つまりはそういうことだったのさ
そんなこんなで戦い始めてから約一時間。
「ふう、良い汗を掻きましたね」
「うん、久々にいっぱい動いたからお腹ペコペコだよ。あ、折角来たんだし、飲み物を冷やす用に北極の氷をお土産にしようかな。話のタネになるかもだし」
アリスとリサに関しては、ようやく身体が温まってきたくらいのものでしょうか。薄っすらと汗を掻いてはいるものの息一つ切らしていません。
「ううむ、まだまだ差は大きいな」
「ん。もっと修業する」
対するシモンとライムは、どうにか自分の足で立ってこそいますが相当に疲れているようです。膝がガクガクと笑っており、軽く押しただけで倒れ込んでしまうかもしれません。夕飯前にお腹を空かせておくという当初の目標だけは、この上なく達成できたことでしょうけれど。
およそ一時間にも渡って一方的に負けっぱなし。
いったい何回氷の上に転がされたかも数え切れません。それでいて怪我らしい怪我もしていないあたり、アリス達は十分な余力を持って手加減をしていたことが分かります。
とはいえ、シモンもライムも別に落ち込んではいません。
単に、最初から予想していた通りの結果になったというだけのこと。
この程度でいちいち落ち込んでいたら、この師匠達の弟子などやっていられません。太刀打ちのしようもないほど巨大な壁に立ち向かうことで得られる種類の経験値だってあるのです。
「やっぱり、二人ともすごく強くなってましたね」
「うん、わたしが現役で勇者やってた時より強そうだもん」
「ええ。多分、私が魔王だった頃よりも強いですよ」
それに当のアリスとリサからの評価も上々。
別にお世辞で言っている風でもありません。
まあ、この二人の場合は魔王やら勇者やらを引退してからのほうが現役時代より遥かに強くなっているのですが、そう言われればシモン達としても悪い気はしません。
ここ最近で一気に腕を上げたとは思っていましたが、それをはっきり認めてもらえたのです。その自信は彼らを更なる上のステージへと押し上げる助けになってくれるでしょう。
が、それはそれとして。
「むぅ……調子悪い?」
「ライムもそう思ったか? 俺の勘違いかとも思ったが」
ライムとシモンは僅かな違和感を覚えていました。
話の前提として、リサもアリスも今の二人からすれば遥か格上。大きく手加減をされて、なお遠く及びません。現に、今回も戦いとすら呼べない一方的な展開にしかなりませんでした。
どんな攻撃を加えても易々と防がれ、動きを目で追うことすら難しい。
だというのに、こんな風に考えるのはおかしいかもしれませんが、「彼女達の実力はこんなものだっただろうか?」という疑問が出てきたのです。
本来であればあっさり避けられたであろう攻撃を、あえて手足で受ける。
紙一重で見切って避けられたはずの攻撃を必要以上に大きく避ける。
かれこれ十年以上も弟子として見てきたライム達だからこそ気付ける程度の些細な違和感ですが、どうにも本来の彼女達の動きよりも精彩を欠いているような気がするのです。
「ううむ、見た感じ病気や怪我というわけではなさそうだがな?」
「うん。不思議」
もし病気や怪我だとしても、一人だけならともかく二人揃って調子が悪いというのも不思議です。それに目の前で元気に北極の氷を切り出している二人からは、そうした暗い雰囲気は微塵も感じ取れません。
「二人とも、お待たせしました。さあ、帰ってご飯にしましょうね」
「その前にお風呂に入ったほうがいいんじゃないかな?」
「うん」
「あ、ああ」
そうこうしているうちに氷の採取作業も終わったようです。
ライム達は疑問が解消されぬモヤモヤを抱えたまま転移魔法で迷宮都市の魔王の店へと戻り、そして直後にその理由を知ることとなりました。
◆◆◆
「やあやあ、ご無沙汰しております、シモンさま。さっきぶりですな。予告通りパパっと仕事を片付けて参上したコスモスちゃんでございますよ。おや、皆様お揃いでどこかにお出かけを?」
四人が魔王の店に戻ってきたのと全く同時。
タイミングを見計らっていたかのようにコスモスが帰ってきました。どうやら宣言通りに抱えていた仕事を終わらせてきたようです。先程までの短時間ではシモンをからかい足りなかったと見えて、早速絡みにきたのですが、
「は?」
北極に転移して一時間ほど戦ってきた。
その件について説明した途端、明らかに空気が変わりました。
コスモスにしては非常に珍しいことですが、普段のふざけた雰囲気も失せています。真剣で、かつ何かに対して怒っているようです。
「アリスさま、リサさま。もしかして貴女達はアホなのですか?」
「あ、あの、コスモス? 貴女は何を怒ってるんです?」
「え、ええと? うっかり北極を真っ二つにしちゃったこと……とか?」
「そんなことはどうでもいいのです!」
コスモスの怒りは、どうやらアリスとリサに対して向いている様子。
ですが、当の二人はというとコスモスの普段との違いように驚くばかり。いったい自分達の何がそんなに彼女を怒らせてしまったのか見当も付かないようです。
シモンとライムも混乱して立ち尽くすことしかできませんでしたが、次のコスモスの言葉を聞いて、彼女の怒りが至極正当なものであると理解することになりました。
「そんな所でそんな真似をして、お腹の子に万が一があったらどうするのですか!」
「で、でも、お医者さんは少しくらい運動したほうが良いと言ってましたし? ね、ねえ、リサ?」
「そ、そうですよ。アリスの言う通り! さっきも運動不足を解消するために軽く動いてきただけですもん。今日の検査でも二人とも経過は順調だって……」
「黙らっしゃい! 言い訳無用、お説教をします!」
「「ごめんなさい!」」
つまり、そういう事情があったのです。
まだお腹が膨れてくる前とはいえ、動きが普段より悪いのも当然でしょう。
「なっ、つ、つまり、どういうことだ? え、二人ともか?」
「赤ちゃん」
「それはまあ、あり得る話ではあるだろうが……えぇ、マジか……」
シモンとライムも、納得以上に呆れの感情が大きいようです。
いくら彼女達基準では余裕のある軽い運動だったとしても、万が一、攻撃がお腹にまぐれ当たりでもしていたらと思うと、今更ながらに背筋がゾッと冷える心地がしました。
「……うむ。コスモスよ」
「なんですか、シモンさま? 今はこのアホ二人にお説教をするのに忙しいのですが」
「いや、今回はお前が全面的に正しい。いくらでも気が済むまで叱ってやってくれ。俺は、なんかもうすごく疲れたから上で風呂を借りてくる。飯の時間までには戻ってくるから……」
「私も」
アリスとリサは弟子達がコスモスを宥めてくれることを期待していたようですが、ここで甘やかしたら彼女達の為になりません。シモンとライムは心を鬼にしてこの場を後にするのでありました。




