学者の会話すら耳に入らぬほど懸命に訓練に打ち込んでいた兵達の意識が明らかに変わりました。王族にして上司でもある人物が来たのだから当然とも言えますが、理由はそればかりではありません。
「団長、試合の相手をお探しだか? ハイハイ! オラ、立候補すっべ!」
「なにっ、ペッカー騎士候補生、抜け駆けはずるいぞ!」
「そうだぞ。ここは先輩の俺の顔を立ててだなぁ」
「こら、そう言うお前こそ抜け駆けじゃねぇか!」
急速に腕前を上げたことで自信が付いたのか、はたまた燃え盛るような向上心ゆえか、シモンほどの達人を前にしても臆するどころか積極的に試合相手として立候補してきます。
「ははは、焦らずとも希望する者がいるなら幾らでも付き合おう。では、そうだな、今日は最初は一番に手を挙げたペッカー候補生から。やり方はいつものやつで構わんな?」
「はい! 今日こそ団長から一本取ってやんべ!」
対戦相手が決まると、訓練場内の空きスペースで両者とも木剣を手に向かい合いました。相手のペッカー氏はつい先日にルグからの推薦でシモンの面接を受けて入団したばかりの、まだまだ正式な騎士として認められる前の新参者です。
されど、元々の秀でた素養を現在の成長著しい騎士団の中でグンと伸ばし、早くも団内で一目置かれるほどの実力を身に付けていました。全身に漲る魔力の力強さは魔法の使い手からすれば一目瞭然。これほどの魔力で肉体を強化し、それを巧みな剣技に乗せれば、未だ候補生ながらも他領の正騎士が十人束になっても敵わないほどの戦闘能力を発揮することは想像に難くありません。
「あ、思い出した。あの大会に出てた人か……って、シモン君?」
なんとなく流れで見学を続けていたレンリ達ですが、彼女らもここでようやく違和感を覚えました。強い魔力で高倍率の身体強化を使用している相手と比べれば、その差は歴然。
なにしろ、シモンの身体からはそうした魔力が一切感じられないのです。当然、身体強化も使用していない状態です。
自然体であっても強大な魔力を纏っている彼がそうしているということは、わざわざ意識して力を抑え込んでいるということになりますが、その意図となるとさっぱり分かりません。シモンの性格上、格下相手だからと舐めて手を抜いているということもあり得ないでしょう。
「ウス! 先手はもらうべ。チエリャァァ!!」
シモンの意図は間もなく分かりました。
裂帛の気合と共に脳天目がけて放たれた上段斬り……と見せかけて途中で器用に剣の軌道を曲げての左袈裟切り……と見せかけてからの、本命は木剣を握る手首に向かう小手狙い。一連の動作全てを含めても一秒に満たない時間に行われていました。
「ふ」
対するシモンは二重に重ねられたフェイントを見切り、打ち込まれた木剣を自身の木剣で受ける。そこまではおかしいことではありません。彼ならば、その程度は百回やって百回とも難なく成功させるでしょう。
もっとも、それはペッカー氏も想定内。初撃の不発を引きずることなく、次から次へと幾重にもフェイントを交えた打ち込みを繰り出し、徐々にそのペースを上げていきます。
……。
…………。
………………。
「あれ?」
「なんだか……あれ、なんだろ?」
ここでまた違和感が。
剣術についてはちょっと齧った程度で素人の域を出ないレンリやルカには、その違和感の正体に咄嗟に思い至りませんでした。が、時間がある日は一人でも訓練場に顔を出して試合などしていたルグには一目でその正体が分かりました。
いえ、一目というのは物の例え。
正確には、一聴や一聞とでも言うべきでしょうが。
「すごいな、シモンさん……硬い木剣をガンガン打ち合わせてるのに全然音が鳴らない」
「あ、そうか! 音が鳴ってなかったんだね。彼のことだから『音』を斬ってるとか?」
「いや、違うと思うぞ。まあ、それもできなくはないんだろうけど。アレ、純粋に剣の技術だけでやってる、と思う」
「は? なんて? なんで?」
考えてみれば単純な物理現象です。
相手の剣がどの角度からどれくらいの力と速度で向かってくるかを誤差一ミリ以内――いえ更に一桁か二桁小さいかもしれませんが――正確に見切って、必要なだけ剣を引き、そっと優しく受け止める。ゆっくりと、スローモーションでやれば常人でもやってできないことはないでしょう。
一見すると激しく剣を打ち合わせているように見えますが、恐らくペッカー氏はほとんど手応えらしい手応えを感じていないことでしょう。まるでフワフワした綿の塊でも打っているような気分でいるはずです。
これを魔力を完全に抑えて、筋力はもちろん動体視力や思考速度の強化もしていない素の状態でやり切っているというのだから堪りません。実際、単純なスピードそのものは身体強化を用いているペッカー氏のほうがシモンより何倍も速いのです。
肉体を強化していないということは、僅かにでも見切りを誤れば大怪我は免れないでしょう。一見危なげなく見えてしまいますが、この「縛り」はシモンにとっても決してラクな稽古というわけではないのです。
大怪我の緊張感や危機感をもって限界以上の集中力を引き出すことで、より一層剣技が冴えていく。しかも相手となる団員達は、日増しに大きく強さを増していくのです。同等以上のペースでシモン自身も強くなり続けねば、こんな無茶はとても続けられません。
「うむ。先日したアドバイス通り、熱くなると狙いが対手の右半身に偏る癖に気を付けているようだな。だが」
「おわっと!?」
「かといって、右を狙わなすぎるのも考え物だぞ。よく意識して、されど意識しすぎぬように」
「うーん、なかなか難しいべ」
左脇腹狙いの横切りに対し、シモンが上から抑えるようにして力を加えて剣の向かう方向をズラしてやると、ペッカー氏は自身の剣の勢いに振り回されるようにして転倒。世にも珍しい、剣による投げ技といったところでしょうか。これにて決着となりました。
以後、他の騎士や兵士に対しても同じく。
長剣ばかりでなく槍や戦槌、短剣、大剣、盾持ちや二刀流など、様々な相手に肉体を強化せず純粋な剣技のみで向き合って、ころりころりと同じように地面に転がしていきます。
その過程で相手の長所や短所を指摘し、的確なアドバイスを送るまでが一連の流れ。これを毎日のように繰り返していたら、それは急速に強くもなるでしょう。シモン含め。もっとも、それもまた様々な強くなる要因のうちの一部でしかないのですが。
「俺もいいすか」
『我も! 我もやりたいの!』
「はっはっは、構わんとも。順番待ちの列に並ぶがよい。誰か木剣を貸してやってくれ」
一通りの希望者を見終えた後で、オマケとして飛び入り参加を希望していたルグやウルにも同じように相手をし(ウルは剣で戦うほうが弱いのでギリギリ成立した形ですが)、これでようやくシモンのウォーミングアップも終了したようです。
最後は、これは普段はやらないのですが、今日だけは例外的に。
まあ、ちょっとしたミーティングのようなものです。
「さて、それでは先日通達してあった通りだ。この場にいる者は今より二時間の休憩を取った後、完全武装の上で中央市街区の広場に集合。不測の事態に備え、聖杖を取り囲み陣を敷いた状態で待機せよ。万が一の場合は戦闘よりも住民の避難を最優先とするように。では、解散!」
こうして指示を出し終えたシモンが合流し、レンリ達は第七迷宮が待ち受ける聖杖へと向かいました。もっとも、今すぐ直行するわけではありません。あと一人。シモンと同じくらい強力な助っ人を拾ってからのことになりますが。




