嵐の前の迷宮達
十三章スタートです。
学都や迷宮都市のある大陸から遥か南。
南洋の真っ只中を、一隻の帆船が嵐の海を突き進んでいました。
大波に揺られる様は、水に浮かんだ木の葉のような頼りなさ。
ちょっとでも風向きが変わったら、いつ横倒しになって転覆しても不思議はない。いいえ、今の時点で転覆していないのが奇跡のようなものでしょう。
普通、航海中に予想外の悪天候に見舞われたら、可能であれば近くの島や港に着けて海が大人しくなるのを待つ。不幸にも自分達の位置を見失っていたり、近くに陸地が見当たらない沖合いにいたのならば、帆を引き上げてなるべく風の影響を受けないようにした上で運を天に任せる。
そのあたりが航海におけるセオリーでしょうか。
しかし、この船『コンガーイール号』は航海術のセオリーを無視して、嵐の海を最大船速で進んでいます。決して船員の腕や判断力が悪いわけではありません。彼らとてやらずに済むならやりたくはないのですが、そうも言っていられない最悪の事情があるのです。
「船長、こんな大シケん中で帆を張るなんざ無茶だ!」
「じゃかぁしい、魔物に喰われんのが嫌なら大人しく言う通りにせぇ!」
なにしろ、この船を丸呑みにできそうなほど巨大な大烏賊から逃げている真っ最中。戦うなどもっての外、追い付かれたらひとたまりもないでしょう。
たとえ直接喰われずとも、見渡す限り海しか見えない海のど真ん中に落されたら、待っているのは溺れ死ぬ未来しかありません。
「積み荷を捨てろ! クソ魔物の口ん中に叩っ込んでやれ!」
「正気か、こいつぁ限界ギリギリまで借金して買い付けた宝石だぞ!? もし生き延びても家族諸共、路頭に迷うだけだ!」
「うっせぇ、それでも今すぐくたばるよりかはナンボかマシだ! 魔物のクソになりたくなきゃあワシの言う通りにせぇ!」
「畜生!」
後先を考える余裕などあるはずもなし。
酒や水の入ったタル、食料の入った木箱、果ては命の次に大事な交易品まで海に投げ捨て、少しでも船を軽くしようと船員総出で賢明に頑張ります。
が、それで上がる船速など僅かなもの。
クラーケンとの距離はじりじりと縮まるばかり……というよりも、どうやら魔物は追い付こうと思えば今この瞬間にでも追い付けるところを、わざと速度を緩めて獲物を嬲っているようです。
ただ船を沈めるだけなら、船の帆柱より長く太い触腕を一撃叩き付ければ、それだけでもう洋上の追いかけっこは終わり。しかし、それではつまらないとでも思ったのでしょう。高い知能と狂暴性を有する魔物には、よく見られる習性です。
必死で逃げて、逃げ続けて、どれくらいの時間が経ったでしょう。
船乗り達には永遠のような長さに感じられていました。
しかし、そんな逃避行にもやがて終わりが訪れます。
「ヤバいぞ! あのイカ野郎、船体に足を巻き付けてきやがった!?」
「船ごと持ち上げる気か? 全員、近くの何かにしがみつけ!」
そろそろ追いかけっこにも飽きたのか、魔物の興味は目の前の餌へと移ったようです。長い足で船全体をガッチリと捕まえて、そのまま上へ上へと持ち上げていきます。
船乗り達は必死で船体にしがみつくも、九十度近くも傾いた急傾斜、しかも海水でズブ濡れの状態でいつまでも耐えられるはずもなし。察するに、そうして力尽きた者からポロポロと落ちてきたところを口で受け止めて食べるのが、このクラーケンのお気に入りの食事法なのでしょう。
「ジャンが落ちたぞ! くそっ、くそぉ!」
「帆柱が折れた、もう駄目だ!」
「嫌だ、喰われて死ぬのは嫌だっ」
「ああ、神様! お願いだ、ここから生きて帰れるなら何だってする。だから頼む、助けてくれ! 神様!」
もはや絶体絶命。
この絶望的な状況で助かるわけがない……はず、でした。
しかし、その時、声が聞こえてきたのです。
『いいわよ。助けてあげる。まだ神様じゃないけどね』
新章スタートに合わせて新作『幼い女神の迷宮遊戯』を始めました。
ウルが主役のスピンオフ的なやつです。全30話予約投稿済み。
時系列的には『迷宮アカデミア』の数年後くらいになりますが、本作の今後の展開に関する重大なネタバレはないので安心してお読みください。




