異界侵食
全体的に黒っぽくなったゴゴがレンリ達の前から姿を消した直後。皆と一緒に先程の話を聞いていたルグは、嫌な記憶を思い出して冷や汗をかいていました。
「……なんていうかさ、怒りの感情ってある程度以上の一線を超えると、逆に頭の芯のあたりがスーって冷えてく感じするよね」
『へえ、そういうものなのです? まあ、モモ達はまだ生まれて五年かそこらですからね。もっと人生経験を積めば実感を伴って頷けるのかもですけど』
「どうだろうね。人間でも感じ方に個人差はあるだろうし、人間と迷宮だったらもっと違ってもおかしくないし。そもそも本気で怒る機会なんてないに越したことはないわけだし」
一見すると穏やかそうに話しているように見えるレンリとモモ。
だが、この場合は穏やかそうであるのが逆に不味い。
過去に一度、ルカと交際を始める直前にルグが本気でレンリを怒らせたことがありましたが、彼はその時の経験から今回の怒りがそれに匹敵すると直感していたのです。
「ま、待て待て待て! まあ落ち着けよ、レン。さっきのゴゴ、なんか明らかにおかしかったろ? まずはどうやって助けるか急いで考えないと」
「大丈夫だよ、ルー君、私は冷静さ。さっきの彼女は見るからに変なモノに憑りつかれてる感アリアリだったからね。操られているだけの被害者を、あっちの口車に乗ってまんまとブチ殺したりするわけないだろう」
「だ、だよな!?」
「まあ、死んだほうがマシ、とは思うかもしれないけど。ふふっ、大丈夫、どうにか殺さずに済むような形を考えてみるから安心したまえ」
「お、おう。ほどほどにな……」
ルグも駄目元でレンリの説得を試みてはみたのですが、結果はこの通り。
ゴゴは助かっても助からなくても大変な目に遭うであろうことが半ば確定したわけですが、一応の義理は果たしたと言えるでしょう。万が一、下手にかばって同罪と見なされでもしたら目も当てられません。
それにレンリを宥めようが宥めまいが、結果は大して変わらなかったことでしょう。というのも、今回怒っているのはレンリだけではないのです。
『もうっ! 姉妹に自分を殺させようだなんて、我はそんな残酷なことを考える子に育てた覚えはないの! 二度とそんなこと言えないようにブッ殺し……じゃなくて、死なない程度に根性を叩き直してやるの!』
『ゴゴお姉ちゃんにもしものことがあったら……きっと、あの黒いのが全部悪いのよね。綺麗に抉って、磨り潰して、溶かして、砕いて、切り裂いて、思いつく方法全部やって、お姉ちゃんに手を出したこと後悔させてやらないと……』
『どうどう、皆ちょっと落ち着くのです。冷静さを失ったら助けられるものも助けられなくなっちゃうのですよ。まあモモも少しばかり頭に来てるのは確かですけど、冷静に、どうやって落とし前を付けさせてやるかを落ち着いて考えるのです。ところで、あの黒いのって独立した自我とかあるんですかね? もし無かったら痛めつけ甲斐に欠けますねぇ』
と、それぞれウル、ヒナ、モモ。
迷宮達は、もう爆発寸前といった有り様です。
場所が民間人への巻き添えの恐れのある街中でなければ、とっくに上空の第二迷宮に向けて攻撃を仕掛けていたに違いありません。
「戦うにしたって、下手に攻撃して砕けた瓦礫でも降ってきたら街中大惨事だぞ。とりあえず、なるべく頑丈そうな建物に街の人達を誘導するとか」
「う、うん……騎士団の人、にも、手伝ってもらって……」
この場で比較的冷静なのはルグとルカくらいでしょうか。
ゴゴを助けるのは確定としても、その過程で無関係の人々に被害を及ぼすわけにはいきません。彼らも先程のゴゴの身勝手な言い分に全く腹を立てていないというわけではないのですが、ここでレンリや迷宮達の怒りに同調して冷静な人間が一人もいなくなったらそれこそ最悪。なにしろ現在の学都において僅かなりとも状況を把握しているのは、今ここにいる面々しかいないのです。
そして最後の一人。
ユーシャは目に見えて取り乱してこそいませんでしたが。
「ゴゴが、いなくなる……?」
身近な者の死。人間であれば遅かれ早かれ誰しもが経験するであろう、少なくとも考えたことはあるであろう、ある意味ありふれた出来事ではありますが、彼女の短い人生においては未知のソレ。
全く考えたことすらなかった喪失の可能性を思って、これまで感じたことのない不安な感覚に戸惑っている様子でした。
◆◆◆
ですが、状況は各々の心の準備が整うのを待ってはくれません。
学都上空に浮かぶ迷宮にて、ゴゴは一人ぶつぶつと独り言を呟いていました。
『……ふむ、こんな感じですかね。なにぶん不慣れなもので不手際があったら街の皆さんには申し訳ありませんが、ひとまず迷宮に居合わせた方々相手の練習でコツは掴んだと思いますし。ええ、あとは案ずるより産むが易しということで』
ゴゴだって皆が大人しく言うことを聞いてくれるとは思っていません。
正気を失ってはいても思考力はその限りではないのです。であるならば、より自分の目的が叶い易いように場を整えるくらいはして当然でしょう。
具体的には、自分を殺し得る力を持つ者達がより戦いやすいように。
彼ら彼女らの足手纏いとなり得る邪魔な人々を排除する。
そのために必要な力は既に彼女の手の内にありました。
力の使い方は誰に習うまでもなく本能が教えてくれます。
『――――創世』
ソレは一見すると人間の魔法使いが張った結界にも似ていますが、あくまで印象が似るというだけ。こんな真似はとても普通の人間にはできません。“なりかけ”にも無理でしょう。それこそ本物の神様でもなければできるはずがないのです。世界を創る、など。
『異界侵食・金剛星殻』
瞬間。
空から落ちてきた力有る声が世界を塗り潰しました。




