帰ってきた二人
ヒナの目の前に迫るは天にも届く巨大剣。
それを軽々と振るう『腕』の大きさときたら別の何に例えればいいかも分かりません。世界中に存在するお城や神殿を見渡しても、これほど太い柱は一本もないでしょう。
通常の人体ではあり得ない形で筋肉や骨格が不自然に隆起しており、しかし、その動きには一切の淀みなく、その太刀筋には一片の迷いもなし。
単なる力任せの大振りではありません。
あまりに巨大すぎるせいで分かりづらいものの、『腕』は剣を効率的に操るための術。すなわち剣術を確かに使っていたのです。
相手の動きの先を読み、避けられにくく受けにくい位置を目掛けて必殺の、必ず殺すための一撃。モモを抱えて動きが鈍っているヒナでは避けられそうもありません。先程迷宮を脱出した時のように、一時的にモモを放り投げて素早く回避するにも時間が足りず……。
『そんな、急に止まれな――――』
ヒナは高速で迫ってくる刃を眺めたままどうすることもできず、なんの守りにもならないとは分かりつつもせめて自分を盾にモモを庇おうと身構えたところで……光を見たのです。
巨大剣の刀身半ば。
そこに雷が落ちた、ように見えました。
いいえ、しかし自然の雷ではあり得ません。
もはや半壊状態とはいえ上空は依然として第二迷宮で塞がっていて雲などありませんし、そもそも光は天から落ちたのではなく下から、大地の側から昇ってきたのです。
『い……って、あれ?』
閃光から遅れること数瞬。
どん、と爆発音にも似た打撃音がやっと届きました。
ヒナ達は真っ二つどころか傷一つ負っていません。
直前まで間近に迫っていた巨大剣は、状況から考えるに急激に向きを変えて何も無い空間を通過したものと思われます。
とはいえ、ただ狙いを外しただけではありません。
不可避のはずであった刃は半ばから「く」の字に曲がり、元々の勢いに受けた打撃の威力が加わって街の遥か外まで飛んで行ってしまったのです。独特の形のせいかヒナはまるでブーメランのようだと思いました。もっともモノが折れた剣では戻ってくるはずもありませんが。
どうやら間一髪のところで助かった、らしい。
しかし、いったい誰が……という疑問についてはすぐ解けました。
ヒナが言葉にするよりも先に、答えのほうからやってきたのです。
「おお、誰かと思えばそなたらであったか」
『え? ……って、あ!? ど、どうも、です』
聞き覚えのある声がしたと思ったらシモンの逞しい腕に抱えられていました。男性に抱きかかえられる未知の感触への戸惑いゆえか、ヒナは上手く言葉が出てこない様子。
「無事で何より、と言いたいところではあるが、あまり無事ではなさそうだな?」
『あ、そ、そうなの!? モモが大変で』
「そうか、急いで何とかせねばな。だが、その前にこれだけは言っておくとしよう――――二人とも、よく頑張ったな。もう大丈夫だ」
その言葉を受けて、ヒナは一気に力が抜けてしまいました。
これまで張りつめていた緊張の糸が切れたのか。
あるいは絶体絶命の危険を脱して安心したのか。
『え、えっと、あの、その……』
もしかすると、シモンに爽やかな笑顔を向けられてから何故だか顔が熱くなる、落ち着かないのに不快ではない奇妙な感覚と何かの関係があるのやも……、
「浮気禁止」
「待て、ライム。誤解だ!?」
という、ヒナの疑問が深く掘り下げられることはありませんでした。
先程のシモンと同じようにいつの間にか空中に現れたライムが、シモンの背中から首に腕を回して絞め技の構えを取っていたのです。迂闊な返答をすれば、このまま首を絞められて意識を失ったまま地面に叩き付けられかねません。まあ当人達以外からは、状況も弁えずイチャついているようにしか見えないのですが。
『…………』
ヒナは顔の熱がスゥッと引いていくのを感じました。
さっきの感覚は何かの気の迷いか勘違いだった。そういうことにしておくのが誰にとっても正解だと、幼いながらに女の勘が激しく警鐘を鳴らしていたのです。余談ですが彼女が『吊り橋効果』という言葉を知るのは、もうちょっと先の話になります。
『……今、そういうのいいから。助けられておいて失礼かもだけど、もうちょっと真剣にやってくれないかしら?』
「う、うむ、すまぬ」
「ん」
少しばかり言葉にトゲが混ざるのはご愛敬。
それに呑気にイチャついている場合ではないというのも間違いではないのです。
先程、巨大剣の軌道を逸らしたのはライムの飛び蹴り。
速さも威力も特大の落雷を思わせる一蹴りでした。
たったの一撃で『腕』は武器を失い戦力半減、とは残念ながらいきませんでしたが。
「おお、まだデカくなるのか?」
「わくわく」
どうやら『腕』同士は接触して融合することで、そのサイズとパワーを上げることができるようです。街のあちこちに飛び散っていた無数の小さな『腕』達が這いずり、合体を繰り返し、見る見る間に先程の巨大腕へと吸収されていったのです。
「おお、上からも一本デカいのが来るな」
「わくわく」
極めつけは、先程上空の迷宮内でヒナ達に拳を繰り出してきた、もう一本の巨腕が付け根となる迷宮外壁を自ら砕いて、地上へと落下してきたのです。
そして、地上の他の『腕』達と同じように合体。
地上と上空の巨大腕が二本と、街中に散っていた無数の小腕。
そのほとんど全てが集合して一本の超巨大腕と変貌を遂げたのです。そればかりか今なお上空の迷宮から降り注ぐ黒い液体を吸収し、更に少しずつ拡大を続けています。このままでは時間が経てば経つほど強く、手に負えなくなってしまうことでしょう。
指の一本一本の太さ長さが巨塔の如し。
その掌の広さときたら、城砦サイズの建物を軽々鷲掴みにできるほど。
まあ実際にそうされるのは、シモン達としても予想していませんでしたが。
「おお!? 俺の職場が!」
「わくわく」
『ライムさん、そこでワクワクするのは可哀想だからやめてあげて』
超巨大腕は学都の南端近くにある騎士団本部の建物を掴み、そのまま軽々と持ち上げたのです。自身の職場が文字通り掌中に握られたシモンは流石に動揺を隠せません。
が、本当に驚くべきはこの後でした。
このまま騎士団の建物を丸ごと投擲するだけでも、とてつもない威力の弾丸となることは確実。しかし、恐らくはこの『世界』の法則の作用によるものでしょう。超巨大腕が握り締めた建物は砕けることなくグニャリと歪み、粘土の如く変形し、細く長く引き伸ばされて、ほんの数秒で一振りの剣と成り果ててしまったのです。
「……騎士剣ならぬ騎士団剣か。あれって元に戻るのか?」
『さ、さあ、どうなのかしら?』
空からよく観察してみれば、他にも本来街中にあるはずの建物が消失しているのが確認できました。先程ライムが蹴ってどこか遠くへ飛んでいった剣は、恐らく街の中心近くにあった冒険者ギルドだったものと思われます。建物が倒壊したような跡もなく、そこだけぽっかり空き地になっている様子から見て間違いないでしょう。
『早くモモを安全なところまで運びたいけど、見逃してくれないわよね?』
敵はサイズを増すほどにパワーとスピードも増大するというのなら、今の見た目から推測するに少なくとも先程の倍以上に及ぶでしょう。『腕』と剣を合わせた長さを鑑みると、街のどこへ逃げようが攻撃の射程内から出られそうにもありません。
さっきライムが蹴り飛ばしたように、超巨大腕が握る『騎士団』剣をどこかへ吹き飛ばしてしまえば多少の時間稼ぎになるかもしれませんが、敵がどんな建物でも自由に武器へと変えられるなら根本的な解決には繋がりません。
この街には他にもいくらでも大きな建物がありますし、そもそも重さや大きさが増した上に時間が経つにつれて天井知らずに強くなり続けるパワーで振るわれた剣を何度も同じように弾ける保証もないのです。
「では、倒すか」
「ん」
ならば、答えは単純。
武器を奪うでもなく、逃げるでもなく、『腕』を倒せば済む話。
「まさか、いきなり実戦で使うとは思わなかったがな」
『あ、その剣って!』
ヒナは今ようやく気付きましたが、シモンの腰に差してあるのは今朝方レンリが仕上げたばかりの剣に違いありません。どうやら、ヒナ達に合流するより先に別行動中のレンリから受け取っていたようです。
シモンが鞘から剣を抜くと、何かしらの危険を感じ取ったのでしょう。
ひたすらに融合と増大を繰り返していた『腕』が、空中のシモンに狙いを定めて巨大な『騎士団』剣を構えました。元となった建物の質量に超巨大腕の膂力を合わせたら、その衝撃力がどれくらいになるか想像すら容易ではありません。
「うむ、よい剣だ」
しかし、対するシモンに恐れなし。
重力操作の応用にて空中に足場となる重力場を形成し、真っ向から打ち合う構えを見せています。その表情からは、まるで新しいオモチャを買ってもらったばかりの子供のような、隠し切れない期待感が滲み出ています。
「よし、来い!」
シモンの声に応えたのか。
超巨大腕の振るう『騎士団』剣が、真っ向から振り下ろされました。




