レンリ先生と他の先生
そんなこんなで講師を引き受けたレンリは、いつものようにルグやルカを手伝いとしてこき使いつつ、短期講座の準備に取り掛かっていたわけです。
「……というわけで、キミ達には私の助手として働いてもらおう」
「うん、まあ、いいけどな。いよいよ冒険者感が無くなってきたな」
ルグの言うように冒険者らしい仕事では全くありませんが、それに関しては今更。すっかり慣れっこです。授業で説明するのに必要な資料や、概念魔法を実演して見せるための武器を運ぶなど、力仕事もそれなりにあります。
「大学内に印刷機があるとはね。ああ、ルカ君、道はこっちだよ。資料を天井にぶつけないよう注意したまえ」
「う、うん……広くて、迷いそう」
学都の新しい大学、その名も『私立エスメラルダ大学校』は、これから開校を控えた新設校とあって、広大な敷地内には真新しい校舎が立ち並んでいました
位置的には学都の西の端、旧市街地の外にある新市街地の更に一番外側となります。元々、人工物などほとんど見当たらない野原が広がるばかりでしたし、オーナーであるエスメラルダ伯爵の領内とあって思い切った土地の使い方ができたのでしょう。
国内外から集めた膨大な蔵書を収めた図書館や、遠方からの留学生を迎えるための清潔で広々とした学生寮。営業を開始するのはまだ先になりますが、品揃え豊富な購買部や安くて美味しい学生食堂など。
大学の敷地内から一歩も出ずに生活が完結しそうな施設が一通り揃っています。伯爵領の豊富な財源……というよりも、黒字が増え過ぎて使い道を探すのにも苦労している財政状況を少しでも健全化すべく、予算に糸目を付けない大盤振る舞いをした結果でしょう。
「ええと、ここが私に割り当てられた講師控室みたいだね。とりあえず、運んできた資料とか武器はその辺に置いちゃって」
「じゃ、じゃあ……ここに……すごく、広い、ね」
「そうかい? 実家にある私の研究室に比べたら半分くらいだけど、まあ期間限定の講師の待遇としてはそこそこかもね。機材やら本やらを置いたらすぐ埋まっちゃいそうだから腰を落ち着けるには心許ないけど」
「そ、そうなんだ……?」
レンリはこう言っていますが、これについてはルカの感覚のほうが正常です。短期間のみの特別講師に、一時的とはいえこうして専用の部屋が割り当てられるなど普通はまずあり得ません。
他にも、学都に住んでいるレンリは断りましたが、遠方から招かれた他の講師は学内の教職員用の寮を自由に使えますし、講座の謝礼とはまた別に滞在中の生活費や旅費が伯爵家から出ることになっています。
研究費をどう捻出するかに日々頭を悩ませている一般的な研究者から見れば、まさに垂涎モノの好待遇。恐らく、レンリのように研究費に不自由していない一部を除いた特別講師は、必死に教授としての正雇用を目指すのではないでしょうか。
「まだ引き上げるには早いかな? それじゃあ授業で配るレジュメを仕上げて、さっきの印刷室で刷って……いや、その前に一応挨拶回りでもしておこうか」
「挨拶回り、って誰にだ?」
「ほら、ここに来る前に他の講師らしき連中を何人か見かけたろう? ここは一丁、先手を打って乗り込んで、そのついでに良さげな研究資料でもあれば盗み見てやろうかと。私の学術的解釈によれば学都の知的領域はもう実質私の縄張りみたいなものだし? ちょっとショバ代がわりに研究を見せてもらうくらいは当然の権利なんじゃないかなって」
「発想が盗賊! お前、マジでやめとけよ!? いつもの顔見知りだけならギリなぁなぁで見逃して貰えるかもしんないけど、知らない人にソレやったら本当に捕まるからな!」
ルグは必死で止めようとはしたのですが、時すでに遅し。
決して足が速いとは言えないはずなのに、ほんの一瞬視線を逸らした隙にレンリの姿はもう講師控室の外へ。慌ててルグ達が追って外に出た時には手遅れでした。
「やあやあ、そこのご老体。突然だが何か希少な資料か、それとも食べ物を持っていないかな? 大人しく出したほうが身のためだよ」
「な、なっ!?」
レンリがチンピラの如く絡んでいたのは、たまたま廊下を歩いていた見るからに頑固そうな老学者。ルグの見立てでは冗談など一切通じそうにない人物でした。
せっかく荷物を運び込んだばかりの大学から放り出されるのはまあ仕方ないとして、今から一緒に頭を下げたら騎士団沙汰だけは勘弁してもらえないかなぁ……と、ルグは後ろ向きな想像力を働かせていたのですが。
「がっはっは、相変わらずだのぅ! 御祖父殿は健在かね?」
「今はドワーフ帝国にいるって聞いてるよ。死んだって報せはないから多分元気なんじゃないかな?」
意外にも好反応。
しかも、事はそれだけでは収まりません。
「なんぞ、なんぞ。聞き覚えのある声がすると思ったらお嬢ではないか」
「三年前の学会以来か。まったく、ワシらに挨拶の一つもなく王都を出おって。ほれ、焼き菓子じゃ。食え食え」
「ウチの弟子もお嬢に会いたがっておったぞ。いつぞやの発表会で十歳そこらだったお嬢に理論の穴を指摘されてボコボコに叩きのめされたのを、まだ根に持っとるようでな。まったく未熟者めが」
レンリと老学者の会話を聞き付けて集まってきた他の学者達とも、親しげに話をしています。これは、どう見ても明らかに……。
「えと……知ってる人……?」
「ああ、そんなところかな。学会では子供は珍しいからね。年齢一桁の頃からあちこちの発表会に出入りしていたら、すっかり悪目立ちして顔を覚えられてしまったよ」
「よく言うわい。来るたびに菓子やら何やら図々しく食い尽くしおって……ほれ、酒の肴の干物でいいならやるぞ?」
レンリがらしくもなく挨拶回りなどと言い出したのは、移動中に顔見知りを見かけたからだったのでしょう。
この場の学者達からすれば孫くらいの年齢差があるのですが、それくらいの年頃で対等に専門分野の話ができる若者など、彼らが教えている弟子や学生の中にもそう多くはありません。さぞや可愛がり甲斐があることでしょう。
「よしよし、もう酒を飲める年齢だったな? 今宵はお嬢との再会を祝して朝まで酒盛りといこう! そっちの二人はお嬢のツレか? 構わん、一緒に来るがよい」
「おう、こうなったら講義の準備なんぞしとるヒマはない。ここにおらん連中にも声をかけてこんとな」
今回の短期特別講座のために招かれている学者は、各々の専門分野においては一流の有識者ばかりのはずですが、こうなってしまっては盛り場にたむろする不良老人の群れでしかありません。まだ飲み始めてもいないのに、気分的にはすっかり出来上がってしまっています。
こうしてA国出身の学者を中心に、初対面の他国の講師や仕事中だった大学職員までも巻き込んで学都内の酒場へ乗り込んで、朝までどころか翌日の昼過ぎまで地獄のようなどんちゃん騒ぎを繰り広げたのでありました。




