心と計算と確率
学都があった場所には最早建物一つすら残っていませんでした。
『腕』の掌から元々建物だった砂粒が零れ落ちていたあたり、物体の変形にはある程度まとまったサイズを要するのでしょう。これで触れた物を武器化する力は無力化されたも同然です。
それに何より先に街を滅ぼしておけば、いかに破壊神といえども滅ぼすことは不可能。実に論理的。ネムの冷静かつ大胆な発想力の前に、流石のレンリも驚嘆のあまり言葉も出ないようです。
「いや、この子怖い怖い怖い! ネム君、本気で怖いんだけど!?」
ようやくレンリが絞り出した反応がコレ。
ネムの恐るべき才能への称賛を禁じ得なかったのでしょう。
『くすくすくす。いえいえ、それほどでもありませんわ』
「あるよ!? それほどでもあるよ!?」
自分の能力に驕らず謙虚さを忘れない。
まさに迷宮の鑑のような大人の対応です。
『まあまあ、落ち着いて。今回のことが片付いたら、またネムに元通りにしてもらえばいいじゃないですか』
「え、できるの?」
しかし、流石に気の毒になってきたのか女神が補足を入れました。
ネムの能力が秘める可能性は、レンリが思うよりだいぶ広いのです。
「『復元』っていうからてっきり過去方向への変化だけかと思ってたけど、でも言われてみれば能力が変化してそうなフシもあったしね。なるほど、元に戻せる前提でやってたなら本当に悪くない手だったかも……」
『ええ、お任せくださいな。もし0.1%でも元通りにできる可能性があるのなら、我はその可能性に賭けたいと思うのです』
「確率低くない!? いや、まあ具体的な成功率というより物の例えというか臨む姿勢を形容しての数字なんだろうけど、そこは謙虚さを出さないでもっと確実性の高そうな数字を出して欲しいかな?」
『ふむふむ、そういうものなのですか? では改めて……ご安心ください。我の計算では99.9%成功するはずですわ』
「うん、これはこれで不安だね!」
……と、まあ冗談はこの辺りにしておきましょう。
武器を失ったことと街が消えたことで混乱しているように見えた周囲の『腕』達でしたが、レンリ達がお喋りをしている間に落ち着きを取り戻したようです。
そもそも武器を失おうが千本に迫る樹木サイズの『腕』だけで相当の脅威。
これだけの数がいれば逃げ道を塞ぐのも女神を捕えるのにも不足はないでしょう。建物が消えたのも遮蔽物がなくなって隠れ場所が無くなったと考えれば、むしろ先程までより有利な状況かもしれません。
『あらあら、これは困りましたね?』
「やれやれ、まったくだね。でも、まあ何事も見方一つで随分と変わってくるものさ。ピンチとチャンスは表裏一体ってね。具体的に言うと――――」
もっとも、有利な条件が増えたのは敵だけではありませんが。
「――――諸君。狭い所に閉じこもる時間はおしまいだ。随分とフラストレーションも溜まった頃合だろう? ちょうど巻き添えを気にしなくても良くなったことだし、ここからは遠慮なく全力で暴れてくれたまえ」
◆◆◆
全方位から地面を這って迫り来る千本腕。
それらがレンリに化けたウルと女神に接触するまで、どれほど多く見ても十秒はかからないでしょう。付け加えるならウルの自爆は、女神がすぐ傍らにいることで事実上封じられています。自身を一瞬で粉々に消し飛ばすことができなければ、ウルもまた捕食される可能性が出てきます。
とはいえ、その可能性は限りなく低いものですが。
『……この光景。話で聞くのと自分で見るのとでは随分と感じが違うわね』
『まったくなのです。まあ、責任の所在について考え始めるとネムから目を離したモモ達が悪いってことにもなりかねないので、そこはあんまり深掘りしない方向で。まあ、それに』
『ええ。周りを気にせず本気で暴れていいのは正直助かるわ』
真っ先に飛び出してきたのはヒナとモモ。
先程、上空の迷宮では事実上敗走したコンビです。
ライムの転移魔法によるものでしょうか。
女神達のすぐ頭上、地上三メートルほどの位置に突如出現した二人は、
『『ぶっ飛ばす!』』
私怨たっぷりの気合一閃。
溜まりに溜まったフラストレーションを晴らすべく、モモの能力でヒナを強化。周囲一帯の地面そのものを液化して、水飴の如く粘度の高い底無し沼として『腕』の行動を阻害します。
そして動きを止めたその一瞬で、今度は大量の砂を液体から固体へと再変化。研磨剤代わりにした砂混じりの超音速津波で、女神達がいる場所以外の視界内全ての範囲を薙ぎ払いました。
『やった!』
『ザマーミロなのです』
この一瞬で周囲を取り囲んでいた千本の『腕』は、もう全滅状態。
不死身の存在ゆえバラバラに切り刻まれ、折れ千切れても消滅はしませんが、そのまま何十キロの彼方にまで押し流されてしまえば脅威としては無いも同然です。
「むぅ」
一方、先の二人に続いて現れたライムはこの戦果を前にやや不満顔。
自分が暴れる間もなく敵が片付けられてしまったのが残念なのでしょう。
「ああ、ライムさん。多分だけど、おかわりの心配なら大丈夫だと思うぞ」
「う、うん……ほら、上……」
ですが、ライムの心配はまったくの杞憂です。
続いて現れたルグとルカの言う通りにライムが頭上に視線を向けると、黒く染まった第二迷宮の砲塔から『腕』の元になる黒液が続いて二発、三発と地上に向けて連続で撃ち込まれているではありませんか。更にその後も砲撃が止む様子はありません。
着弾した黒液が広い範囲に飛び散って、再び現れた幾千万の『腕』のおかわり。
更には地上の建物を武器化できなくなった対策としてか、迷宮の構造材そのものを変形させたと思しき意匠の剣や槍や斧が雨あられと降り注いできます。地上に広く展開した無数の『腕』達が新たな武器をキャッチして武装したのを見たライムは、
「わくわく」
もう我慢も限界のようです。
ちなみに先程やった底なし沼からの津波へのコンボ攻撃でも対処はできそうですが、ここで楽しみを横取りしては悪いと思ったのかヒナが手を出すつもりはなさそうです。
『まあ、モモは手を出すのですけど』
「ん。感謝」
ヒナの代わりというわけではありませんが、今度はモモの『強化』がライムへと付与されました。筋力、魔力、その他諸々。およそ思いつく限りの戦闘関係の能力が爆発的に上昇。その結果はというと、
「ふふ、ふふふ」
味方がいる狭い範囲を除いた全てを隙間なく埋め尽くす破壊の嵐。
閃光、凍結、爆炎、雷電、旋風、超重力。一発だけでも都市一つを吹き飛ばせそうな威力の攻撃魔法が毎秒数回ものハイペースで連発され、更に自らの魔法が巻き起こした破壊の只中に突っ込んでいっては手足を振るって殴るわ蹴るわ。
必要なことだったと頭では理解していても、思うように運動できない城暮らしはライムに少なからずストレスを与えていたのでしょう。故郷の村や迷宮都市でもほとんど発散できないまま溜まったストレスが持ち越され、そして今ここで絶好の解消の機会を得たというわけです。
そんなライムを打倒すべく上空の迷宮からは十発二十発、更に数え切れないほどの砲撃が絶え間なく撃ち込まれてはいました。しかし、いくら繰り返そうが余計にライムを喜ばせるばかりです。
中には女神や迷宮を取り込むための『腕』の元となる黒液ではなく、ライムを狙うために急造したものと思しき高密度に圧縮された構造材の砲弾などもありましたが、彼女はあえて逃げずに真正面から拳で受けて砲弾を次々と粉砕していました。
「ふぅ、すっきり」
そうして、いったい何十分遊んだことでしょうか。
ようやくライムも満足した様子。仲間達の所へ戻ってきました。
たまに手薄になった部分をボコボコにしていたヒナ達も、同じくスポーツで爽やかな汗を流したかのように揃って良い笑顔を浮かべています。
「あれは……もう、打ち止めってことか?」
ルグの指摘で皆が上空の迷宮に生えた砲塔に目をやります。
新たに黒液や物理弾が撃ちだされる様子はありません。いえ、そればかりか全長五十キロもあったはずの第二迷宮が、元の半分以下にまで大きさを減らしているようなのです。
サイズだけでなく迷宮の表面は遠目で見ただけでもハッキリ分かるほど穴だらけ。ライムも魔法の流れ弾など除けば積極的に迷宮を狙ってはいませんでしたし、あれらの虫食いは最早修復に回す余力すらないことの証左にも思えます。
幾千万もの『腕』や、それらが持つ武器の供給。戦いの序盤にウルに焼かれたり、ヒナが脱出時に破壊した箇所の修復にも何かしらのリソースは消費していたことでしょう。
レンリの推測によれば敵のリソースは決して無尽蔵というわけではない。
たとえその正体が神に類するものだとしても、コストの縛りからは決して逃れられないのです。本来の破壊神の欠片に宿っていたものに加えて、ゴゴから奪った力を使っていたのだとしても恐らく限界は遠くない。むしろ、よくここまで持ったものだと言うべきかもしれません。
「ううん……たぶん、まだ……」
が、まだ完全なガス欠というわけではないのです。
むしろ、獣は追い詰められた時が一番怖い。
この場で最も臆病なルカは人一倍そういった危険に敏感でした。一番最初にその事実に気付いたのも、迷宮から発せられていたプレッシャーがいつの間にか消えていることを感じ取ったからこそでしょう。
「あれ、もしかして……からっぽ……?」
からっぽ。
その言葉の真意を仲間達が理解するまでに数秒を要しました。
たった数秒、されど数秒。破壊神にしてみれば、先程までの身を削るような猛攻撃は、すべてこの数秒を得るための布石だったのです。
上空の迷宮が、ぱかり、と真っ二つに割れました。思えば、このタイミングで割れたこと自体、そこに意識を向けるための布石だったのでしょうが。
その中はルカが言った通りからっぽ。ほとんど空洞でした。
モモやヒナが入った時には間違いなくあったはずの壁や床、通路や部屋も何もなし。たとえるならタマゴの殻を割ったら中身が入っていなかったような状態です。ならばタマゴの本体たる黄身や白身、つまりは迷宮を迷宮たらしめる構造物の数々はいったいどこへ行ってしまったのか。
その全てを武器や砲弾として撃ち尽くしてしまった?
そうなのかもしれません。が、それだけならギリギリまで見た目を取り繕う意味はないはずです。しいて考えるとすれば余力を実際以上に多く見せかけることで女神側の焦りを誘うくらいでしょうが、仮にそれが本当だとしても効果を発揮していたとは言い難い。
それに先程の砲撃や『腕』の物量攻撃がロクな効果を挙げていなかったことは、戦況を見ていれば一目で理解できたはずです。余力が有り余っているならともかく、迷宮の構造物そのものを削らねばならぬほど消耗した状態で、無謀にも無駄撃ち同然の攻撃を続けていたと安易に考えていいものでしょうか?
そこには何か必ず合理的な理由があるはず。
と、この場面で謎解きに意識を向かわせること自体がすでに罠。
正攻法で押し切る戦力がなかったこと自体は本当だとしても、ああも面白いように倒され続けたのも、あえて優勢に立たせることでの心の緩みを狙ってのこと。
『こころ、べんり、だ、です、ね』
今、戦力になり得るライムや迷宮達は破壊神の狙いである女神を守るべく、その周囲を囲むような位置に立っていました。特に誰かが言い出したことではありませんが、敵の狙いが明確になったことで自然とそういう位置取りになったのです。当然、各人の意識や視線も主に囲いの外側に向くことになります。
『おそい、己、たべたい、かった、うれしい、でした』
これだけの積み重ねがあれば、第二迷宮の大部分を囮として意識を誘導している間にコツコツと地面を掘り進み、囲いの内側へといきなり現れた破壊神への反応が僅かに遅れるのも無理はなし。女神のすぐ目前、手を伸ばせば届きそうな至近に飛び出してきた破壊神の姿は、これまでのゴゴを模したものや『腕』などではありませんでした。
一番最初に皆が見た、真っ黒い球体。
破壊神にとっては現在の本体、存在の核とも呼べる姿です。
無数の砲撃に紛れ込ませて自身の最重要部位を撃ち出し、地面にめり込ませた上で地中深くを進んできたのです。恐らくは、捕獲という過程を踏まずに一瞬で直接食べるために。
そして球体と言っても厳密には真球というわけではありません。
その表面が三日月状にぱかっと割れて開き、まるで大きく口を開けたような見た目になっています。その口の先がどこに続いているのかは不明ですが、これで土や石を喰らって飲み込むことで何百メートルも土中を掘り進んできたようです。直径一メートルほどの球体とはいえ、見た目通りの容量とは思わぬが得策。人間一人分くらいのサイズなら難なく丸呑みにしてしまうことでしょう。
『あら?』
女神の身体能力や反射神経は常人以下。
今更気付いたところで回避や迎撃は不可能です。
女神自身には、ですが。
球体がその身体に触れる直前。
地面から伸びてきた『腕』が球体の突撃を受け止めました。
もっとも、『腕』とはいっても破壊神が操るそれではありません。腐乱死体のような青白く不気味な腕ではなく、健康的で力強い生きた人間の腕。世界を救う勇者の腕です。
「よし、レンリの言った通りだな」
「ふふふ、もちろん100%計算通りだったとも!」
「いや、だいぶアドリブが多かったと思うのだが……」
ボール状の破壊神をキャッチしたのは、女神が立っていたすぐ真下の地面にシモンの技の助けを借りて隠れていたユーシャ。その隣で調子に乗っているレンリも同様。今度はどちらもウルの変身ではなく紛れもなく本人でした。




