奈落城の人々
『皆。紹介。それじゃ腹ごなしがてらに城の中を案内するね』
奈落城に住む幽霊達。
その正体はヨミが迷宮の外でスカウトしてきた浮遊霊。
生者に害を為す存在として知られる魔物としての幽霊とは別物です。
特にこれといった恨みや悪意は持たないものの、何らかの未練を現世に残していたり、あるいは単に暇を持て余していたり。そういった者達とヨミとの利害が一致して、ちょっとした雑務などさせる代わりに彼らが求めるモノを与えているのだとか。
『ガッハッハ、俺のメシの味はどうだった? って、あの食いっぷりを見りゃ聞くまでもねぇわな! デザートのおかわり要るかい?』
「やあ、シェフ。素晴らしい仕事だったよ。おかわりは二十人前ほどいただこう」
その性質上、奈落城にいるのは何かの道を極めたい求道者タイプの幽霊が特に多い様子。職人、芸術家、武芸者など、生前に道半ばで命を落とした者達が第二の人生を謳歌しているケースが多いようです。
「ところで、シェフ。先程のメインディッシュはこの国の王都あたりで最近流行り始めたソースが使われていたようだけど、ずいぶんと勉強熱心なんだね。私も実際に味わったのは初めてだよ」
『おお、それな! ほれ、ここ五年十年くらいの間に魔界がどうたらで新しい料理がじゃんじゃん出てきてるって言うじゃねぇか。どんどん面白ぇ技術とか食材も出てきてるし、ここに来てからむしろこの世への未練が増える一方ってなもんよ』
たとえばレンリと意気投合して料理の話で盛り上がっているシェフ氏は、半世紀ほど前にとある貴族家の料理長として腕を振るっていたらしいのですが、その技術向上への意欲と未知の味覚への好奇心は死して衰えるどころか強まる一方。
時折、ヨミの買い出しのお供として迷宮外に出た際に書店や料理店などで最新の流行もしっかりチェックし、生前を遥かに上回る腕前へと成長を遂げているのだそうで。
「おや、貴殿の画風には見覚えがあるな。うちの城の宝物庫で似たような絵を見たことがあるぞ」
『王家に縁の御方でありまするか? ははは、あれはもう三、四百年ほど前になりまするかな。小生、当時さる姫君に後援者としてご愛顧いただいておりまして。取材費だの画材費だのと色々口実をひねり出して追加の出資をいただいては、毎夜のように綺麗なオネエチャンと遊んだり高い酒を浴びるように飲み歩いたりしたもので……いやはや、なんとも良い思い出でありまする』
「う、うむ。まあ流石に時効だろうから何も言うまい……」
そんな歴史の裏話を披露したのは、現在では歴史に残る名画をいくつも残した偉人としてその名が知られる画家氏。どうやらシモンの遠い親戚とも関りがあったようですが、それについては深く掘り下げないほうが良さそうです。
それに生活態度はともかく、技量については流石の一言。奈落城の一室を自身のアトリエとして占有し、生前に残した数々の名画に勝るとも劣らない傑作が日々新たに生み出されているようです。
絵画に限らず奈落城のあちこちに飾られている調度品は、全てこうして住人達の手で新たに作られた名品ばかり。美術商などからすれば、この城は宝の山に見えることでしょう。
「ん。あの人、強い」
『……ぬぅ。その闘気、只者ではないと見た』
ですが、シモンやライムの興味はやはり美術品より別のところに向くようです。
奈落城にいくつもある庭の一画にいた幽霊達にヨミが仮初の姿を与えると、そこに現れたのはいかにも精強そうな剣士や格闘家と思しき人々。
いくらヨミが仮の肉体を与えようとも、代謝が行われていない以上筋肉を鍛えることまではできないのですが(例外的に飲食のみ可能ですが食べた物はすべて魔力として変換されます)、それでも精神力や技術面に関してはいくらでも向上の余地があります。死してなお強さを求める彼らは、こうして頻繁に集まっては試合や技術交流など繰り返しているのです。
各々が生きていた時代はそれぞれ異なりますが、生前は最強や天下無双の名を欲しいままにしたような猛者もここには少なくありません。ライムが「強い」と評する時点で、その実力は推して知るべきといったところでしょう。
また彼らも見た目の可憐さに惑わされることなく、一目でライムの実力を見抜いたようです。因縁も恨みも何もなくとも、ただ目の前に強い相手がいるというだけで十分戦う理由になるという価値観の人種同士。放っておいたら今にも始めそうな緊張感が一瞬膨れ上がりましたが……、
「むぅ。また今度」
残念なのは奈落城の性質です。
速く移動するほどに体感時間が引き延ばされるという厄介な性質上、過去の達人との腕比べという甘美な誘惑もお預けにせざるを得ません。幽霊の強者達も、この城の中ではゆるりゆるりと虫が止まるような速度に抑えての組手に留めているようです。そのうちヨミの気が向いた時にでも頼み込んで、迷宮外での試合の機会が訪れるのを待つしかないでしょう。
さて、そうして二、三時間もする頃には奈落城観光も一段落。
ヨミが連れてくる段階で悪霊の類を弾いているので当然ですが、この城の幽霊達はいずれも生命力に溢れた明るく前向きな人々ばかり。中にはハッキリ善人とは言い切れないような個性的な面子もいますが、生前の素行はさておきこの城の中で悪さをするような幽霊は一人もいません。
なにしろ下手にヨミを怒らせでもしてこの奈落城から追い出されたら、欲しい物も手に入らずロクな娯楽もないまま日がな一日ぼんやり過ごすだけの浮遊霊に逆戻り。この恵まれた環境を知った後にそうなるのは、さぞやキツいことでしょう。
『ここマジ天国だわー。毎日十分か二十分くらいチョロッと掃除したら、その後は全部自由時間で美味しいもの食べ放題飲み放題だもん。ぶっちゃけ生きてた頃よりイキイキしてるわ。ルカルカも将来死んだら、ここに就職どう? そっちのカレシも一緒にさー』
「う、うーん……か、考えておくね……」
最初は怖がっていたルカもすっかり慣れて――まあ普通の人間相手にするような人見知りはありますが――相手が死んでいるから特にどうこうというような隔意は完全に消えたようです。
今も夕食の時に給仕をしていた少女幽霊から、死後の就職先として勧誘されるなど雑談を楽しんでいる様子。まあ回答についてはあと何十年か保留する方向ではぐらかしていましたが。
『傾聴。案内終了。我の迷宮と住んでる皆の紹介はこんなとこかな?』
まだ見ていない区画や会っていない住人は少なからずいるものの、大まかな雰囲気は把握できたと言っていいでしょう。というか迷宮については最初に案内された大穴がメインで、それ以外については実質オマケのようなものだったのですが。
レンリ達としても第六迷宮に対する理解は凡そできたと言っていいでしょう。
七大迷宮の中で六番目に配置されるほどの危険度についても納得できるものがありましたが、わざわざ自分から投身自殺めいた攻略に及んだり、うっかりでマッハの速度など出さない限りは容易に避けられる類の危険です。
ヨミ自身の性格は、そこそこの変人ではあるものの基本的には理知的かつ温和。
元々は第五迷宮の試練設置に反対しにきた点からしても、強者を増やすためなら人死にすら歓迎するような危険な性質とは無縁です。奈落城の住人達も新たな隣人として好ましく思えました。
「それだとヨミ君の成長とか覚醒がやりにくくて私も神様から手伝いのご褒美を貰えないんだけど、ま、そのうち何か他の方法がないか探してもいいしね。化石探し……は、まだちょっと気が乗らないけど、いっそ降霊術とかやって儲けるとかどう?」
『現状。興味無し。それって迷宮が新しい神様になるとかってやつだよね? 今のところ特に困ってることはないし、あんまり興味ないかな』
迷宮の覚醒については判断保留。
ヨミとしては自分が原因で無闇に死人が増えることを阻止できた時点で、他に望むものは特にないのでしょう。時折外に出ては新しい住人を増やし、城の仲間と毎日楽しく過ごす。そんな現状の生活に完全に満足しきっているのです。
「じゃあ、今日のところはこれでお開きかな?」
今後の課題が全くないわけではないにせよ、ひとまずお互いに良好な関係を築けた時点で今日の成果としては上々でしょう。迷宮の覚醒に関しても、今までのパターンからして妙な裏技がまた見つからないとも限りません。必要以上に焦ることなく、今日のところは解散ということに――――の、ちょっと前に。
『失念。報告。さっきの穴の前では条件を完全に満たしてなかったから言わなかったけど。へーい、そこのお姉さんズ。魂が覚醒しかかってるね。半分くらい』
最後にヨミからの意外な忠告がありました。
「ズ?」
『是。複数形。そこのちっこいエルフのお姉さんと、あとそっちの』
ヨミが視線を向けたのはライムと、ルカ。
どうやら彼女らの魂に何かを感じたようなのです。
しかし、ルカについては単純に覚醒の兆しというわけでもないようで。
『凝視。違和感。よく見たら覚醒しかかりというより開きかけたのを無理矢理閉じてるみたいな変な感じ? そのせいでそんなに非力なんじゃないの?』
以上、ヨミからのありがたいご指摘でした。




