インターバル
「……俺、もしかして明日から無職になるのか? 婚約して早々にヒモは流石になぁ……いや、それ以前に施設破壊とかで捕まるかもしれんが……」
シモンは見事に迫り来る巨大剣を打ち破り、そして自分の職場を木っ端微塵にしてしまいました。まあ大事の前の小事というやつです。やってしまったものは仕方がありません。
『落ち込むのは後よ! とりあえず今はモモを早く何とかしないと』
「ん。何とかする……介錯?」
『できれば治す方向で!』
「ふふ、分かってる。場を和ませるための冗談」
『和まなさがすごいわね……』
シモンが落ち込んでいる間にも、ヒナとライムは次の目的のために動き始めていました。モモの状態は悪化の一途。見た目から正確な時間の猶予を計ることは難しいのですが、恐らくそう長くは持たないでしょう。
黒液による侵食がこのまま手遅れになるまで進行した場合、何が起こるのかは予想が付きません。今使っている化身の身体が崩壊するだけならまだしも、ゴゴのように敵に取り込まれたり、最悪の場合は第二に加えて第四迷宮の本体までもが新たな敵として現実世界に飛び出てくるかもしれないのです。
杞憂で済めば良いのですが、なにしろ未知数の要素が多すぎて何をどこまで恐れるべきかもほとんど分かりません。念には念を入れておくに越したことはないでしょう。
「下」
『下、って? あ、一旦地上に降りて皆と合流するってことね』
ライム語に慣れていないヒナですが、その意図するところはすぐ伝わりました。
何かしらの処置を施すにしても、何もない空中に浮かんだままよりは足下がしっかりした地面のほうがやりやすいでしょう。レンリ達と合流すればヒナ達からは出ないような事態解決のためのアイデアも出てくるかもしれません。
なので、そのようにしました。
建物の中にでも隠れられていたら探すのに苦労したところですが、幸いレンリ達地上の仲間は揃って目立つ大通りのど真ん中にいました。
恐らく、先程の戦いで建造物が剣になる様子を彼女達も見ていたのでしょう。
その現象が具体的にどういうものなのかも不明点が多いのですが、もしも隠れている建物を丸ごと剣にさせられてしまったら、最悪一瞬での全滅もあり得ます。下手に籠城を決め込むよりは、敵の動きが見えやすい開けた場所に陣取るのが今の状況では正解です。
さて、そうと決まれば合流まで時間はかかりません。
瀕死のモモを抱えて全速力を出せないヒナの飛行速度でも、自由落下の速度と合わされば合流までに十数秒しか要しませんでした。ライムとシモンもすぐその後に続きます。幸い、大きなダメージを負わせた直後だからか敵の追撃もありません。
『レンリさん、モモを助けて!』
「やあ、おかえり。状況は分かっているつもりだよ」
そしてレンリ達の側も地上から先程の空中戦を見て、大雑把な状況は把握していたようです。距離があり過ぎて常人の視力では小さな点が動き回っているようにしか見えなかったはずですが、恐らくはウルが逐一状況を伝えていたのでしょう。
さて、そんなレンリはヒナ達が目の前に降りてくる否や……、
「さてさて、まずは……キミ達も食べるかい? シモン君達のお土産、銘菓『魔界草加せんべい』だって。薬草入りで健康に良いとかなんとか」
道端に山積みになっているお土産の箱……『完全オリジナル商品』『草を加えている』『他意はない』など意味不明の文言が包み紙に如くびっしりと印刷されている……をボリボリと齧りながらヒナに差し出してきました。ヒナはバナナの皮でも踏んづけたかのように思いっきりずっこけています。
「ははは、ちなみにこれば場を和ませるための小粋なジョークというやつさ」
『それはもうライムさんがやったから!』
「なにっ、しまったネタが被ったか」
「ふふ。ぶい」
『貴女達って常にボケ続けてないと息ができないの!? マグロの親戚なの!?』
場を和ませるつもりが逆にヒナを怒らせる結果となってしまいました。
まあ、これ以上からかうのも可哀想ですし、それに何よりモモに時間が残っていないのは本当です。とはいえ、ヒナには何をどうしたらいいのか見当も付いていなかったのですが。
「なに、安心したまえ。治療法ならすでに見つけてあるとも」
『本当? おせんべいボリボリしながら言われても説得力のなさがすごいんだけど』
「…………」
『無言で食べればいいってものじゃないんだけど!』
大丈夫。
多分、きっと、大丈夫。
レンリ達とてヒナやモモが上空の迷宮内で必死に戦っている時に遊んでいたわけでは決してない……まあ少しくらいは遊んでいたかもしれませんが、それでも一応やるべき仕事は果たしていたのです。
「よし、じゃあさっさと済ませてしまおうか。とりあえず、そこにベッドを用意しておいたからモモ君を寝かせてくれるかい?」
『え、ええ。これでいい?』
ベッドとはいっても、その辺の飲食店から集めてきた適当なテーブルを道に並べて布を被せただけの簡易的な物です。寝心地は最悪でしょうが、この際贅沢は言っていられません。
『では、これよりモモ君の手術を始めるとしよう。まずは――――』
そうして恐らくは史上初の迷宮に対する外科手術。
モモを救うための緊急ミッションが始まったのです。
◆◆◆
『いやぁ、今回ばかりは本当に危なかったのですよ』
術後、そこには元気にせんべいをボリボリ齧るモモの姿が。
こうして史上初の迷宮に対する手術は無事に完了したのです。
所要時間はおよそ五秒くらいだったでしょうか。
「ふふふ、どうやら私の推測は正解だったようだね」
『いや、なんでそこで全力のドヤ顔キメられるのよ? 結局、レンリさんほとんど何もしてないじゃな……あっ、本当にこのおせんべい美味しいわね』
安心して気が抜けたのでしょう。
戦闘による大きな心的負担、あるいは過酷なツッコミを強いられたストレスを暴食で癒しているのか、ヒナやモモも一緒になって全員でせんべいを齧っています。
「ははは、まあ無事だったのだから誰が治したかなどいいではないか。俺とて、何を斬るかの見当が付いていなければ、こうも上手くは出来なかっただろうしな」
そう、あれだけ勿体つけていたというのにレンリはほとんど何もしていません。
シモンにモモの中の何を斬るかの指示を一言伝えたのみ。
それでシモンが慎重にモモの胸部を一刺ししたら、途端にモモの身体中を侵食していたの黒液が傷口から一気に噴き出してきて、そのまま一滴残らず消滅してしまったのです。
「そのあたりの説明も詳しく聞きたいものだな。さっきは場の流れであのデカいのを斬ったり蹴ったりしてみたが、俺とライムは帰ってきたばかりで全然事情が分からんのだ」
「うん。謎」
上空の迷宮を見上げてみれば、先程ウルやヒナが与えた損傷が徐々に塞がり始めています。そう思わせて油断を誘う策略というセンもまあ無くはないにせよ、恐らくは見た通りに敵側も今はダメージを癒しながら再攻撃の準備を整えているということなのでしょう。
迷宮達があれだけ必死に頑張った成果が見る見るうちに消えていくのを眺めているしかないというのは口惜しいものがありますが、態勢を整える猶予が生まれたのはお互い様。
「まあ私達にしたって知ってることは大して多くはないんだけど……どうだい? 今のうちに皆が集めた情報を共有して、これからの方針を考える作戦タイムにするというのは」
先程レンリが見つけた治療法などもその一つですが、それぞれ手分けしながら動き回る中で新たに得た情報は少なくないでしょう。一つ一つでは役に立ちそうにない情報でも、それぞれを繋げて見ることで新たなヒントが浮かび上がってくる可能性もあります。
ただ闇雲に暴れ回っていて勝てる戦いではありません。
街を守り、命を守り、そして元のゴゴを取り戻すためには、論理に基づいた戦略が必要不可欠。皆が集めた情報の交換や、それを元にした作戦立案など、この戦闘中の小康状態において何をするかが、今後の戦いの趨勢を大きく左右することに間違いはないでしょう。
他の皆も概ね同意見。
それでは早速話し合いを始めよう、というところで……。
『くすくすくす』
聞き覚えのある笑い声に一同一斉に振り向きました。
この戦いの序盤、偽ゴゴが皆の前に現れた時を彷彿とさせるような状況です……が、どうやら敵が裏の裏を掻いて奇襲をかけてきたというわけではなさそうです。
今度の声は明らかにゴゴとは別人でした。
そして、この場にいる皆はその声に聞き覚えがありました。
「げ」
思わず正直な反応をしてしまったレンリですが無理もありません。この声の主とはさほど深い付き合いがあったというわけではないのですが、あの時の脅威については今でも鮮明に思い出せます。
果たして、敵か味方か?
いやまあ、間違いなく味方ではあるのでしょうけれど。
行動の読めなさと厄介度合いで言ったら下手をすれば敵以上。
『ごきげんよう。そのお話、我も仲間に入れて下さいな?』
第五迷宮がそこにいました。




