閉廷! ぐだぐだ宗教裁判
『――――判決、死刑!』
H国の裁判所にて。
開廷からほとんど間もなく、木槌の乾いた音と共にそのような宣言がなされました。
「こらっ、被告人! 裁判長席に入っちゃいけません! あと勝手に適当な判決を下さないように!」
『あはは、これ一度言ってみたかったの』
もちろん裁判長席に忍び込んだウルが勝手に下した判決に、法的効力などあるはずもないのですが。
どうやら普段来ることのない施設に遊びに来て、若干テンションが上がっているようです。緊張感の「き」の字もありません。
もっとも、ある意味でそれはウルだけに限った話ではないのですが。
なにしろ、この裁判自体がそもそも仕組まれた茶番劇なのです。
無罪が確定しているのは大前提。その上で如何にしてウルに自身の『使徒様』らしさを認めさせられるか、言い換えるなら自己肯定感を持たせられるかというのが本当の目的なわけです。
「やあ、お嬢さん方。この前は探し物を手伝ってくれてありがとうよ」
『あ、漁師のおじいちゃんなの!』
そのための証人も呼んであります。
先日の老漁師や病院にいた医師や患者、魔物に襲われそうになったところを助けられた人々など。全部で十人ほど。もちろん全員に話は通してあります。
「―――と、このように彼女達は瀕死の患者を瞬く間に治してみせたのです。現代の如何なる医療技術や治癒魔法をもってしても、同様の治療は不可能。裁判長、この奇跡を神の御業と言わずして何と言いましょうか?」
「うむ、証人よ下がりなさい。多くの人々の目の前での人知を超えた奇跡。しかも対価を要求することもしないとは、まさしく偉大なる神が遣わした方々としか思えない……と愚考いたしますが?」
仕込みではあるものの、証人達が助けられたエピソードそのものは本物です。多くは複数の人間がいる場所で突発的に発生した事例ですし、詐欺師による自作自演などではあり得ないと、早々に結論も出ています。
傍聴席の人々も半ば演技ではなく素で感嘆の声を上げています。中には早くも被告人席の迷宮達に向けて手を合わせて拝む者までいました。
『うーん、そう言われても何か違うのよね?』
しかしウル自身も上手く言語化できないようなのですが、それらの行為の見返りとして神の遣いと認められることに、どうも据わりの悪さを感じている様子。いくら証人や傍聴人が彼女達の偉業を称えようとも、これでは何にもなりません。
一体全体どうしたものか。
今回に限って妙に頑固なウルは、いくら感謝や称賛を浴びようと首を縦に振ろうとしません。次第に裁判所にいた人々は、そして迷宮の姉妹達も、精神的に疲弊しきってしまいました。
その事態を打開したのは意外な人物でした。
いえ、ヒトではないのですけれど。
『――――ふふ。ウル、貴女は間違っていませんよ』
『あっ、女神様なの!』
突然、裁判所内にオーロラの如き金色の光が渦巻いたと思ったら、空中に美しい女性の輪郭を描き出していたのです。
あくまでぼんやりとした輪郭のみ、容姿の細部までは見て取れませんしウルを除いた皆には声も正確には聞き取れませんが、それでもその存在の放つ神々しさを見間違いようもありません。
この場にいる神聖国の人々は、神の御姿をその目に焼き付けるべく目を見開くか、あるいは畏れて顔を伏すか。反応は大きく二つに別れましたが、いずれにせよこの状況では一言も言葉を発することができず固まっていました。
『女神様、その格好はどうしたの?』
『うふふ、最近あちらの世界ではAR(拡張現実)というのが流行りだそうで。ちょっと面白そうだなーって思って、お試しでここにいる皆さんの認識系をハックしてみたんですよ。普段使いするにはちょっとコスト重めですけど、そこは諸々の解像度を落とすことでデータ容量を絞って何とかって感じで。こういうコストを削る小技を色々覚えておくと後で役立つと思いますよ』
『へえ~、参考になるの』
『目的はコスト削減でしたけど、防諜のためにも使えそうかもですねぇ』
現在、ウルを除く迷宮達含め、この場にいる人々に彼女達の会話は正確に聞こえていません。声を届ける相手をあえて絞っているためです。しかし通常の声のように空気の振動を介してのものではなくとも、光の波動のようなものが空間に波打っていることは見て取れます。
また、今はウルの発する声も同様の現象に置き換えられているようです。女神とウルが何らかの未知の方法で意思疎通をしていることは誰にでも理解できました。
『あ、そうそう。あんまり長く維持できないので単刀直入に言いますね。ウルがどこか納得できないのは、他の誰かにできるようなことをしただけで神の遣いと認められるのは心苦しい、みたいな感じでしたっけ?』
『うん、多分そんな感じだと思うの。違うのかしら?』
『いいえ。ウル、貴女の迷いは正しいものです。神の遣いでも、それこそ神そのものだろうと同じことですが、何かをしたから“そう”だ。あるいは何かをしたから、しなかったから“そう”ではない。そのような考え方が、そもそも根本からして間違っているのですよ。わたくしの信条として人々との関係性を重んじてはいますが、自らの存在証明までを委ねてはなりません。我々は、ただ在るだけで我々なのですから』
『……うーん、全然分かんないの。哲学ってやつなのかしら?』
『いいのですよ、分からなくても。ただ、その迷いを忘れることなく、迷いを迷いのままに胸に留め置けばいつの日か腑に落ちることもあるかもしれません』
『ええと、つまり……このモヤモヤした感じは無理して解決しなくていいってことなのかしら?』
『ええ、その通り。無理して解決しなくてもいいのです。ウルはお利口ですね』
『えへへ、それほどでもあるの』
会話は精々二、三分ほどのことだったでしょうか。
ウルに追加で姉妹達への言伝を預けると、女神は最後にこれだけはこの場の普通の人にも聞こえる声で、
『この地の人々に幸多からんことを』
と、一言伝えてそのまま姿を消しました。
◆◆◆
その後のH国は実に慌ただしい状況となりました。
なにしろ自分達が崇める神が目に見える形で降臨したのです。
国王を含むごく少数の神殿幹部は神子については知っていましたが、人間の肉体を依代として現世に干渉するのではなく神が神のままに現世の人々の前に姿を現すなど歴史書を紐解いてもほとんど例がありません。
元々の宗教裁判など有耶無耶のままお開きになり、国中の神官という神官を上から下まで残らず集めて、緊急の祭事を執り行うことが決定されました。王城や神殿の者達はその準備にかかりきりです。
『結局よく分かんなかったけど、よく分かんないままで良いよって言ってたの』
『ははぁ、そういうものですか』
今や女神のオマケみたいなものですが、迷宮達も神の使徒であると正式にH国および神殿の本殿により認定されました。
耳の早い貴族連中から王城に大量の贈り物が届いていますが、下手に受け取ると後が面倒臭そうなので、途中からはロクに見ることもせず全部お金に換えて貧しい人々や慈善団体に配るように言ってあります。
今後、他の国々や神の降臨を目にしていない他国の神殿に通達する際に多少のゴタゴタはあるでしょうが、自分達にも聞こえる言葉で『この地の人々に幸多からんことを』と言われたこの国の人々に怖い物はありません。
ちょっと信仰キメすぎてハイになってる様子が怖かったりもしますが、まあ総合的に見れば概ね問題ないのではないでしょうか。
『それで姉さん。女神様から何やら伝言があるということでしたけど?』
『あ、そうだったの。えっとね』
ひとまず、この地で迷宮達の諸国行脚は一段落。
一旦、学都の地に戻って女神から託された仕事を果たさねばなりません。
『第七迷宮がそろそろ目覚めそうなんだって』




