講座の準備と来訪者
旧知との意外な再会は、レンリにとっても嬉しいことだったようです。
本人は意地でも認めないでしょうけれど、最初は適当な内容でお茶を濁す程度のつもりでいた短期講座の内容も一から練り直し、朝から晩まで自宅と大学を往復しながら準備に掛かり切りになっていました。
「休憩? おいおい、キミらはあの爺さん連中の性格の悪さを知らないから、そんな呑気なことが言えるのだよ。彼らの前で下手な発表でもしてみたまえ、向こう十年は会うたび笑い物にされるのが目に見えているよ」
などと、ぶつくさ文句を言いながらも受講者向けの配布資料を幾度となく修正するレンリは、それでも先日までより活力に溢れている様子。
思えば学都に来てから一年半ほども、人前で研究発表などする機会がなかったわけです。実家に論文やら研究の成果物やらを送って、後のことは知らぬ存ぜぬで押し通すのは気楽ではありましたが、張り合いという面ではやはり自分で発表するのとは比べ物になりません。
「ルー君、頼んでおいたレジュメは?」
「ああ、印刷したやつなら控室に運んどいたぞ。レンは二百部って言ってたけど、印刷室の人が予備分でちょっと多めに用意しといたほうが良いって言ってたから二百プラス十部な」
「良い判断だね。それじゃあ、次からは二百十で頼むよ」
具体的な研究内容についてはさっぱりですが、ルグ達も助手として忙しい日々を送っています。指定された資料を街の書店や大学の図書館から借りてきたり、学内の印刷室に足を運んで講座で使う配布物を刷ってきたり。
この世界においてはまだ新聞社など限られた業種でのみ使われるに留まっている印刷機ですが、『エスメラルダ大学校』に臨時講師として招かれた学者達は、実際に自分達で使ってみてその有用性に気付いたようです。
印刷室には専任の技師が常駐しており、講師やその助手から受け取った物を刷っていくわけですが、手の空いた時間に印刷機の価格や装置の動かし方などについて興味を持った学者から質問を受けたりもしていたようで。この様子だと、そう遠くないうちに各国の学術組織に印刷機が導入されることでしょう。
「ルカ君、ご飯の配達ご苦労さま。おや、そっちのヤツは?」
「他の、博士さんから……ついでに、配達してくれないかって」
「やれやれ、迷惑なら断ってもいいんだよ。なんなら私から言ってあげようか?」
「あ、大丈夫……ちゃんと、配達料もらってるし……えへへ」
ルカは主にレンリ用の食事と、ついでに何故だか他の学者達の食事まで配達するようになっていました。学都の土地勘がない上に講座の準備で時間に追われる彼らにとって、毎日同じ時間に確実に美味しい食事を届けてくれるルカの存在はありがたいものだったようです。
一日でトン単位の食事をするレンリと比べれば、ほんの十数人分、その助手や大学関係者まで含めて最大五十人分くらい増えたところで誤差みたいなもの。かなり割の良い配達料も貰っているようで、ルカも思わぬ臨時収入に喜んでいました。職人街の工房に特注して、料理を運びやすい箱状の入れ物を取り付けた背負子まで作ってしまったほどです。
そんなこんなで各人忙しくも充実した日々を過ごしていると、あっという間に時が流れていきます。何度も何度もボツにしては練り直した講義内容もようやく固まり、いよいよ短期特別講座の開始目前となったのですが……。
夜。レンリの部屋にて。
『ねえねえ、お姉さん。我ね、最近はドワーフの人達の国に行ってたの』
「ほうほう、それは良い選択だね、ウル君。まだ私も行ったことはないんだけど、あの国はお酒と肉料理が美味しいので有名なんだ。地上部分には観光客向けの温泉地とかも多いらしいね」
最近は忙しくて大学に泊まり込むことも多かったのですが、こうしてウルとレンリが互いの近況を話すのは別に珍しいことでもありません。よくある世間話の範疇です。
珍しかったのは、この先でした。
『それでね、そこでたまたま知り合ったお爺さんが、多分なんだけど、お姉さんのお祖父さんみたいなの』
「へえ、うちの祖父様がそっちに滞在してるとは聞いてたけど。偶然キミ達と知り合うとは世間は狭いね。元気そうだったかい?」
『うん、すっごい元気でムキムキしてたの』
「ムキムキ? それはよく分からないけど」
たまたま旅先で知り合った人物が別の知人の身内だった、と。
これだけなら珍しくはありますが、あり得ないとまで言うほどの偶然ではないでしょう。ちょっとだけ驚いて、それで終わる話です。普通であれば。
『でねでね、我がお姉さんと一緒のお部屋に住んでるって言ったら、久しぶりに会いたくなったって言ってて』
「ふむふむ、まあ、そういうこともあるだろうね」
遠方の親類に会いたくなったのであれば、スケジュールを調整してどちらかが足を運ぶか、あるいは待ち合わせ場所を決めて落ち合うか。普通はそんな形を取るのではないでしょうか。
そう、普通なら。
生憎と、この件の関係者に普通の人間は誰もいなかったのですが。
『だからね、我が気を利かせてお祖父さんを連れてきてあげることにしたのよ。今こっちに向けて飛んできてるから、あと十秒くらいで到着するの。ほらほら、窓の前にいると危ないから一歩横にどいてくれるかしら?』
思考が追いついた時にはもう遅い。
三、二、一……ゼロ。
レンリが辛うじて横に動いた一瞬後に、老人を背中に乗せて飛んできた別個体のウルが、窓ガラス及び周囲の壁を盛大に破壊しながら高速で突っ込んできました。
ルーカーイーツ




