あとのまつり
つい数時間前まで音楽ライブで賑わっていた特設ステージには、もう誰も残っていません。ステージの解体や他の片付けについても本格的な作業は明日からということになっていたので、お客さんのみならず運営側スタッフも既に撤収したようです。
それに何より、今はほとんどの人が『使徒様』のご利益大盤振る舞いに気を取られているのでしょう。まあ、そんな中であえてこんな場所に来る変わり者もいたようですが。
「ごめん、遅れちゃった! まだいる? もしかして帰っちゃった!?」
「いやいや、大丈夫。時間ピッタリだったねぇ」
フレイヤがマッハで飛び込んだのは、秘密のメモ書きで指定されたステージ裏。
時間も約束の零時ピッタリ。ラックとフレイヤは無事落ち合うことができたようです。飛び込んできた拍子に勢い余って彼を撥ね飛ばしそうになったので、危うく「無事」ではなくなるところでしたが。
「なんなら、もうちょっと遅れても良かったのに。さっきまでウルちゃん達と一緒になんだかスゴいのやってたでしょ?」
「あはは、時間潰しのつもりが思ったより盛り上がっちゃって……」
ラックはフレイヤが遅刻しそうになった原因をしっかり見ていたようです。
あれだけ街中飛び回って目立てば当然でしょうが。
「あっちは抜けてきて大丈夫だったの?」
「うん、まあ、多分? 元々アタシは臨時で入ってただけだし。それにあのチビッ子ちゃん達ってスゴいんだよ。アタシの手伝いなんてなくても全部バッチリやれてたんじゃないかな?」
「ここは、そんなことはないよ、って言っておくべきかなぁ? いや、お世辞じゃなくてね。もちろん知ってはいたけど、なんて言うかこう、フレイヤちゃんってば本当にプロの歌手だったんだなぁって」
「ふふーん、まあ、それほどでもあるかもね! なにしろ、世界の歌姫フレイヤさんですから! で、えっと……あっ、そうだ! ラック、ご飯はもう食べた?」
「え、ああ、うん、軽くね。今日はあちこちタダで出してるから食べなきゃ損ってもんでしょ。そっちは?」
「アタシも食べ歩きしたかったんだけど、さっきまでは仕事中だったし、ライブが終わってからも、アタシが変装ナシで出歩くと騒ぎになるから自重しなさいってオルテちゃんが……あ、マネージャーね、に言われちゃって。いつも変装お願いしてるメイクの子が外しててさ。今回の衣装がサイズギリギリで、本番前にお腹膨らませたらヤバそうだったからお昼から何も食べられてないんだよね」
「じゃあ、僕があとで何か貰ってくるからここで食べる? 何かリクエストがあれば善処するよ。ここなら他に誰も来なさそうだ、し……」
「そ、そうだね。二人っきりだね、あはは、は……」
二人とも気にしてないように見えて実は結構緊張していたようです。
取り留めもない会話で間を繋いでいたのですが、二人っきりであることを一度意識したら、もう自分と相手とを誤魔化すこともできません。
「うーん、僕ってば意外と古風なのかもねぇ?」
「古風? えっと、どういうこと?」
「つまり、こういう時は男の側から言ったほうが良いのかなって。だから……はい、コレ。指輪」
「ゆ、指輪……って、それはつまりそういうアレって意味だよね?」
「うん、そういうアレだねぇ……コホンッ!」
ラックは小さなルビーが嵌った指輪を取り出して咳払いを一つ。
意を決した様子で、そういうアレのアレの部分を具体的に言いました。
「フレイヤちゃん、好きです。結婚を前提にお付き合いしてください」
◆◆◆
そして夜が明けました。
朝日が昇るのに合わせて街中の幽霊達は再び見えなくなり、迷宮達の能力で生成された食べ物や宝飾品も煙のように消え去ってしまいました。それを惜しむ声も多々あったのですが、まあこればかりは仕方ありません。
徹夜で歌って踊って飲み食いし続けていた人々はというと、迷宮達の能力の影響か疲労感はさほどでもなかったのですが、それでも大半は一旦帰宅して眠ることにしたようです。
きっと昼を過ぎても今日は一日中寝ぼけたような、夢の中にいるような調子でしょう。それこそ昨夜からずっと眠って夢を見ていたと考えてもおかしくありません。それほどまでに非現実的な一夜だったのですから。
「うへへ、えへへへ、でへへへへへ」
もちろん夢ではありません。
すべては現実にあったことです。
『ちょっと長めのトイレだと思ったら、そんなことになってたのね。知ってたら見物に行ってたのに惜しいことしたの』
「えへへ、ごめんごめん。で、似合うかなコレ? ねぇねぇ、似合う?」
例えば、フレイヤの指に嵌っている指輪は紛れもない現実です。
博物館に収められるほど高価でもなければ貴重でもない、元は一般向けの普通の宝石店で買えるような品ですが、浮かれに浮かれた今のフレイヤには他のどんな宝石よりも輝いて見えるようです。
ちなみにここはシモンの屋敷の食堂。
持ち主であるシモンは一度着替えに戻っただけで、またすぐに諸々の後始末の陣頭指揮をすべく飛び出していきましたが、他の住人および今回の一件の関係者はだいたいここに揃っていました。いないのはシモンと同じく後始末に追われている伯爵と、昨夜のご褒美として貰った体長二十メートルはある第四迷宮産の巨大ヤギ肉を屋敷の庭で堪能しているロノくらいでしょうか。
「その指輪って……お母さん、の……ですよね?」
「妹ちゃんはやっぱ分かる? うん、そうみたいだよ」
ラックが遥々故郷にまで帰って、探しに来たウルに借金までして買ったのは、かつての借金苦で手放した母親の形見の指輪でした。博物館で巨大ルビーの見物をした時にルビーからの連想で思いついたアイデアが頭から離れなくなり、半ば衝動的に列車に飛び乗っていたのだとか。
王都中の質屋や中古品の宝石を扱っている店を探し歩き、時には店主に頼み込んで売買の記録まで見せてもらい、どうにかこうにか探し出したというわけです。ついでに先日食事をした時に確認しておいたフレイヤの指の太さに合わせて、サイズの調整まで済ませていました。
「昨日こっちに戻って一度寝てから冷静に考えると、プロポーズの相手に親の形見を渡すのって重すぎて引かれちゃうんじゃないかなぁ、と思わなくもなかったんだけどさぁ」
「うん、それは……重い、よ? かなり、すごく……」
重すぎて指が折れそうです。
ルカでも持てそうにありません。
他の面々もうんうんと頷いて同意しています。
「そう? アタシはむしろロマンチックで良いかもって思ったけど」
「ほ、ほらほらぁ、当のフレイヤちゃんが喜んでるわけだし問題ないって」
「まあ、ちょっとマザコンっぽいかな~、とは思わなくもなかったけど」
「うわぁ、正直な感想が心に来る!?」
とはいえ、貰った本人が喜んでいるのだから概ね問題なし。
元より一度は手放した品だったわけですし、どこかの見知らぬ誰かが形見を持っているよりは知っている相手が持っているほうが良いだろう……と、ラックの弟妹達も納得済みです。
「で、まあそういうことになったわけだけど」
さて、こうして集まっているのは仲良くお疲れ様会をするためではありません。
昨日からのアレコレで色々な立場や関係に変化が生じた以上、ここから先のことについて色々と決めねばならないでしょう。今はその意思表示や相談の場というわけです。
「僕、この街を出てフレイヤちゃんと一緒に行くことにしたから。だから皆とはお別れだねぇ」
自身の今後の方針について、ラックはハッキリそう告げました。




