東の果てで
まあ少々のトラブルというか珍妙な研究テーマを巡っての一部講師の暴走はありつつも、エスメラルダ大学校の短期集中講座は概ね好評のうちに進んでいました。
「――と、このように術式で体内で分泌される成分に手を加えることで、齢八十を超えてもこのような身体作りができるわけじゃな」
今は早くも最終日である五日目の夕暮れ時。
レンリの祖父である老賢者が講義をしているところです。
懸念された通りに受講希望者が多すぎて、立ち見を含めても大教室に人が収まり切らなかったため、本来はスポーツ競技など行うために整備された校庭に急遽演台とかがり火を置いて授業の場としています。
「無闇に筋量を増やせば良いというものではないが、ワシらの稼業は何かと座り仕事が多いせいか腰痛が付き物じゃろ? 肉体の強化に伴って自然と姿勢が改善されたせいか、腰の痛みとおさらばできたのは望外の成果じゃった」
いくら偉大な賢者といえど、学都には身一つに杖だけ持って来たので講義の事前準備などあるはずがありません。そこでなんと講義が始まるや上半身の服を脱ぎ捨てて半裸姿となり、自らの逞しい肉体そのものを教材として即興で授業をしているのです。
「腰痛と縁を切れるというのは魅力的だ。しかし体内物質の操作とは、いきなり自分の身体で試すのには正直不安があるな」
「うむ、相当の魔力精度が問われる。実行できる者は限られるだろうな。それを事もなげにやってみせるとは、流石は賢者と呼ばれる御方だけはある」
「いきなりそっくりそのまま真似るのは難しそうだが、簡略化した一部のみを適応するなら何とかなるのではないか?」
老賢者が壇上で喋りながらサイドチェスト(※)やアドミナブルアンドサイ(※)やモストマスキュラー(※)をキメていたのが、体質改善術式の有用性をアピールする助けになったのかもしれません(※いずれもボディビルにおけるポージングの種類)。
老いに伴う肉体や頭脳の衰えを恐れる者は学問関係者に限らず、世の中いくらでもいます。むしろ大半の人類は当てはまるでしょう。
その予防や改善が魔法によって可能となるのだと、これ以上ない実例付きで提示されたのだから、最初は大きすぎる筋肉量に恐れおののいていた者達も、いつしか自然と「キレてるよ!」や「肩にでっかい論文乗せてんのかい!」など称賛の声を送っていました。
「学問はやがて老いすらも超越する。諸君らもワシと共に健康的な研究生活を続けようではないか! では、さらばだ!」
最後はそのような言葉でシメ、これにて全ての短期特別講座が終了と相成りました。
◆◆◆
「いや、完全に祖父様に全部持ってかれたよね」
講座最終日の夜、自室に帰ってきたレンリは、そんな愚痴とも感心ともつかない言葉をウルに零していました。どちらかというと感心寄りの気持ちでしょうか。
元々の知名度が違うのだから注目度に差が出るのは仕方ないですし、悔しいという気持ちはそれほどでもありません。
『で、お姉さんのお祖父ちゃんはどうしたの?』
「今日はあのまま知り合いの爺さん連中と朝まで学都中の酒場をハシゴしながら飲み会だって。で、明日の朝になったらその足でそのまま学都を出て、一回実家に顔を出してからまたドワーフの国に戻るってさ。まったく元気だよねぇ」
別れの挨拶は先に済ませてあります。
あの調子だと本当に学問の力で寿命を超越してしまいかねませんし、それを抜きにしてもあの健康ぶり。そのうちまた生きて再会する機会もあるでしょう。
「ああ、そうだ。ウル君にもよろしくってさ。送ってくれてありがとう、って。まあ地下帝国でまたすぐキミ達に会うことになるかもしれないけど」
『あ、別の我たちはもうドワーフの人達の国にはいないのよ?』
「へえ、それは初耳だね」
今のウル達なら外部展開を維持している迷宮を介して、いつでも一瞬でドワーフの地下帝国まで行けるのですが、救国の英雄が迂闊に顔を出してまた終わりの見えない宴会に巻き込まれても困ります。再訪するのは少し間を置いてからにするのが無難でしょう。
「で、今はどこにいるんだい?」
『えっとね、今は大陸の東のほうにある海が見える国にいるの。街の中に真っ白な神殿がいっぱいあったり、お魚が美味しくて良いところよ』
「ああ、大陸の東で神殿が沢山あるというとH国のことかな。神聖国なんて風にも呼ばれてるね。あちこちの国にある神殿の本殿があって、代々の国王が神殿の長も兼ねているとか」
『そうそう、たしかそんな感じの国なの』
レンリが妙に説明臭いセリフで、迷宮達が現在滞在しているらしい国についての補足を入れました。
「まっ、歴史と権威はあるけど国力としては小国の域を出ないし、今じゃよくある観光地って感じ? で、キミ達はそんなとこで何をしてるんだい? 観光?」
レンリの問いに、ウルは呑気な声で答えました。
『えっとね、我も正直よく分かんないんだけど……これから、しゅーきょーさいばん? とかいうのにかけられるって、偉そうなヒゲのおじさんが言ってたのよ?』
「へえ、宗教裁判か。じゃあ、お土産は珍しい魚の干物でも頼むよ」
『はいはい、気が向いたら買っておいてあげるの』
レンリも全然心配していない様子で応えました。




