いざ、迷宮都市へ:受難編
お披露目会が終わった翌朝のこと。
シモンとライムは国王に呼び出されていました。
「迷宮都市に行け、ですか?」
「うむ、そうだ。ライム殿の故郷は別の場所の森にあるというが、あそこから行き来ができるのだろう? これは王というより兄としての忠告だが、お前も嫁さんの身内には何かと気を遣っておいたほうが良いぞ」
「ええ、まあ、それは確かに」
あえて言うまでもないほど当然のことではありますが。
国王の言葉はまったくの正論。シモンとしてもいずれ長期休みなどの機を見て、ライムの実家に挨拶をしに行くつもりではありました。
「なら、いずれと言わず今のうちに行っておけ。お前のことだからどうせ仕事のほうが気になってきた頃だろうが、今なら余が寄越した近衛の連中が肩代わりしてくれるのだ。変に機を改めて時期を窺うよりはさっさと済ませておくほうが良いだろう?」
確かにシモンとしても納得できる話ではあります。
首都で今現在やるべきことは昨日のお披露目で一通り片付きました。会に出席するために遠方から来ていた親戚達も、ぼちぼち帰り支度を始めています。
シモンが訓練の手伝いをしていた近衛兵団も、当初とは比べ物にならないほど練度を上げていました。任された役目は十分以上に果たしたと言って差し支えないでしょう。代わりに選りすぐりのエリート達が泣いたり笑ったりできなくなっていましたが、放っておけば自然に回復するはずです。多分。
シモンとしては王に言われた通り、そろそろ学都に戻って仕事に復帰することも考えていたのですが、どうせならこのまま休暇を延長して迷宮都市まで足を延ばしたほうが何かと好都合かもしれません。
「ライム、お前はどうしたい?」
「じゃあ、帰る」
「決まりだな。では、兄上。早速支度をして今日のうちには発とうかと」
ライムも特に反対する気はなさそうです。
これで当面の予定は決まった、かと思いきや。
「待て待て、二人ともそう慌てるな。話はまだ途中だ」
しかし、王の話はまだ終わっていないようです。
「迷宮都市には、ほれ、魔王殿の一家がいるだろう」
「ええ。もちろん、そちらにも挨拶や報告をするつもりではありますが」
ライムの故郷であるエルフの森へは迷宮都市内の某所に存在する転移の魔法陣を経由して向かうことになりますが、当然、街を素通りする気などありません。魔王の一家をはじめ、都市内の友人知人に対しても積もる話は山とあります。
「お前達は距離が近過ぎて忘れがちになっているかもしれんがな。向こうは色々と、こう……アレでも一応、我が国にも劣らぬ大国家の王室であるわけだ。余も最初に話を聞いた時は耳を疑ったものだが」
「え? ……あっ、そういえばそうでした」
「いや、まあ、お前が向こうの一家と懇意にしているのは我が国としても外交等でのプラス材料ではあるのだがな。いくら向こうが『らしく』ないとはいえ、素で忘れるのは余もちょっとどうかと思うぞ?」
当然、シモンも他国の要人と話す時には礼節を弁えた振る舞いを心掛けているのですが、魔王とその一家に対してそうした貴人向けの対応をした覚えなど、幼少期からの過去を振り返ってみてもさっぱりありません。まあ今更他人行儀に振る舞っても、お互いかえって困りそうですが。
「普段であればそうしたフランクな友達付き合いも大変結構なのだが、今回は事が事だけにな。個人的な友人としてではなく、我が国の正式な使者として出向いて色々と伝えて貰いたいというかだな……」
「は、はあ、それは構いませんが……?」
王族の婚約報告。確かに大事といえば大事です。
近しい関係の国同士であれば、この手の慶事にあたり正式な使者を送って詳細を報せるというのも、それほど不自然なことではないでしょう。その使者の役目をかの一家と親しいシモン自身に任せたいという点に関しても、一応の合理性があるように思えます。
が、このあたりから流石にシモンも王の態度に疑問を抱き始めました。
妙に言葉の歯切れが悪いとでも申しましょうか。
何か言いにくそうなことを抱えている気配とでも言いましょうか。
「……隠しても仕方のない話ではあるか。シモン、もしお前が此度の件でライム殿との話を自分で決めていなかった場合、余のほうでお前の相手を探すつもりでいたのだが」
「そ、そうですか。それは、まあ、我々の立場上そういうこともあるでしょうね」
「一応、話が完全に確定する前にお前の意見を聞く気くらいはあったがな。本格的にそうした話を進める前に軽い探りを入れる程度なら国の内外を問わず既に結構な数あったのだぞ? ふむ、考えてみれば昨日お前達が話したという娘達も、全く勝ちの目がないわけではなかったか」
これに関してはシモンも予想はしていました。
王族の一員たる身である以上、政略結婚によって然るべき相手と縁を結ぶことも重要な役目の一つ。国王が勝手に結婚相手を探していたというのも決して横暴とは言えません。
まだ決定的な言質を取られぬよう慎重に探りを入れる程度の段階だったとはいえ、国内外の王侯貴族からそれとなく話を持ち掛けられることもあれば、逆に王家からどこかに話を振ることもあったでしょう。
結果的に歓迎されたとはいえ、シモンがライムとの仲を独断で決めてきた一件は、一歩間違えばそれこそ本当に王家から勘当されていても不思議はなかったのです。
「いや。純粋な損得の話で言っても、お前がライム殿と結婚するのは我が国にとっても決して悪い話ではないのだぞ。正直、お前達の話をすんなり進められたのもそれが大きい」
「ん。そう、なんです?」
当のライム本人にとってはまるでピンと来ない話です。
自分に政略結婚の対象としての価値があるなどという話、まったく身に覚えがありません。出身地のエルフの村においても特にエルフの王族などというわけではなく、というか村内に村長くらいは存在してもそれ以外に身分の差などありませんでした。その村長にしても近所のお年寄り程度のもので権力者というイメージとはまるで無縁です。
ここ十年ほどは迷宮都市との行き来が出来るようになって多少の刺激は増えたものの、それでも本質的には平和で退屈なド田舎です。実際、ライムの政略的な価値は彼女の種族とは関係のないところにありました。
「ほれ、魔王殿のご夫人方のうち勇……コホン。名前を言ってはいけないあの御方ではないほうの、たしかアリス殿だったか? ライム殿はそのご夫人の直弟子に当たるとか。外交官からの報告では、それこそ実の姉妹か親子もかくやというほど親密な関係だと聞いている。ならば、此度の婚約は我が国とかの国の関係を強化する口実として使えるというわけだ」
「ん。なるほど、です」
世の中、何がどう幸いするか分からないものです。
ライム自身は魔界の住人ではありませんが、師弟という関係のおかげで強引な婚約話がすんなりまとまったのだとしたらアリスには感謝しかありません。
「現在の我が国にとって魔界は貿易等で最大の得意先であるからな。この関係を口実に輸入品の関税を上手いことアレできればガッポリ大儲け……いや、それはさておきだ!」
ここまでは、あくまで前置き。
話の本題はここからです。
「元々何かしらの形で魔界との関係強化を目指してはいたのだが、それはお前達のおかげで無事達成される見込みができたわけだ。その場の勢いで突っ走った末の結果論だとしてもな。余としても今更過程を問うつもりなどない……が」
「え、ええと、兄上……?」
「当然の道理として、それ以外に進めていた話は全て流れることになったわけだ。お前にライム殿以外の妻を迎える気があるのならその限りではないが、そのつもりはないのだろう?」
シモンは不意に背筋が寒くなるような感覚を覚えました。
前置きにあった魔界との関係云々という話に答えのヒントがあったようには思うのですが、脳がそれ以上の思考を拒否しているかのよう。恐怖や嫌悪のような負の感覚ではないものの、ある意味ではそれら以上に性質が悪いような。この先の話を聞くだけで死ぬほど疲れそうな。そんな確信にも近い予感、不本意ながら慣れ親しんだ感覚がありました。
「もし、お前がライム殿との婚約を決めてこなかったら、近いうちに別な形での魔界との関係強化を考えていたわけだ。元々、色々な候補の中でも特に有力な一つではあったのだが」
「あの、兄上。つまり、どういうことなのでしょう?」
「魔王殿には娘がおられるだろう? その姫をお前の相手にどうかと考えていたわけだ。お前とも知らぬ仲ではなかろうし丁度良いかと思ってな」
「……はは、ははは。兄上、お言葉ですがアリシアはまだ五歳になるかどうかという幼子ですよ。ははは、たしかに彼女が生まれた時から親しくしてはいますが流石に年の差がありすぎるのでは、ははは」
たしかにシモンの言う通り、魔王にはアリシアという娘がいます。
政略結婚としてなら全くあり得ない年齢差ではないにせよ、相手はまだ幼稚園通いの五歳児。常識的に考えればいくらなんでも無理があると思うのが自然だろう……と、シモンは勘違いしたフリを強引に押し通して、笑い話として一刻も早くこの話題を終わらせたかったのでしょう。もちろん、そんな儚い願いが叶うことはありませんでしたが。
「いやいや、余もそんな年齢の子供と結婚話を進める気はないぞ。そちらではなく、ほら、あの家には他にも年上の娘がいるだろう? 余も外交の場で何度か話したことがあるが、姿が美しいばかりでなく万事に秀でた大変な才女であった。欲を言えば我が国に引き抜ければとも考えていたのだがな。たしか名前は……」
もしシモンがこのタイミングで婚約を決めてこなかったら、近い未来にかなりの高確率で、なおかつ彼本人が知る前にほとんど外堀が埋められる形で縁談が進められていたわけです。
結果的にそれだけは回避できたとはいえ、問題の全てが解決したわけではありません。いえ、シモンにとっての受難はむしろここからが本番です。仮にも正式な使者として命令を受けた身であれば、使命を放棄して逃げることも許されません。
「ああ、思い出した。名はコスモス姫だったな。というわけで、お前達。ちょっと行って、例の話が白紙になったと先方に上手いこと伝えてきてくれ」
シモンは王の言葉を呆然と聞くことしかできませんでした。




