簡単すぎてもそれはそれで困る
『つまりですね、我々の存在はそれそのものが既存の宗教観を破壊しかねない爆弾みたいなものなんですよ』
お昼頃。
H国の港町にある眺めの良いレストランにて。ゴゴは他の姉妹に、そして監視役の侍女や兵士に向けて自説を説いていきました。
『これまで何百年も何千年も、あるいはそれ以上に長い間、その時々の世情に合わせて多少の変更は加えながらも、ある程度決まった「型」に沿ってこの世界の神話や信仰は在り続けたわけです。しかし』
今になって新たな異物が現れた。
いえ、異物として扱うべきかも未だ不明瞭なのですが。
既存のあらゆる神話や聖典でも語られることのなかった、最新の一ページ。すなわち『使徒様』こと迷宮達の存在です。
神によって生み出され、その意に従って地上の人々を救って回る。
と、一見すると良いことばかりに思えますが、だからといってそんな世界の大半の人にとっては降って湧いたような新キャラが、歴史ある神話の一部として認められるかは別の話です。
文化というのは世代を超えて受け継がれ、個々の限界を超越して発展を続ける人間の偉大な力ではありますが、その価値が大きければ大きいほどに変更や改善を許容しにくくなるような面もあります。
宗教もまた文化の一形態。
個々人の社会的立場や性格によって左右されることはあれど、大まかな傾向としては既存の信仰を重んじる人であればあるほど、そこに『使徒様』のような要素が唐突に組み入れられることに拒絶反応を示すのではないだろうか。ゴゴはそのあたりを懸念していました。
『我々としても、力で脅しつけて無理矢理に認めさせるようなやり方は不本意なんですよ。昨日の魔物については、やむを得ない形ではありましたけど』
今この神聖国の一部の人々に対してそうなってしまったように、圧倒的な力の差を見せつけて逆らう気を根っこからへし折ってしまうようなやり方は、迷宮達としても本意ではないのです。
単に気分の良し悪しだけの問題でなく、現実的な損得の問題においても同じこと。表面上は彼女達を恐れて素直に従っているように見えても、内心では反抗心が燻っていたり、そこまでいかずとも恐れるばかりで敬意に欠けるようでは、人々から得られる信仰心の質や量に悪影響が出てしまいます。
畏敬もまた信仰の一形態ではあるものの、女神から聞いている話を素直に信じるならば、神と人とは一方通行ではなく相互に影響を与え合うような関係にあるわけで。
深い恐怖を伴った畏敬をあまりに多く向けられたら、最悪、神の側がその影響によって人々を恐怖によって虐げることを良しとする悪神になってしまう可能性すらあります。迷宮達だって、そんな存在に成り果てるのは御免です。
まあ迷宮達がただの『使徒様』ですらなく、本当は次世代の神々候補だということは監視の面々には伏せてありますが、ゴゴの言いたいことは概ね伝わったようです。
『できれば人間の皆さんが自発的に、恐怖で脅しつけるようなやり方ではなく、純粋な感謝や尊敬や親愛によって我々の存在を支持していただけるようになればいいなぁ、と』
ここまで言って、ようやく目の前の監視役の人々の恐れも薄れてきたようです。ゴゴが喋っている間ずっと、普通の子供のように口の周りをソースで汚しながら、口いっぱいにシーフードのピザやパスタを頬張っていたウルのおかげもあるかもしれませんが。
『というわけで、食事が一段落したら向かいましょうか』
幸い、この神聖国はお国柄ゆえか、学都や地下帝国と比べても特に伝統的な物や信仰を重んじる人が多い様子。近年の観光業重視のような転換はあれど、人間の内側に根付いた部分までは早々変わるはずがありません。
『使徒様』という新キャラを神由来の存在として認めるのには、表面上はどうあれ内心の抵抗感が強い人は少なくないことでしょう。だからこそ、今後まだ訪れていない他国で活動する際のリハーサルの場として都合が良いのです。
そんな思惑を抱きつつ、食事を終えた一行はあらかじめ決めておいた目的地へと足を向けました。
◆◆◆
一行が向かったのは港町にある病院。あまり大きな建物のない町の中ではひときわ目を引く、レンガ造りの三階建ての施設です。
漁業が盛んな地域とあって、魔物に襲われずとも怪我人が運び込まれるのはしょっちゅう。魚を加工するための刃物の扱いを失敗したとか、気の荒い漁師同士のケンカがエスカレートしたとかの話は枚挙にいとまがありません。
軽い怪我であればわざわざ医者にかかることもなく、適当に舐めて包帯代わりの布で縛って放っておくだけというケースも少なくないのですが、時には一刻を争う重傷者が出ることもあります。運が良いのか悪いのか、今日がたまたまそんな日でした。
『くすくす。はい、これでもう大丈夫ですよ』
「おおっ、あれほどの重体患者が一瞬で!」
船の整備中、足を踏み外して帆柱のてっぺんから落ちた漁師。病院に担ぎ込まれてきた時は全身の骨が砕けて内臓にまで損傷があったのですが、ネムにかかればその程度の治療は擦り傷と大差ありません。
急患を一目見ると同時に半ば諦めていた医者など、顎が外れそうなくらい大口を開けて驚きつつ、感動するという器用なリアクションを見せていました。
『ついでに、他の皆様も』
更にネムが力を振るうと、院内の待合室にいた人々や長期療養のため入院していた患者まで、一人残らず健康体に。まさに神業としか思えない所業です。
「な、なな、なんという……!?」
「あれって昨日魔物を倒した子達じゃない?」
「まさか、『使徒様』の噂は本当だったのか!」
「あん、その『使徒様』ってのは何のことだ?」
「大陸の西から来たって奴が言ってたんだけどよ――――」
恐らくは学都から来た者から『使徒様』の噂が広がりつつあるのでしょう。ネム達が自分から何か言うまでもなく猛烈な勢いで院内の隅々までその噂が届き、迷宮達を一目見ようと診察室にまで押し入ってきてしまいました。
本来止めるべき立場の医者や看護師でさえ、一緒になって拝むほど。なにしろ自分自身の身体でもって、実際に奇跡のような現象を体験したばかりなのです。普段であれば荒唐無稽にしか思えない『使徒様』の噂も、この状況なら信じざるを得な――――。
『これじゃあダメなの。ダメダメなの』
『あら、ウルお姉様? ダメダメですの?』
ですが、ここでウルからのダメ出しが入りました。一人残らず健康体になった人々からすると、まるで意味が分かりませんが。
『まったくもう、ネムったらうっかり屋さんなの。ちゃんと打ち合わせ通りにやってくれないと』
『ええと、姉さんの言っていることを皆さんに説明するとですね……』
元々の予定ではネムの治療は、一刻を争うような状況の悪い患者や、現代の医術や魔法ではとても回復の見込みがない患者だけに、あえて対象を絞っておくつもりだったのです。
普通に人間の医術で治せる患者までネムが治してしまっては、医療従事者の収入を奪うことになってしまいますし、努力や工夫次第で治せる患者がいなくなれば医学が進歩する機会をも取り上げることになってしまいます。
『つまり手当たり次第に誰でも治すのは、必ずしも皆さんにとって良いことばかりではないのではないかと。今日この場の一回限りならそこまで大きな影響はないでしょうけど』
院内の全員、患者ばかりか居合わせた医者や看護師や付き添いの人間まで、一人残らず身体の悪いところを完全に治してしまったのはネムの勇み足だったわけです。
特に収入や技術を磨く機会を奪われた医者からは、文句を言われても仕方がない。事によってはゴゴ達のポケットマネーから損失の補填をすることさえ考えていたのですが。
「な、なるほど。目先ばかりでなく医学の長期的な発展までも視野に入れた深謀遠慮。感服いたしました!」
「神様に頼りっきりじゃなくて、自分達でできそうなことは自分達で頑張ってできるようになれってことか……深い!」
『ああ、いえ、そうではなく今回のはどっちかというと身内のうっかり失敗みたいなモノでして、あっさり信じられすぎても逆に困るというか……ああもう、誰も聞いてませんね!』
その医者が一番感激して平伏しているのだから、いったいどうすれば良いのやら。今回の主旨からすると、あまりにも簡単に信じられてもそれはそれで困るのです。
ゴゴ達の想定では治療を終えてなお、それが患者とグルになってのトリックであるとか、単に一般に知られていないだけで人の域にある魔法なのではないか……などと疑う者が一人や二人出てくるものだと見込んでいたのですが。そういう懐疑派を説き伏せてこそ意義があるはずだったのですが、この雰囲気ではもはやそんな相手など望むべくもなし。
もし内心で疑いを残している者がこの場にいたとしても、この空気の中で名乗り出たりしたら、下手をすれば不信心者として袋叩きに遭いかねません。やはり全員治すのはインパクトがありすぎたようです。
『もうっ、次行きましょう、次!』
ゴゴ達は逃げるようにして病院を後にしました。




