老賢者、来る
どんがらがっしゃん。
けたたましい音を立てて、マールス邸二階のレンリの部屋に、両腕を翼に変えたウルが飛び込んできました。窓ガラスは見るも無惨に粉々に、それどころか窓枠周りの壁まで大穴が開いています。
まさに大砲でも撃ち込んだような惨状。
もう夜も遅いというのに近所迷惑な話です。
「はっはっは、ウル君このやろう、はっはっは。ここまでの事態だと色々一周して逆にもう笑うしかないみたいになるよね。逆に」
『あっはっは、ちょっとスピードを出しすぎちゃったみたいなの。てへっ』
「ていうかキミ、背中にうちの祖父様乗せてたんだよね? ちゃんと生きてる? 自分の部屋が殺人現場になるのは流石の私もちょっと困るんだけど」
割れたガラスや壁の残骸でいっぱいになったレンリの部屋ですが、不幸中の幸いと言うべきか、老人の惨殺死体は見当たりません。それはそれで衝突直前に振り落とされて、窓の下あたりで潰れているのではないかという懸念は残りますが。
「とうっ」
幸い、レンリの祖父は無傷でした。
というか激突の寸前にウルの背を足場に高々と跳躍し、夜空をバックに空中で華麗なムーンサルトを決めて勢いを殺しながら、レンリの部屋へと見事な着地を決めました。怪我どころか、だいぶ余裕がありそうです。
「へい、レン! 愛する孫よ。元気だったかの!」
「うん、元気元気。ところで、そちらはどちら様かな? 私の記憶によると、うちの祖父様はもっと年寄りらしく腰が曲がった、枯れ木のように貧相な体型のしょぼくれた老人だったと思うのだけど」
レンリの記憶にある祖父の姿はいかにも高齢の魔法使いらしく、とんがり帽子にローブを纏って杖をつき、豊かな白ヒゲを蓄えた痩躯の老人といった容姿でした。
ですが今目の前にいる自称祖父氏は白ヒゲこそ記憶通りですが、ローブが内側から張り裂けんばかりの分厚い筋肉を身に纏い、腰や背筋は天を突かんばかりに真っ直ぐ伸び、大量の鉄材で補強された杖はハンマーのようにしか見えません。
「ほっほっほ、ドワーフの地下帝国で毎日鍛冶のハンマーを振りながら、肉と酒をたらふく腹に入れてたら自然と鍛えられたようでな」
「いやいや、普通そうはならないでしょ。でも、よく見たらその杖? もう杖じゃなくない? まあ、その杖だったらしき物体は確かに祖父様のやつだし、声も同じだし。でも、いくら環境が合ってたにしてもここまで急に変わるかな……? 別人がうちの祖父様を殺して成り代わったとかのほうがまだ納得できそうな……」
「おっと、久々に会った孫に土産をやるのを忘れておったな。ほれ、レン。コレな、飲み仲間のドワーフのジジイが打ったミスリル剣。お前にやる」
「おおっ、これは高名なダサネカ老師の作! わぁい、お祖父様大好きー!」
いくら姿が変わっていても、家族の絆があれば実の祖父を他人と間違えるはずがありません。最初は戸惑っていたレンリも、すぐに祖父の変わりようを受け入れました。家族の絆で。
「まあ実を言うと、純粋に鍛えた以外にも身体強化の継続自動化やら、体内物質の操作とか骨格の構成物質を弄ったりとか色々術式を開発して……と、忘れとった。ワシらが来た時にこの部屋をちと散らかしてしまったようじゃの。ほれ」
祖父氏がハンマーめいた杖を軽々振り回すと、砕け散った建材やガラスの破片が淡い光を纏って宙に浮きました。そしてそのまま瓦礫が部屋の中を飛び交って、立体的なパズルのようにカチリカチリと嵌っていきます。
そうしてほんの十数秒ほどで、廃墟同然に荒れ果てていたレンリの部屋はすっかり元通りになってしまいました。まるでネムの『復元』を人の技術で再現したかのような大魔法です。
「ネムちゃんがやってたのを見て、ワシなりの解釈で術式を組んでみたが……うむ、まあ初めてならこんなもんじゃろ。規模と出力では流石にあの子には及ばんが」
「ネム君の『復元』の再現? えぇ、何それ……どういう理屈なわけ?」
「どういう理屈も何も、あの概念魔法とかいうやつはお前さんが発見者って話じゃろがい。散らばった物から『壊れている』という状態を表す概念を取り除けば現実の在り方のほうが書き換わって元通りになるが道理。なっ、簡単じゃろ?」
「普通は簡単じゃないんだけどね。なるほど……この人、間違いなくうちの祖父様だ。賢者なんて呼ばれてるのは伊達じゃあないか」
仕組みさえ把握すればレンリにも似たような芸当は恐らく可能。
しかし、それには相応の準備や修練が必要です。
ぶっつけ本番で、恐らくはレンリが公開している概念魔法の基礎理論から独自に発展・応用する圧倒的なセンスと経験と知識量。世に腕の立つ魔法使いは数いれど、万人から『賢者』と称されるほどの使い手など世界中に何人もいません。
その数少ない賢者の一人がレンリの祖父。
十数年ほど前、かの勇者リサと旅をした傑物というわけです。
「で、祖父様とウル君達が偶然知り合ってたのは、まあいいとして……ネム君が人前で大規模な能力行使をしたってことは、何か大きなトラブルでもあったのかい? あの子一人ならともかく、ゴゴ君やモモ君も一緒にいたんだろう?」
しかし、遠方の地下帝国で何があって賢者氏とウル達が出会うことになったのやら。あのネムが人前で派手に能力を使った、しかも一緒にいたモモ達がそれを許容したという時点で穏やかな話では済まないはずです。
『どうやら、語らねばならないみたいね。あれは我がでっかい海老を食べた次の日、今度は美味しいお肉を求めてドワーフの人達の国に行った時のことなの――――』
というわけで、回想スタート。




