三日前:幽霊および実体化現象についての考察
《お祭り三日前》
さて、そんなこんなで料理対決の開始から五時間ほどが経過しました。
試食会が始まったのが正午を少し回った頃だというのに、もう外は日が落ちかけています。他にも色々な場所を見学をする予定だったのですが、それについては本番当日に改めて出向くことになりそうです。
ヨミ一人を置き去りにして他の皆は見学ツアーを続行する手もあった、というより当のヨミからはそうするよう勧められたのですが、それは一人だけ仲間外れにするようで気が引けましたし、単純にこの場の勝負が並の見世物では到底及ばないほど見応えのあるものになっていたという理由もありました。
『懐かしい、そういえばモノを食べるってこんな感じだったなぁ』
『おい、前の奴。並んでるんだから食い終わったらさっさとどけよ』
『オォォォォ……ウマイ……ウマイ……』
集まった大観衆も大盛り上がりです。
いえ、ヨミ以外の人間や迷宮には見えていないのですけれど。
どうもヨミの力があれば幽霊でも食事を楽しめるという話が、ここ数時間で付近の野良幽霊達の間で噂として広まっていたようなのです。最初から同行していた奈落城の住人以外にも、街中から霊が押し寄せてきてしまいました。
そして集まった以上は食べさせないわけにもいきません。誰々は食べられたのに自分は食べられなかった、と不公平な扱いが恨みに発展して悪霊にでもなられても困ります。
「はいはい、食べたいならちゃんと整列したまえ。横入りをした者は一番後ろに回すからね。いやまあ見えてはないんだけど、こっちの声は聞こえてるんだろう? ルールは繰り返し伝えるから違反者への対処はキミらがセルフでやってくれたまえ」
成り行きで列整理を手伝っているレンリ達も大変です。
例えるなら、まるでアイドルの握手会。
行列の先頭がヨミに触れて実体化に必要なエネルギー的なモノを充填(※当のヨミ自身も能力の詳しい原理を理解しているわけではないため、「エネルギー的なモノ」のような曖昧な表現になってしまうのです)。
そしてチャージ完了した者から、今度は料理の置かれたテーブル前に並んで、着席し実体化してから一分間の制限時間内で早食いしないといけないのです。
そして食べてもまだ満足していなければ、また列の最後尾に。
これを全員が満足するまで延々繰り返さないといけません。
ヨミもヨミで何十人何百人もの幽霊に触れつつ、調理をしている幽霊シェフにも間を置かず触れないといけないので大変です。最初はシェフの背中にジッとおぶさっていれば良かったのですが、無数の霊が実体化したまま調理場をウロウロしていたら邪魔になるため、ヨミが調理場の内外をダッシュで往復するハメになってしまいました。
「生きていようがいまいが構わん! 客がいるなら満足させる。それだけだ」
『ほう、気が合うじゃねえか。オラッ、次の皿上がったぞ! 誰か持ってってくれ』
漏れ聞こえた会話をいくらか聞いたくらいで、まともに事情を把握しているわけではないのでしょうが、生者代表として対決しているオーナーシェフ氏や店のスタッフも完全に勝負にのめり込んでいました。
とはいえ、もう何回戦目になるのやら。
傍目からは勝負として成立しているのかすら分かりません。
「ようこそ、お客様。こちらの肉料理には、こちらの南部産の赤ワインを組み合わせるのがよろしいかと。短い時間ですが、どうか心ゆくまでご堪能下さいませ」
「失礼、食器を新しい物にお取り替えいたします。それでは次の方、ご用意が整いましたので御着席下さい」
流石は名の知れた一流店と言うべきか。
半分ヤケクソかもしれませんが、ソムリエや給仕の一人一人まで相当に肝が据わっています。
彼らが「特殊な魔法」という方便を信じてくれたかは怪しいところですが、今この店に目に見えない無数の幽霊が集まってきていて、ヨミの力があれば彼らも料理を味わうことができる。なおかつ自分達の料理を食べたいと願っている……という点だけ分かれば十分だったようです。
能力の制約上、僅か一分の早食いを強制しなければならない点だけは残念ですが、生者も死者も分け隔てなく、完璧なもてなしを体現していました。
「いや、それにしても不思議だね。幽霊の人達が食べた物ってどこに消えてるんだろ? 現象としては、概念魔法の物質の概念化に近いことが起きてるのかな」
レンリとしてもなかなか観察しがいのある状況です。
つい先程まで確かに存在していた料理が、それを食した幽霊の実体化が解けるのに伴って、物理的な形状を失って幽霊の一部のようになっているわけで。それも口に入れて味わい、飲み込んだ後はほとんど時間をかけず瞬間的に。
食事行為の見た目こそ生者のそれとそっくりですが、生物の消化器官で起きている消化吸収の過程とは、まったく違う仕組みが働いているものと推測されます。もしそうした仕組みがなければ、実体化の解除と同時に噛み砕かれた食べた物が床に落下して、ひどく汚れてしまっていたことでしょう。
ヨミの能力さまさまです。
もしレンリの推測通りにヨミの能力が限定的かつ無意識的に概念魔法の行使を可能とするものであれば、その仕組みを解明して剣作りや他の分野への応用可能性も考えられます。
『精神。疲弊。で、そろそろ決着は付きそうかい? 我、もう疲れたんだけど』
そうして、集まってきた幽霊の行列もようやく捌けた頃。
長きに渡る料理対決にもようやく決着が付いたようです。
「どっちの料理も同じくらい美味しかったと思うんだけどね。遜色付け難いというか、差があるとしても個人の好みの範疇じゃない?」
散々食べ比べたレンリや迷宮や幽霊達の感想としては、ほぼ互角。
肉料理同士やスープ同士など、比較的似たような種類の皿を比べても、味付けや素材に多少の差異はあるものの明確に分かるほど腕前の差はありません。
「ふっ……いや、私の負けですね」
が、技を競っていた当人達は違ったようです。
オーナーシェフ氏は潔く負けを認めました。
その敗因は、彼が大陸各地から集めた一級品の素材にあります。
鮮度にも品質にも問題のない、一流の食材や調味料ばかり。
その扱いにも細心の注意を払っていました。これならば大国の宮廷で王侯貴族にそのまま出してもまるで問題ない……それこそが問題だったのです。
『鉄道だっけか? 最近はアレのおかげで大陸の東の果てで採れた魚が、次の日にはここいらの土地で新鮮なまま食えるわけだけどよ、だがそいつが落とし穴ってわけだ』
オーナーシェフ氏は大陸各地から優れた食材を取り寄せて、見事な技法で料理を作り上げました。実際、普段の営業で学都に住む客を相手にするならそれで何も問題はありません。
しかし三日後の晩餐会は、主に他領から招いた貴族をはじめとした各界のVIPをもてなす場だと事前に説明されています。そこで、わざわざ遠方から足を運んだ客に、どこででも食べられるような料理をお出しするのは如何なものか。
オーナーシェフ氏が作った料理に含まれていたこの学都ならではと言えるような特色のある食材は、せいぜい肉料理の牛肉くらい。それ以外は同等の腕の料理人さえいれば、このG国の首都や国内の他の都市はもちろん、遠く離れた外国でもそっくりそのまま同じ品を食べられるはずです。
ただ美味い、だけ。
コース全体として見れば学都ならではの料理とはとても呼べません。
この土地の食材を売り込みたいという伯爵の意を正しく汲むのであれば、他の魚や野菜、穀物、酒や調味料に至るまで、なるべくこの土地の産物を使った、この土地ならではの料理として仕上げるべきだった……というのが、幽霊シェフの言いたいことだったようです。市場の評価や価格においては多少落ちる食材をあえて使うことで、言葉で語る以上に雄弁に分からせたということなのでしょう。
「競うレベルが高すぎて、そこまで説明されてもこっちは『へえ、そうなんだ』くらいしか言えないのだけどね。うん、まあ、本人達が納得してるならいいのかな?」
実にさっぱりとしたもので、決着が付いたオーナーシェフ氏と幽霊シェフは、数十年来の親友のように肩を組みつつガハハと笑って互いの健闘をたたえ合っています。
一対一張ったら親友。
これは武術や喧嘩の世界では子供でも知っている常識ですが(※諸説あり)、どうやら料理の世界にも通じるものがあるようです。今日はずっと活躍の機会もセリフもなく壁際で大人しくしていたライムも、腕を組みつつうんうんと頷いて何かに納得しています。
「さあ、反省点も分かったことだし今から徹夜でメニューの練り直しだ! すまないが付き合ってくれるかね、兄弟?」
『応ともよ、水臭いこと言うんじゃねぇぜ兄弟! ヨミ嬢ちゃんも、悪いけど付き合ってくれや。試食係に立候補する幽霊連中もな』
『逃亡失敗。諦念。やれやれ、仕方ないね。城に帰ったら一か月毎日おやつにプリンで手を打とう』
睡眠が必須ではない迷宮と違って、流石にレンリ達は徹夜仕事にまでは付き合えません。まあ試食係ならそこらにいる暇を持て余した幽霊を呼べばいくらでも来るでしょうし、多少人手が減っても問題はありません。
「じゃあ、ヨミ君以外は解散、かな」
こうして本来の見学ツアーの予定とはだいぶ異なる流れになりましたが、なんだかんだ各人それなりに楽しんで、この日は解散ということになったのです。
◆◆◆
《お祭り二日前》
迷宮達の活躍も空しくラックは依然行方不明。
捜査に目立った進展はありませんでした。
ただし確かな情報として、
・学都内および周囲百キロ以内にラックの姿はない。
・その捜索範囲より遠くにいるのか、あるいは範囲内だが匂いが漏れない密室などに閉じ込められているのかは不明。もし閉じ込められているのだとしたら、迷宮の視力でも見通せない特殊な材質の部屋、あるいは魔法的な結界や異空間等の中にいる可能性がある。
以上の二点はこれで確定したと見ていいでしょう。
実際にウルとヒナが半径百キロの範囲内を走ったり飛んだりした結果なので間違いありません。要するに何も分からないことが分かった、ということにもなりますが。
あと新しい情報としてラックが遊覧飛行の仕事の受付として使っている小屋の扉に、『何日か休みます』という貼り紙がしてあるのが見つかりました。
状況的に昨日の深夜に貼られたものでしょう。貼り紙の筆跡はラックのものでしたが、これだけでは自発的に書いて自分で貼り付けたのか、誰かに脅されて書いたのかは不明。
幽霊を対象にしたヨミの聞き込みでも、特にこれといった目撃証言はありません。こうも空振りが続くと、捜査の方針も自然と限られてしまいます。
「ううむ、やむを得まい。最後にあの男と一緒にいた人物に話を聞くとしよう」
シモンとしても本番のステージを二日後に控えて忙しくしているであろう相手の邪魔はしたくないのですが、他の手がかりが手詰まりとなった以上は仕方がありません。
かの歌姫には王族であるシモンの兄姉達の何人かや、社交界で強い影響力を持つ高位貴族も少なからず熱を上げています。伝え聞く話からするに外国においても似たような人気ぶりのはず。
ラックとの件も、シモン個人としては二人の仲を応援したい気持ちはあるのですが、今の時点で関係が公になったら過激なファンが何をしでかすか分かったものではありません。記者に嗅ぎつけられてスキャンダルにでもなったら一大事。なるべく内密に、丁重かつ慎重に話を聞く必要があるでしょう。
「もし、突然で申し訳ないが、こちらに歌姫フレイヤ殿は――――」
こうしてシモンと迷宮達の捜査チームは、学都南の平原に停泊中の劇場艇を訪ねることになったのです。




