ジャイアントスインガー魔王
前作『迷宮レストラン』のコミカライズが決定しました。連載についての詳細や単行本の発売時期については活動報告でお知らせしていきますので。
「やあ、こんばんは」
大きな着地音だとか激しい衝撃や空間の揺らぎや魔力の流れだとか、そういう分かりやすいものはありません。特に気配を消しているというわけでもないのに、最初からすぐそこにいたかのように気付いたら目の前にいた。魔王の登場はそのようなものでした。
「やあやあ、どうも魔王さん。わざわざ来てもらってすまないね」
「やあ、レンリちゃん、他の皆も久しぶり。シモンくん達は今朝見送ったばかりだけど、うん、無事着いたようで何よりだ」
あまりに自然にそこに現れたことに若干の驚きはありつつも、それでもレンリはなるべく平静を装って応えます。魔王の格好はごく普通のシャツにズボンにスニーカー。それについ先程まで料理をしていたことが窺えるエプロン。エプロンの胸の部分には可愛らしくデフォルメされた動物柄の刺繍が入っています。恐らくは刺繍や裁縫を趣味とするアリスによる作品でしょう。
ちなみに武器の類を持っている様子はありません。ウルに呼ばれて来たはずですが、まだ具体的な用件については聞いていないようです。
「ところで、ここって学都だよね? 来る場所間違えたかと思ったけど……でも、皆がいるからやっぱり合ってる?」
そんな魔王は周囲をキョロキョロと見渡して不思議そうに首を傾げています。
まあ、それについては無理もないでしょう。彼が実際に学都を訪れたのは何年も前のことになりますが、それでも人づてに発展の様子や賑わいについては聞いていました。だというのに、今この場に広がっているのは街どころかペンペン草一本生えない寒々しい荒野のみ。
ところどころに剣化が解除された住人達が意識を失って転がってはいますが、流石にそれだけで街の痕跡を読み取ることはできないでしょう。魔王が来る場所を間違えたかと勘違いしたのも無理はありません。
そんな風に不思議がる魔王に対して、
「あいつがやりました」
レンリは天を指差して堂々と言いました。
なんとも堂に入った嘘吐きぶりです。
実際に街を荒野に変えたのはネムなのですが、そもそも敵が面倒な事件を起こさなければ彼女がそういう蛮行に及ぶこともなかったはず……ネムのことなので何か別の理由で同じような真似をした可能性もなくはないにしても……極めて広義的な解釈をすれば破壊神のせいと言えなくもありません。
「へえ、ずいぶん大きいねぇ」
ともあれ魔王が真上に視線を向けると、そこには惑星を何周もできそうなほど長く大きなムカデ。破壊神という名の巨大害虫は、レンリ達への復讐を果たすべく何やら口先に赤黒いエネルギーを集中しているようです。
大方、威嚇射撃でビーム的なモノでも撃つつもりなのでしょう。
どうせ最終的にこの惑星は喰い尽くしてしまう気なのだから、向こうからしてみれば後先を考える意味はありません。適当な国をいくつか滅ぼしてみるとか、目に付いた山脈を丸ごと消し飛ばすとか、そのくらいのことは出来そうです。
そうやって遠方の破壊を行なって、レンリ達が思い通りに恐怖したり絶望したりすれば最早長く囚われたこの世界への未練も消える。改めて全員を殺して喰らって、その後はまたどこかの異世界に移動して破壊と殺戮を繰り返すのみ。その第一歩として破壊の権能に特化した神としてのエネルギーを集中し……そして一条の光線として地上に向けて放ったのです、が。
「おっと、危ない」
宇宙空間から地上に向けて放たれた赤黒い極太光線は、いつの間にか破壊神のすぐ口元にまで跳び上がっていた魔王の手によって、ぺしっ、と叩かれてどこか明後日の方向に飛んでいきました。弾かれたビームの進路上にある星々がいくつか砕けるかもしれませんが、まあ確率的に生命が存在する星に当たる可能性はまずないでしょう。多分、大丈夫です。
『…………? ……? ……え?』
ムカデの表情や感情の機微などレンリ達には分かりませんが、それでも何が起きたのか分からない時に特有の、キョトン、という困惑は地上からでもハッキリ見て取れました。
「やあ、ごめんごめん。それで何の話だったっけ?」
そんな困惑を引き起こした魔王はというと、またもや誰も気付かないうちに元の位置に戻っています。一応、世界を破滅から救った直後なのですが、その自覚もあるのかどうか。そんなことよりも話の続きが気になるようです。
「ああ、ええと、あの虫が広義の意味で街をこんな風にしてね……でも、まあ街のことは別にいいんだ。元通りに直せるアテもないわけじゃないし。最悪、そこの神様のお尻を蹴っ飛ばして奇跡パワーで何とかさせればいいし」
『あの、もうちょっと手心とか、敬意とか……』
「でも、ね」
女神からのささやかな抗議がありましたが、無論レンリが気にかける様子はありません。ネムの『復元』なり女神の『奇跡』なり、街を直せる手段はある以上そこに深くこだわる意味もなし。ですが、
「あのムカデがゴゴ君を、魔王さんのとこの従業員を騙して酷い目に遭わせてね」
街はともかく、ゴゴに対してしたことは簡単に許すわけにはいきません。結果的に分離に成功して救出できたとはいえ、そのために他の皆が危険な目に遭ったりもしたのです。
それに辛うじて助かったとはいえゴゴの消耗は大きかったようで、今はユーシャに抱えられたままぐったりとしています。回復には今しばらくの時間を要することでしょう。
「……へえ?」
魔王としてもそれは笑って流せない話だったようです。
真上に目を向け、改めて破壊神の姿を見据えました。
全身を覆う真っ黒な甲殻に、惑星を丸ごと捕食できそうなアゴ、大地に巻きついて絞め潰せそうなほど長く力強い身体。それら全体がビクリと震えました。
『きけん、きけん、きけん』
魔王は特に怒気や殺気を放ったわけではありません。
あくまでも、ただ見ただけ。ただ目が合っただけ。
にも関わらず反応したのは、完成した神としての優れた知覚力ゆえか。あるいは女神に倣って『奇跡』の力でこの先の未来を先読みしてしまったのでしょうか。
「一応、ゴゴ君を返して謝れば許すって降伏勧告はしたつもりなんだけど、そこの神様が割り込んできたせいで、そのあたり有耶無耶になっちゃって。でも機会をあげたのに無駄にした原因の半分はあっちにもあるわけだし……だから、まあどうなっても仕方ないよね?」
「そうなんだ。うん、そういうことなら仕方ないね」
魔王が返事をしたかどうか。
そのくらいのタイミングで、天から破壊神の頭が降ってきました。
もう復讐も何もあったものではありません。
惑星の地殻ごと魔王を噛み砕くべく放たれた突進攻撃は、それこそ巨大隕石の墜落にも匹敵する威力があったことでしょう。まともに地面に当たっていれば大量の土砂を巻き上げてそれが空を覆い、この世界に氷河期や生物の大絶滅が訪れていたかもしれません。
「よっこいしょっと」
無論、この場に魔王がいる以上、そうなる可能性はゼロですが。
破壊神の突進は地上2000メートルほどの高さでピタリと停止していました。
魔王がそっと手を添えて動きを止めた、のでしょう。
状況から判断するにそう考えるほかありません。
これだけ巨大な物体が超高速で大気中を移動したのであれば、たとえ地面に直撃しなかったとしても周辺一帯が暴風じみた余波に襲われるはずですが、そういった影響も一切なし。どういう原理が働いてこうなっているのか、まったく理解のしようもありません。一番疑問に感じているのは攻撃が不発に終わった破壊神でしょうが、そのことについて考える時間はありませんでした。
「じゃあ、ちょっと行ってくるね」
『え』
魔王に殴られたのでしょう、恐らくは。
全身バラバラに千切れそうな衝撃を破壊神が知覚した時、その身体は既に先程までいた惑星上にありませんでした。
「おや、あの黒い線がさっきのムカデかな?」
その様子は地上にいる皆からも目視できました。
なにしろ見慣れた満月の中央に見慣れぬ黒い一本線が引かれているのです。
魔王に殴り飛ばされた破壊神の身体が、月の地面にぐったり横たわっていました。
よく見れば黒い線が微妙にのたくって動いている様子や、無数の肢がモゾモゾと動いているのも観測できたことでしょう。まったく事情が知らない天体学者がたまたま望遠鏡で月を見ていたら、ショックで自分の正気を疑うハメになっていたかもしれません。
『ちょっと、魔王さん。あんまり強く叩き付けすぎて月の軌道とか変えないで下さいね?』
「ああ、ごめんなさい。ズレちゃった分は後で押して戻しておきますね」
「戻せるんだ……そもそも、なんでこの距離で普通に会話できてるんだろうね?」
「深く考えるな。あの男のやることをまともに考えるだけ損だぞ」
と、話しているのは前から順に女神、魔王、レンリ、シモン。
テレパシーにしても流石に距離やら何やらおかしい点だらけですが、シモンの言う通り魔王のやることをいちいち真剣に考えても仕方ありません。このあたりの対応の違いは付き合いの長さからくる差によるものでしょう。
「そうそう、魔王さん。ソレ、下手にバラバラにすると破片からまた再生してくるかもしれないから、倒し方には注意したほうがいいかも。たとえば何かに封印するとか」
「そうなんだ。それじゃあ、えーと……よし、見つけた」
レンリの助言を受けた魔王は、しばし何かを探している様子でキョロキョロとあちこちを見ていましたが、それも長くはかかりませんでした。先の一撃で既にグロッキーになっていた破壊神の尻尾の先端、その強靭な甲殻に握力で両手の指をメリ込ませると、そのまま月面でグルグルと回転を始めたのです。
地上からも黒い線が回転しているのがよく見えます。まるで時計の長針だけ高速で回っているかのようでした。魔王は更にグルグルと回転の勢いを増していき、そのせいで月面に大きな渦巻き模様が刻まれて、地上で見ている皆の目では姿を追えなくなるほど加速するまで何秒もかかりませんでした。そして……。
「どっこいしょっと」
魔王のジャイアントスイングにより発生した強烈無比なる遠心力を受けた破壊神は、そのまま一瞬で太陽系外へと離脱。更に複数の銀河を超光速で貫く形で、魔王が狙った的へと一直線に飛んでいきます。
『……?、……!、……!?』
あまりに速すぎて神の知覚力でも完全に周囲の認識をするのは不可能、この推進力から逃れて脱出するのは更に不可能という状態ですが、それでも一つだけ分かることがありました。
破壊神が向かう先にあるのは宇宙にぽっかり開いた穴。
星々の輝きすらも逃れられない重力の渦。
そう、ブラックホールです。
『いたい、いたい、こわい、こわい』
重力により圧死することができればよし。
とはいえ、なにしろ不死身の破壊神。
そうもあっさり死ねるかどうかは分かりません。
何億年か、何十億年か、あるいはもっと長くか。
ブラックホールが寿命を迎えて消滅するまで延々潰され続けたまま、脱出することも死ぬことも狂うことすらできないという可能性だってあり得ます。
そうなった場合、下手に心など持とうとせずに無機質なシステムのままであったなら幾分マシだったかもしれませんが、まあ実際どうなったかなど今更確認のしようもありません。
百万年ほど時代遅れだった破壊神の末路はこのようなものとなりました。




