お祭り本番:さよならヨミの店。最終作戦始動
「まあ皆が揃って言うからには本当に覚醒してるんだろうけど。さっき来た時はまだ違ったんだよね? ヨミ君、キミ何かしたのかい?」
『原因。不明。我にもよく分からないね。そもそも自分では何かが変わったっていう実感すらないのだけど。話に聞いた前例から推察するに、能力を使ってみたら何か違いがあるのかな?』
迷宮達が言うにはヨミはどうやら覚醒している、らしい。
誰か一人ではなく第一から第五までの迷宮が口を揃えて言っているのだから、ただの勘違いということはないでしょう。そして先程武術大会の本戦前に立ち寄った時には、そんな話は出ていませんでした。大会後にこのテントに来るまでも同様です。
そこから考えるにヨミが覚醒したのは、まさに今。
遡ってもせいぜい数分前といったところでしょう。
まだヨミ本人に自覚はないようですし、その原因についても不明ですが。
今もテントの外で伯爵を始めとした貴族連中や、騒ぎを聞いて寄ってきた街の人々がいますが、これまでの例からするに覚醒に足る信仰エネルギーをこの短時間で生み出すには少なすぎるようにも思えます。
これまで迷宮達の覚醒の要因はいくつかありました。
まずは『神の残骸』に残存していた神の力を直接食べて取り込むことで、目覚めるキッカケを得た場合。これにはウルとモモが該当します。捕食された後で復活したゴゴはこのパターンの変形でしょうか。
次に人々からの信仰心を大量に集めて覚醒する場合。
これにはヒナとネムが該当します。それぞれ形は違いますが、人口数万人にもなる学都の住人達から、並々ならぬ強烈な祈りを受けたことで目覚めました。街の全住人が祈りを捧げたわけではないにせよ、それぞれどれだけ少なく見ても五千や六千はいたはずです。
ヨミの参考になりそうなのは後者だと思われます、が。
いくら付近の道が混雑していたからといっても、ヨミの店の近くに集まった人数は精々が五百にも届かない程度。また、その中には特に事情を知らず道路の混雑に巻き込まれただけの不運な人間や、何で集まってるのかも分からないまま人だかりに興味を惹かれただけの野次馬も多数含まれるはず。そういった者は当然ながら、信仰エネルギーの発生源としてカウントすることはできません。
しかし、百聞は、いえ百考は一見に如かず
実際のところその点は大した謎ではなかったのです。
『理解。先送り。まあ理由が分からないというのは落ち着かないものがあるけれど、ここは一旦先送りする方向でもいいのではないかね。ほら、あまり伯爵君達を長く待たせるのも悪いし…………訂正。皆、理由が分かったよ。見て見て』
当人であるヨミも一旦は解決を先送りにしようと提案しかけたのですが、閉め切っていた『降霊術の館』のテントから一歩外に出たらそこに答えがあったのです。
「すごい数の信者が集まってきている!」
ヨミが落ち着くまでの十数分で、また一段と周りの道路に人が増えていました。女神を信奉する敬虔な信者達が『使徒様』の噂を聞き付けてきたのでしょう。この集まりようからすると、街中に噂が広まるのも時間の問題です。迷宮達が神の幼体として備える、人々の心理に影響を与えて信仰を集めやすくなる性質も作用しているのかもしれません。
が、それを含めても覚醒にはまだ不足。
祈りの強さに関しても、実際にはまだ半信半疑くらいの人も少なくないはずです。
死者が蘇ったかのような超常現象を直接見た者ならまだしも、単なる伝聞であればトリックや見間違いの可能性を疑うのが普通の反応でしょう。いくらなんでも街中の人間が怪しげな噂を鵜呑みにするとは思えません。
では、結局どこからどうやって必要な信仰の量と質が湧いて出たのか。
その答えはヨミの視線の先にありました。そう、空に。
『理解。得心。なるほどね。どうやら信仰のエネルギーとやらは、生者の特権というわけではないようだよ』
空に瞬く満天の星空……ではなく、空を埋め尽くすほどの幽霊達。
いったい何千人、何万人いるのかも分かりません。
しかし、彼らが不足分のエネルギーを補ったということであれば先程の疑問への説明は付きます。ヨミの耳に届く声からするに、幽霊の望みは主に『食事をしてみたい』『遊びたい』『生きている家族や友人に会いたい』といったところ。どうやら先日の試食会での一件が幽霊界隈で噂にでもなっていたのでしょう。それも集まった数から察するに、噂はかなりの広範囲に広まっていたようです。G国の首都や他領の領都はもちろん、外国にまで届いているかもしれません。
一人一人の生み出すエネルギーは弱くとも、これだけの数がいればその総量はかなりのものになります。加えて、常日頃から奈落城でヨミと暮らしていた住人達による蓄積分が既にそれなりの量あったのかもしれません。そこに更に地上の生者の祈りを加えれば、十分以上に覚醒に足るはずです。
まあ、そうは言ったものの相変わらず見えているのはヨミだけ。
他の皆は数万もの霊が空を埋め尽くしていると聞いても、ピンと来ないようですが。
『仮説。証明。せっかくだから皆にも見せてあげよう。覚醒した力とやらも試してみたいしね。うん、なんとなくできそうな気がするよ。どっこいせっと』
「あ、ヨミ君ちょっと待っ」
妙に年寄り臭い掛け声と共にヨミが見えない力を放出すると、その変化は一目瞭然。
わざわざ触れる手間をかけるまでもなく、無数の幽霊が実体化を果たしたのです。ですが宙に浮かんでいたものをいきなり実体化したせいで地面に真っ逆さま、とはなりません。
他にもテントの近くで待機していた伯爵の先祖一同もまとめて実体化。一気に膨れ上がった肉の圧力で、ただでさえぎゅうぎゅう詰めの大混雑だった人波に飲まれて怪我人が続出、とはなりません。
「おお、なんだか都合が良いね。生身と幽霊の良い所取りって感じかな?」
『是。確認。どうやら皆の目にも見えているようだね』
実体化した幽霊達は、普通の人間の目にも見えるようになったにも関わらず、高所から落下してくる様子はありません。無論、空を飛ぶ魔法を行使して落下を防いでいるわけではなく、霊体の状態と同じように重力を無視して動けるようです。
また物理的な接触においても、以前までの実体化とは性質が変化していました。見た目の質感こそ生身の人間とまるで見分けが付かないのに、霊体の時と同じように物体をすり抜けるため混雑が悪化することもなかったのです。
見える範囲で観察する限りでは常に物体をすり抜けるというわけではなく、幽霊各人が任意で狙った物体に触れるかすり抜けるかを選べるようです。自在に対象の切り替えを行うには多少の練習が必要かもしれませんが、これはまさにレンリの言った通りの生身と幽霊の良い所取りと言えます。もし医療知識のある医者の幽霊などいれば、メスで皮膚を切ることなく体内の狙った病巣のみ取り除くような応用も考えられるかもしれません。
しかし、そういった実験はもう少し慎重にやるべきだった……と言っても後の祭り。
ヨミが自身の成長ぶりに好奇心を抱くのは仕方のないことですが、そこで実際に実行してしまったあたり、先程までの大泣きで揺らいだメンタルがまだ落ち着き切っていなかったのかもしれません。
「なに、怖い怖い!?」
「うおっ、手が前の奴の頭にめり込んだ!」
「ぎゃあ! 死んだジッチャンが化けて出たぁ!?」
将来的な有用性はさておき、今この時に関して言うなら混乱の元にしかなっていません。
そりゃあそうです。ただの混雑ならまだしも、いきなり現れた無数の人間が他の人間や建物にめり込んでいるように見えたり、数え切れないほどの老若男女が空を埋め尽くすほど浮かんでいるのですから。
「待て待て待て! なんだ、この大騒ぎは! いくら祭りといっても限度があるだろうに。ほれ、立ち止まって道を塞ぐでない……ぬおっ、人が大勢空に浮かんでいるだと!? ええい、さてはまた何かロクでもない事件だな!」
「あ。シモン」
「ライムか。案の定、皆も一緒だな。単刀直入に聞くが、今回のは誰か敵を倒せば解決するパターンのやつか? できれば、そっちのほうが手っ取り早いのだが」
「違う」
「そうか、そっちかー……まあ、お前が嬉々として戦っていない時点でそうだろうとは思ったが」
パトロールをしていた衛兵から連絡を受けたシモンが、建物の壁を走って騒動の中心である『降霊術の館』へとやってきましたが、いったいどう解決したものやら。相手が善良な市民では強引な手段も取れません。
『ちゅ、中断。停止。ご、ごめんなさい! 一旦能力を解除するね』
思った以上の大騒ぎに驚いたヨミが能力を解除すると幽霊達が元通りに消えました。
が、それでも人々が落ち着く様子はありません。
噂が真実だったと確信した幽霊達も同様です。
覚醒したヨミの能力は、思った以上に影響範囲が拡大していました。詳しい距離は後日改めて計測するとしても、少なく見積もっても街全体をすっぽり覆ってなお余るほどにはあるでしょう。
大勢の群衆の中には、今の短時間のうちに死んだ親類や友人知人と言葉を交わした者もいたようです。その様子を目撃した者は何倍何十倍にもなるでしょう。これを集団幻覚やトリックで押し通すのは流石に無理がありすぎます。
このままではパニックは広まる一方。
自然な鎮静化は望めそうにありません。
興奮した群衆が押し合いへし合いの末に転倒でもしたら、いったい何人の怪我人が出ることやら。最悪、騎士団を総動員して祭りそのものを強制的に中止させる選択肢も視野に入ってきます。
『軽挙。謝罪。ええと、もしかしなくても我のせいだよね? なんだか最近こんな失敗ばっかりで、その、えっと……ど、どうしよう? ぐすっ……』
「ああ、ほらほらヨミ君泣かないで。ええと、この状況を何とかするアイデアとしては、例えばネム君の『復元』で街中の人間の記憶をこの騒動前まで戻してもらうとか? あんまり気は進まないけど」
『あら。レンリ様、やらなくてよろしいのですか?』
「うん、ネム君ステイステイ。私が『待て』を止めるように言うまでやらないでね、怖いから。もっと安全性の高い方法だと、モモ君の『強弱』で街の人達の理性を強化して落ち着かせるとかどう?」
『残念ながら、それは射程距離の関係でちょっとムズいのです』
ネムに頼むのが一番手っ取り早そうですが、彼女に記憶を弄らせるのは後遺症が心配です。悪気なく記憶を消しすぎたり、純粋な善意で存在しない記憶を植え付ける恐れがあるため可能であれば避けたいところ。他の方法が駄目だった場合の最終手段として保留しておきましょう。
次善の策として出したモモの能力を使う案は、モモ自身に能力の射程距離の問題で却下されました。恐らく、この騒動はすでに街全体にまで広がっているはず。今のモモの『強弱』ではそれだけの範囲をカバーできないのです。
他にもウルの催眠ガスで全住人を眠らせるとか、怪我人が増える前にヒナが人々を液体化するなどもできれば避けたいところ。ゴゴの能力で手枷や足枷を大量に地面から生やして物理的に拘束するのも同様です。
迷宮達の能力に頼る以外だと、シモンが街中に蔓延した『混乱』や死者と対面したことで発生した『恐怖』などを斬って回る案もありますが、そちらも今や十万人に迫るほどの学都の住人が相手となるとカバーすべき範囲が広すぎます。概念斬りにはかなりの集中力を要しますし、一度斬っても別の場所を回っているうちに再発生してしまう可能性も大。いくら彼の体力でも途中で力尽きてしまうでしょう。
「あの、皆様? 何やらお取込み中のところ申し訳ありませぬが」
『……伯爵君?』
打開策は予想外の方向からやってきました。
「いつまでも道端で立ち話というのもなんですし、お話の続きはお食事をしながらというのはいかがですかな? お腹が空いておられないのであれば、良い席を確保してありますので音楽ライブやパレード見物はいかがでしょう? 皆様にそのような憂い顔は似合いませんぞ」
伯爵の言葉は、ヨミの能力の影響範囲を知らないからこそのものなのでしょう。
今まさに学都全域で暴動めいたパニックが発生しかけていると知れば、そんな呑気なことを言っていられるはずがありません。ですが。
「あ」
彼の発言を聞いてレンリの脳裏に一発逆転の閃きが浮かびました。
上手くいけばこの騒動が無事に収まるばかりか、一石二鳥か三鳥か。
少なくともヨミの失敗が全部帳消しになって余りあるほどのメリットがあるはずです。
無論、多少のリスクはありますし、事の大きさを考えると事前に「保護者」の許可を得る必要はあるでしょうが……。
「ウル君、今急ぎで神様に聞いて欲しいことがあるんだけどさ……ごにょごにょ」
『えっ、それって大丈夫なの? 一応、女神様に聞いてはみるけど――――オッケーって言ってたの!?』
無事に保護者の許可は取れました。
これで最大の懸念点はクリアです。
あとは第一から第六までの迷宮達と、シモン率いる騎士団やこの街の最高権力者である伯爵、今日のお祭りを成功させるために頑張ってきた街の人々の協力も必要です。かなり大掛かりな仕掛けになりますが、決して勝算のない賭けではありません。レンリの見立てでは、十中八九とまでは言わずとも十中六か七、悪くとも五分五分くらいの勝ち目はあると思われました。
「それじゃあ皆、お耳を拝借。おっと、今回は伯爵さんもご一緒に……ごにょごにょごにょり」
「「「え!?」」」
『『『え!?』』』
皆、レンリの案に耳を疑って絶句したものの、もう時間の猶予はあまり残されていないはず。計画の細部を細かく詰めていく時間などないため、作戦の概要だけ伝えたらあとは大半を各人のアドリブで乗り切るしかありません。
こうして、お祭りを無事成功に導くための最終作戦が動き出しました。




