大怪獣ウル
夜。
もう完全に日が沈んだ頃のことです。
ずるりずるりと大きなモノが這いずるような音が村の中に響きました。
音の主は間違いなく件のバジリスクでしょう。
村人達が石化から回復したことで大勢の人間が動く音や気配を察し、安全のために様子を確認しにきた、あるいは再び静かになるよう対処しにきたに違いありません。
「あの、本当にあの子一人で大丈夫なので……?」
「はっはっは。なに、大船に乗ったつもりで見ていたまえ」
襲撃を予測していたレンリ達と村人達は宿屋の中に集まっています。ウル一人を除いて、ですが。村長をはじめとする村の大人達は常識的な判断でウルの身を案じていましたが、まあ事情を知らなければ無理からぬことでしょう。
そんな風に不安がっている人々に、レンリは少し誇らしげに告げました。
「ウル君はね、ああ見えてなかなか凄いのだよ」
幸い宿屋には広めの屋上もありますし、下階の窓も合わせれば、この後のウルの活躍ぶりを村人全員に見せつけるのに不都合はないでしょう。レンリやモモは楽しげに、ルグやルカやヒナは少しだけ申し訳なさそうに、今や遅しとその時を待っていました。
◆◆◆
村の中央を堂々と進むバジリスク。
その体長は少なくとも四十メートル以上、胴の直径は優に五十センチを超えるでしょう。石化の魔力を抜きにしても十分に化け物と言える特大サイズです。
如何なる理由かは不明なれど、つい数日前に石にした人間共が元に戻ってしまったらしい。
無害な人間の幼体だけならば、あえて始末する必要もあるまいと放置していたものの、大事な卵を奪った張本人達が復活したならば話は違う。石にするだけでなく絞め潰すなり丸呑みにするなりして、今度こそは確実に始末しなければ……と、バジリスクの心境としてはそんなところでしょうか。
すでに『彼女』は大きな建物の中に、村中の人間達が集まっていることに気付いていました。野生で鍛えられた聴覚や嗅覚は元より、ヘビの仲間が備えるピット器官で熱を感知すれば人間如きが少々隠れた程度では丸裸も同然です。
そのはずだったのですが。
『そこまでなの!』
眼前に堂々と仁王立ちしている幼女の存在に、声をかけられるまで気付けなかったことにバジリスクは少々の戸惑いを覚えました。声帯の構造が発声に向いていないためにシュルシュルと息を吐くばかりですが、もし喋れたら叫び声の一つも上げたかもしれません。
しかし、動揺は一瞬。
なにしろ相手は小さな人間の幼体にしか見えません。
バジリスクは硬く長い尾を鞭のように振って、虫でも払うかのように進路上のウルをどかそうとしました……が、遅い。
尾がウルのいた空間を通過した時には、すでに彼女はバジリスクの顔の真横へと移動していたのです。今度こそ本気で驚いたバジリスクは咄嗟に石化の魔力を放出しましたが、
『ふふーん、そんなの我に効くわけないの!』
いくら強力な魔物とはいえ、神の“なりかけ”であるウルに能力を通すことなど出来ようはずもありません。そもそも迷宮達は人と同じような見た目をしていますが、この身体は人体とは似て非なる精巧な人形のようなもの。仮にウルが意識して魔力に対する抵抗力を落としたとしても、普通の生き物同様に身体が石になるかは怪しいものです。
『えーと、今のこんな感じかしら? あ、できたの。意外と簡単ね』
それどころか、ウルは今の一瞬でバジリスクの石化能力を自分のモノにしてしまった様子。
ウルの視線の先に生えていた小さなサボテンが一瞬で石の塊になりました。彼女の変身能力を応用すれば、そこらの魔物が使う程度の特殊能力を真似るくらいは朝飯前。石にするのも魔力を解いて元に戻すのも自由自在です。
そして、そんな芸当を見せつけられたバジリスクの驚きといったら大変なもの。
まだ遭遇から十数秒しか経っていませんが、もはや完全にウルを脅威を見なして最大級の警戒をしています。見た目による先入観を捨て去って思考を切り替える早さはなかなかのものがありました。
尾による打撃も、石化の魔力も効果なし。
ならばとバジリスクが次に選んだ攻撃は、鋭い牙による嚙みつき攻撃。頭部や胴体に大きな穴を穿ち、そこから強力な致死毒を流し込めば大抵の生物は倒せるでしょう。
たしかに悪い選択ではありません。
まあ今回は相手が悪かったようですが。
バジリスクが牙を突き立てようとした次の瞬間、伝わってきたのは柔らかい肉を貫く感触ではありません。石のような、金属のような、あるいはもっと硬い何か。ウルの全身をびっしり覆うウロコから伝わってきたのは、そんな硬質の感覚でした。
『ふっ、我はまだ変身を三つ残しているのよ? この意味が分かるかしら?』
ふざけた台詞はさておくとして、ウルの変化はウロコだけに留まりません。
これまであった手足が胴に埋まるようにして消え、小さかった身体はぐんぐんと長く太く大きくなり、バジリスクと同じようなヘビの姿になりました。
しかも、その巨大化の勢いが止まりません。
更に長く伸びて、更に太く膨らんで、瞬く間に村の道を埋め尽くすほどに。
このままでは建物を壊してしまうと思ったのか、その段階で一度村の外まで出てから更に巨大化を続け、もっと大きく。
村の外周をぐるりと一巻き、二巻きして、それでもまだ止まらない。
超巨大なヘビとなったウルの胴体に巻かれて、まるで村の周囲が巨大な壁で囲われてしまったかのようです。とぐろを巻いたウルの背に夜空の星々が隠れてしまっています。
まだ大きくなっている途中だというのに、いったい全長何キロメートルに達しているのでしょうか。胴の直径など明らかに五十メートルを超えています。ここまで大きくなったウルと比べると、化け物サイズに思えたバジリスクの巨体もほんの糸クズ同然にしか見えません。
もはや戦ってどうこうするレベルの相手ではありません。
バジリスクに腰があったら確実に腰を抜かしていたことでしょう。
まさにヘビに睨まれたカエル……いえ、今回は相手もヘビなのですけれど。
『さあ、それじゃあ』
これにて変身完了。
声音こそ先程までと同じ子供らしいものですが、今のウルは頭部だけでも皆が集まっている宿屋を丸呑みできそうなほどの巨体。普通に喋っただけで強烈な風が吹いて空気がビリビリと震えます。山のような大蛇になったウルは遥か眼下のバジリスクに向けて、
『それじゃ、ヘビさん。そろそろ平和的に話し合うの。とりあえず、素敵な新居へのお引っ越しに興味はないかしら?』
対話による平和的な交渉を申し出るのでした。
◆◆◆
そこから後はいとも簡単に解決しました。
ウルの言葉がちゃんと通じていたのかは定かではありませんが、あの状況でバジリスクに逆らえる余地などあろうはずもありません。
『じゃあ、我はちょっとお引っ越しの手伝いに行ってくるの』
巣穴にいたバジリスクの赤ん坊(無事孵っていたようです)と親を共に頭に乗せたウルは、猛烈なスピードで砂漠の彼方へと向かっていきました。超重量の巨体が高速で移動した際の摩擦熱で砂漠の砂が融解して燃え上ったり、移動時に発生した暴風が原因で砂嵐が起きたりしていましたが、その都度ウルが尾で叩いて打ち消していたので大した問題にはなりませんでした。
明け方前に戻ってきたウルによると、バジリスクの親子は砂漠のどこかにあるオアシスに無事移住を果たしたのだとか。エサになる動物や弱めの魔物も多く、少し離れた場所には他のバジリスクもおり、また一番大事な点ですが近くに人間が住んでいないとのことなので、きっと今後は平和に暮らしていけることでしょう。
……と、まあそちらは問題ないとして。
「ひ、ひぃっ!? ば、ば、化けも……」
「終わりだ……俺達は全員喰われるんだ……」
「あばばばばばばば」
レンリの目論見通り、ウルの活躍により村人達を十分に脅かすことができたようです。
大の大人が恐怖のあまり泡を吹いたり号泣したり嘔吐したり失禁したり脱糞したりする姿は、なかなか壮絶なものがありました。主に臭い的な意味で。昼間のうちにウルと多少の交流があった子供達は、驚きつつも比較的冷静だったのがせめてもの救いでしょうか。あくまで臭い的な意味で。
少しばかり薬が効きすぎてしまった感もなくはありません。
が、これなら報酬の交渉もやりやすくなるというものです。
「それで村長さん。約束の報酬のことだけど」
「は、ははぁ、なんなりとぉ!? で、ですから命ばかりは……っ」
「はっはっは、じゃあ遠慮なく」
レンリには、最初にこの村に来てから一つの懸念がありました。
来る前から予想はしていたものの、現地に来てみると思った以上に暑くて砂埃が多い。
とても肉体労働に向いているとは言えない環境でした。
こんな場所でいつ出るとも知れない化石を探して、汗まみれ砂まみれになりながら延々地面を掘るのは嫌だなぁと、村の異常事態に対応しつつも大体そんな感じのことを考えていたのです。
ならば、どうすれば良いか?
答えは簡単。
他の誰かに代わりに化石を掘ってもらえばいいのです。
今の村人達の様子なら、ちょっと脅迫すれば快く協力してくれることでしょう。
それはもう死に物狂いの熱心さで。




