神聖国史上最大の危機
港町で迷宮達が戦い始めた、まさにその頃。
町から少し離れた、具体的には二千メートルほど西に見える小高い丘に鎮座する、ここH国の王城では大変な騒ぎが起こっていました。
「陛下、大変です! 海から魔物の群れが!」
「物見塔からも同様の報告が入りました。遠見筒により観測した数、およそ千!」
「せ、千体の魔物の群れ、だと……?」
はっきり言って、このH国は一山いくらの弱小国家。
各国において重要な位置を占める神殿の本殿があるため、歴史的価値または宗教的権威についてはそれなりの存在感があるものの、それはこの国の命令一つで他国の神殿組織を自由自在に動かせるような意味合いではないのです。
例えるなら、「本家」や「元祖」といった謳い文句を掲げる食べ物屋さんが、必ずしも業界トップの売上を誇るわけではない、みたいな感じでしょうか。そのジャンルの発祥元として一定の敬意や価値は認められていても、現実的な財力や軍事力がそこに伴うかといえばまったくそんなことはないわけで。
まあ、つまり神聖国の軍隊は数も武装もこの世界基準で平均以下。考えるまでもなく、千体もの狂暴な魔物に対抗などできるはずがないのです。
「と、とと、とにかく民を城の中に入れて籠城しよう!」
この国の王にして神殿長でもあるアゴヒゲの男性は、それでも何とか冷静さを失わずに的確な指示を出そうとしました。
民衆をなるべく多く城壁の内側に匿い防戦に徹する、と。
どうせ正面から戦力をぶつけても勝てないのは目に見えています。ならば兵の消耗を最小限に抑えつつ守りに徹するのは悪い手ではありません。魔物の群れに城が包囲されるより前に友好国に伝令を送れば、救援を望める可能性もあります。まあ城壁が破られるのとどっちが先か、結局は運任せになってしまうわけですが。
元々、熱心な巡礼者が時折訪れるくらいで、あとは漁業によって細々と国としての体裁を保ってきた貧乏国。それがここ数年は大陸横断鉄道の東端の駅ができたおかげで一気に風向きが変わってきたところだったのです。
これまで維持費を喰うばかりだった古い神殿群は立派な観光スポットとして人気を得て、地元の人間はすっかり食べ飽きた魚料理を目当てに内陸国からの観光客が列を成すほど。
まだ少しずつではあるものの国民の収入や生活も上向きつつあって、これからは観光で豊かな国を目指そう……という矢先に今回の騒動です。
今回の魔物が今回だけで済めばまだしも、討ち漏らしや新たに繁殖したモノが近海に定着したりすれば観光どころではありません。国の生命線である漁業すらまともに行えなくなってしまいます。
「陛下、朗報です!」
「ろ、朗報……?」
しかし、そんな絶望的な状況にまさかの報せが。
「物見の報告によると、数人の子供、もしくは子供のような容姿をした妖精種か魔族かもしれませんが、とにかく凄まじく強い子供姿の戦士達が千体の魔物と互角以上に戦っている模様です!」
「こ、子供? ……の戦士?」
報告を受けた国王はしばし思考が追いついていない様子で、呆けたようにぽかんと口を開けていましたが、彼も弱小とはいえ一国を背負う男。
「誰ぞ、遠見筒を持て!」
「は、こちらに」
腹に力を込めて玉座から立ち上がると海側に設けられたバルコニーへと向かい、臣下より受け取った遠見筒越しに迷宮達が戦う様子を目にしました。目にしてしまったのです。
後から思えば、わざわざ自分の目で戦いぶりを見ようとなどせず勝利の報告だけを受け取っておいたほうが良かったのかもしれませんが、もはや後の祭り。
「本当に子供が戦っておる……いや、なんだあの強さは!?」
千体の魔物『シャークヘッド・ルサールカ』は、腐乱した水死体の頭部だけをサメのそれに挿げ替えたような醜悪な姿。遠く離れた王城からだと麦粒のように小さく見えますが、周囲の建物との対比を考えるとその体高は3~5メートルはあるでしょう。
軽く手足を振り回すだけで石造りの家屋が砕け、サメ頭による噛みつきはただの一噛みで漁船に大穴を開けて沈めるほど。この国の兵士では相手が一体だけだとしても何十人がかりで包囲して勝てるかどうか、それも少なくない殉職者を覚悟してようやく……くらいの強さです。決して弱い魔物が群れているわけではなく、一体でも脅威となる魔物が大量に現れたからこその今の騒ぎなのです。
その『シャークヘッド・ルサールカ』が宙を舞っていました。
迷宮達に殴り飛ばされて全身バラバラに砕かれながら、何百メートルも先の海へと吹っ飛ばされて。幼女達が腕を一振りするたびに最低でも十体は巻き込んで。
ただ殴って吹き飛ばすだけではありません。
ゴゴの刃やモモの髪の間合いに入った魔物は瞬時に肉体を微塵に刻まれ、まだ距離のある相手に対してもヒナが海水を操作して放ったウォーターカッターで同じように。
しかもよくよく見てみれば、彼女達は家屋や船を壊さないよう、敵を吹っ飛ばす方向や攻撃の威力を調整する余裕まであるようです。先に壊された分についてもネムが次々と『復元』しています。
「な、なあ将軍よ。あれは魔法なのか?」
「さ、さあ? ある種の妖精族には決してヒトには見せぬ秘密の技が伝えられているなどという与太話もありますが……」
「つまり何も分からぬということか。あ、いや、貴様を責めておるのではないぞ。あんなすごいの分からなくて当たり前だ。今はあの幼い戦士達が味方であることを喜ぼうではないか」
「然様ですな。情けない話ですが彼女達のおかげで我々にも体勢を立て直す時間の余裕が生まれた様子。下手に助力をしようにもこれほどの実力差があっては足を引っ張るだけでしょうし、兵達には民と観光客の避難誘導と、万が一に備えた防衛線の構築に専念させることとします」
彼らからすれば未だ正体不明ながらも、心強い味方を得た心の余裕のおかげで平常心を取り戻すことができたようです。
戦闘の最前線は丸投げして、民衆や観光客の避難誘導と、万が一の討ち漏らしがいた場合に備えてのバリケードの構築など、自分達にできる範囲での最善を尽くすべくテキパキと動き出しています。
「ぬおっ、魔物が妙な動きを!?」
魔物の残りが二割を切ったあたりで変化が起こりました。
遠見筒がなくとも一目瞭然、城のあちこちから悲鳴が上がっています。
まず生き残りの魔物が、迷宮達を無視して一斉に手近な味方へと噛みつき、凄惨な共食いを始めました。それだけならまだしも共食いをした魔物は更に別の生き残りへと齧りつき、また更に……と共食いを繰り返し、その度に巨大化。最後の一体だけが残る頃には、元の千体を丸ごと捏ね合わせたよりも大きそうな超巨大『シャークヘッド・ルサールカ』へと変貌を遂げていたのです。
その全長は優に百メートルを超すでしょうか。
どうやら『シャークヘッド・ルサールカ』は残体力が一定ラインを割ると特殊行動の発狂モードに入るタイプの魔物だった様子。高難度のシューティングゲームなどによくいるアレです。
「この国は今日で終わりだ。あんなのに勝てるわけ、が……え、ええ~っ?」
ですが、巨大化ならウルにもできます。
港町を踏み潰さないようにか海へ飛び込んでから変身し、そのまま巨大な手足で殴るわ蹴るわ。魔物側も抵抗の意思はあるようですが、サイズこそ同じくらいでも根本的なパワーやスピードに桁違いの差があるのです。いくら伝説だろうが所詮は本能に任せて暴れるだけの野良魔物。筋力差をひっくり返せるほど高度な格闘テクニックなど望むほうが酷というものでしょう。
トドメは、巨大ウルが同じく巨大剣へと変化したゴゴを握り締めて脳天から股間まで一刀両断。勇者ならぬ迷宮では聖剣の本領を発揮できませんが、格下相手ならこれでも十分。
ついでに聖剣にデフォルトで備わっている不浄を祓う効力のおかげか、巨大なサメ頭以外の首から下は聖なる力で浄化され、水が蒸発するかの如くあっという間に消滅してしまいました。あの大きな死体がそっくりそのまま残ったりしたら悪臭や伝染病の発生源になる恐れもありましたし、これは望外の幸運と言えましょう。
と、このように。
せっかくのモードチェンジにも関わらず伝説の魔物『シャークヘッド・ルサールカ』は特にこれといった見せ場もないまま、その命を終えることとなったのです。半分アンデッドみたいな魔物が生きていたと言えるのかというと微妙な線ですが。
ともあれ、こうしてH国は未曽有の危機から救われました。
そして、この国の首脳陣の試練はここからが本番でした。




