最も誇り高い選択(後)
結論からすると、シモンが令嬢達の「恋心」を斬ることはありませんでした。
いいえ、正しくは斬らずに済んだと言うべきでしょうか。
諸々の心配など最初から単なる杞憂に過ぎなかったのだ、と。
物事の表面だけを見て、そのように言い切ってしまうのは簡単です。
ですが、ある意味では心配していたような問題が起きるよりもずっと衝撃的なことが起こったのです。まるで予想もしていなかった出来事が。それを目の当たりにしたシモンとライムは深く反省し、その上で多くの学びを得ることになりました。
と、まあそれだけでは何が何やらといった具合でしょうけれど。
つまるところシモンもライムも二人を心配していた国王達も、恋する乙女ならぬ恋破れた乙女の矜持や情念というものをまるで見誤っていたのです。
◆◆◆
城内のダンスホール近くの一室。
シモンとライムは少女達に言われるがままに移動してきました。
普段は城勤めの文官達がちょっとした会議などに用いる部屋のようです。
今日は招待された貴族用の休憩所として開かれているようで、ゆったりとしたソファや瀟洒なデザインのテーブルが並べてありました。
そして、これが何より肝心なのですが。壁も扉も分厚く作られていて、一度ドアを閉めたなら、ちょっとやそっと大声を出した程度では外に聞こえそうもありません。だからこそ、令嬢達はこの部屋を選んだのでしょう。
シモンも、ここまで連れてこられた時点である種の覚悟は決めていました。
これまでは話に聞いていただけですが、こうして本人達を目の前にすると彼に対しての複雑な感情が否応にも感じられます。奥義の修得を経て新たな感覚が開いた影響でしょう。
愛情。嫉妬。憤怒。悲哀。
そういった感情が複雑に絡み合っているのが肌感覚で分かりました。
が、先述のようにシモンも覚悟はしています。
経緯はどうあれ、彼女達を傷付けてしまったのだとは彼自身も認めるところ。
怒鳴られようが、泣かれようが、頬を引っ叩かれようが、刃物で刺されようが、甘んじて受け入れるつもりではありました。最後の「刺されようが」に関しても、今のシモンが力を入れて筋肉を固めていれば、どんなに悪くとも少々チクリとする程度で済むでしょう。シモンが他言しなければ彼女達が罪に問われる心配もありません。
ですが、矛先がライムに向くようであれば話は違ってきます。
シモンと同じく物理的に傷付けられる心配はないにせよ、その心まで無敵とはいきません。もしも少女達がライムの心を害するようなことがあれば、その時はいよいよ奥義でもって彼女らが心に秘めるアレコレを斬らねばならない……と、そんな風に考えていたのです。
「それで、俺に話とは何かな?」
そうやって覚悟を、見当違いの覚悟を決めていたからこそ。
彼は目の前の少女達が口々に言った言葉の意味を一瞬理解できませんでした。
「「「シモン様、おめでとうございます!」」」
◆◆◆
まともに聞こえたのは最初の一言だけ。
あとに続く言葉は聞き取るのにも苦労するような酷い有様でした。
「シモン様ぁぁ、婚約おべでどうございばずぅぅ!」
「うわぁぁん、お幸ぜになってくださぁい!」
「おめでとうござ……ひっく……ぐすっ……ううぅ」
室内には異様な光景が広がっていました。
言葉の意味を素直に受け取るのなら、婚約に対する祝福ではあるのでしょう。
ですが、それを口にする少女達は揃って滝のように涙を流し、まるで幼い子供に戻ったかのように声も限りに泣き声を上げています。
きっと丁寧に施されたのであろう化粧が大量の涙によって洗い落され、高価そうなドレスの端々にカラフルな模様を落とし、それがまた状況の異常性を一層引き立てていました。シモンとライムが思わず、ぎょっ、として思考がしばし止まってしまったのも無理のないことでしょう。
「皆、頼むから落ち着いてくれ!?」
「むぅ?」
ようやく我に返ったシモンが彼女達の名を順番に呼んで宥め、どうにか落ち着かせようと試みる間にも、泣き声混じりの祝福は止まりません。ライムも泣いている令嬢の背中をさすったり頭を撫でたりしてシモンに協力していましたが、果たしてどれほどの効果があったものか。
どうにか全員が泣き止むまでには優に三十分近く経っていたはずです。
これだけの時間、十数人もの少女が大声で泣き叫んでいても騒ぎになっていないのは、この部屋の防音性能のおかげでしょう。もし騒ぎが外に漏れていたら城中の兵が押し寄せてきて事件になっていても不思議はありません。
「……ぐすっ、お恥ずかしいところをお見せしました」
「い、いや、俺は構わぬが……それより理由を聞いてもいいだろうか?」
ともあれ、これでどうにか会話が成立しそうです。
令嬢達の中でも年長の一人にシモンがこの事態の理由を尋ねてみました。
とはいえ、もはや大層な謎や不思議など残っていません。しいて言葉にするならば、恋破れた乙女達の誇りがそうさせたというところでしょうか。
「その、私、私達は、シモン様を……お慕いしていたのです、けど」
「う、うむ。そうか……」
そこまではシモンも知っています。
知ったのはほんの数日前でしたが。
「シモン様がご婚約なさったと聞いて、すごく悲しくて、他の皆もそうで……で、でも、せめて、お慕いした方に幸せになって下さいって伝えようって、決めて……うわぁぁん!」
どうにか理由を説明しようとした令嬢も、ここらが限界だったようです。
またもや両手で顔を覆って泣き始めてしまいました。
それに釣られたのか他にも何人かの少女が同じく泣いています。
が、今度はシモンが彼女達を慰めるのが少し遅れました。
それというのも、彼は彼女達が自分やライムに害を為すのではないかと内心危惧していたことを心底恥じ、それと同時にその誇り高さに深く感銘を受けていたのです。
「……俺は、何という愚かなことを考えていたのだ」
もし彼女達の気も知らずに心を斬って安易に解決を図ろうとしていたら、今以上の罪悪感と自己嫌悪で死にたくなっていたかもしれません。
「皆、すごい」
そしてライムもまた令嬢達の高潔な在り方に大きな尊敬を覚えていました。
もしもシモンが他の誰かを選び恋破れていたとして、果たしてライムに同じような選択が出来ただろうか。たとえ自分と結ばれずとも、当然あるはずの妬みや口惜しさを必死に押し殺して、愛した相手を祝福できるほどの強さがあるだろうか、と。正直、ライムにはまるで自信がありません。
「皆、俺は……」
そんな誇り高い彼女達に向けて何を言うべきか。
ごめんなさい?
さようなら?
シモンはしばし迷い、そしてこう伝えました。
「ありがとう」
好きになってくれてありがとう。
祝ってくれてありがとう。
大事なことを教えてくれてありがとう。
「皆、ありがとう。俺は、俺達は、きっと幸せになってみせるよ」
シモンは心からの感謝と誠意を込めて伝えました。
◆◆◆
さて、それはそれとして。
落ち着きを取り戻した少女の一人が、さも何気ない雑談であるかのように装って、こんな話題を振ってきました。
「シモン様、これは特に他意のない世間話なのですけど、将来的に第二夫人や第三夫人の席を設けたりするご予定などございますか? ほほほ、いえ、特に深い意味はないのですが」
この国では一夫多妻は法律で認められています。
現在の王や先代も複数の妻を迎えていますし、経済的および心情的に余裕のある貴族や裕福な平民であれば、二人以上の配偶者がいることもそう珍しいことではありません。
「うふふ、それは興味深いお話ですわね」
「ええ、ええ、実に。それで、シモン様、どうなのでしょう?」
他の令嬢達も話題に乗ってきました。
単なる世間話であるかのように振る舞っていますが、その目は獲物を前にした肉食獣のソレへと変わっています。先程までの悲嘆に暮れていた気配などもはやほとんどありません。
「いやその、皆、いったい急に何を、痛たっ!? ……こらライム、尻を抓るな」
「……むぅ。浮気、ダメ、絶対」
当然シモンとしてはライム以外との結婚など考えたこともなかったのですが、少女達の変貌ぶりと、きっぱり否定しない彼の態度に危機感を覚えたのでしょう。ライムが分厚い鉄板も毟れる握力でシモンの尻を思い切り抓り上げました。
「あらあら、ライム様。複数のご夫人をお迎えするのは浮気ではないのですよ?」
「うふふ、その通りです。法的にも認められた家族の一員ですもの。理論上は第十夫人だろうが第百夫人だろうがアリ寄りのアリですわ」
「ええ、そうなのです。第一夫人のライム様。具体的に何がどうとは申しませんが、将来的にアレがソレした暁には、どうか末永く仲良くしていただきたく思いますわ」
表情こそ笑顔を浮かべていますが、少女達のあまりの「圧」にシモンとライムの二人もすっかり気圧されてしまっています。特に声を荒げてもいないのに、まるで逆らえる気がしません。
戦闘における強さとは全く別種の、不思議と抗い難い威圧感。このままでは彼女達の勢いに押されて、どんな約束を取り付けさせられるか分かったものではありません。
「そ、そうだっ! まだ挨拶回りが残っていたのだった。そんな気がする! ライム、行くぞ。では皆、達者でな!」
「ん!」
「「「あっ、シモン様」」」
隙を見て部屋から逃げ出したシモンとライム。
やや遅れて後を追う令嬢達。
まるでライオンの群れに追われる子ウサギの気分です。
二人が本気で走れば撒くのは造作もありませんが、大勢の招待客で溢れる城内ではそうもいきません。追う側も追われる側も気品を損なわぬ程度のゆったりした速さで歩かねばならず、とんだ白熱のレースが展開されることとなりました。
まあ、このように締まらない終わり方ではありましたが。
ともあれ、今宵の貴重な経験は二人を大きく成長させることになったのです。
◆さて、次回からは迷宮都市編です。師匠ズとかの反応をお楽しみに!




