レッスンの日々と嵐の予感
シモンとライムが王城に滞在し始めてから早数日。
この間、G国の首都には各国からの要人が続々と集まりつつありました。
「ご無沙汰しております、イリーナ姉上。まさか、わざわざご足労いただけるとは。義兄殿もお久しぶりです。お二人とも相変わらず、その、お元気そうですね」
「ふふふ、シモンよ。我が血を分けし弟の慶事とあらば一体なんの不思議があろうか! 戒めの封印を解くのには些か難儀したが、なに、我が暗黒の力をもってすれば些細なことよ。たとえ地の獄に繋がれていようと戒めの鎖を断って舞い降りてくれるわ!(※特別訳:大好きな弟のためなら、お姉ちゃんはいつでもどこでも駆けつけちゃうわ。急なお話だったからちょっと予定の調整が大変だったけど心配しないでね!)」
「然り! 我が最愛の片翼の血族なれば貴殿は我が身の一部も同然。さあ、時は満ちた。我らの祝福を捧げよう!(※特別訳:うん、その通りだよ。大好きな奥さんの弟なら自分の兄弟みたいなものだもの。お祝い事ならこうして直に会ってやりたいしね)」
シモンが自室で話しているのは本日の昼頃にG国首都に到着したばかりの姉夫婦。シモンの八つ年上の姉であるイリーナ王太子妃と、その結婚相手である隣国の王太子。かつて勇者リサを召喚したA国の現国王の長男です。
二人とも先程国王に挨拶をした時は普通の格好と普通の言葉遣いで普通に礼儀正しく振る舞っていたのですが、今はプライベートということなのでしょうか。持参した漆黒の衣装に着替え、腕には包帯やらチェーンやらを巻くなどして、心なしかさっきまでよりも生き生きとしています。
見ての通り少々個性的な夫婦ですが(婚約当時、まだ十歳の純朴な少年であった王子にイリーナ姫が自分の趣味をじっくり布教した結果こうなりました)、これでも公務で忙しいスケジュールをどうにか都合して、弟を祝うために遥々駆けつけてくれたのでしょう。独特のセンスはともかくシモンもその気持ちは嬉しく思っています。
こうして駆けつけてきた王室関係者は彼女達だけではありません。
婚姻や仕事で国内外のあちこちに散らばった王族達が、毎日のように首都に訪れるようになりました。彼ら彼女らにしてみれば、今回の一件はちょうどいい里帰りの口実でもあったのでしょう。
どうしてもスケジュールを調整できなかったのか、流石に親族全員集合とはいきませんが、今回来られなかった者からもシモン宛の手紙や祝いの品が毎日のように届いていました。
「まだ婚約の段階だというのに随分な大事になってしまったな」
「ん」
「ライムにも負担をかけるな。皆がお前のことを気に入ってくれたのは何よりだが」
「ん」
「毎日のレッスンはどうだ? 無理に詰め込みすぎてもかえって効率が悪くなりそうだし、たまには休みにしてもらうよう言っておくか?」
「ううん。平気」
ライムも毎日忙しくしていましたが、朝晩にはこうしてシモンと話す時間もありますし、数々のレッスンに関しても決して苦ばかりではありません。
彼女の修業好きな性格が良い方向に働いているのでしょう。
ライム曰く、ダンスの類は武術の足運びに通じるものがあるようで、教師が驚くほどの呑み込みの早さで技術を吸収していました。無尽蔵の体力で夜寝る前と早朝に自室で予習復習もしているようです。
反面、礼儀作法のレッスンは体力や運動神経でカバーできる余地が少ないせいか、ライムのモチベーションもなかなか上がりませんでした。元々、極端に口数が少なく社交性に欠ける性格であるせいもあって難儀している様子。公の場で恥を掻かない最低限のレベルまでは道半ばといったところでしょうか。
とはいえ、苦手分野も諦めることなく少しずつ地道に進歩してはいました。
シモンが気を利かせて近衛兵団の訓練に参加できるようにしてくれて、ちょっとした休み時間などに高重力下での百人組手などして楽しんだおかげもあるでしょう。どんな仕事や勉学にも通じることですが、何事も根を詰めるばかりでなく適度な息抜きを入れるのが効率アップのコツというものなのです。
◆◆◆
さて、そんな日々が続くこと十日ほど。
シモンとライムの二人に国王がとある催しの開催を告げました。
「お披露目会、ですか?」
「うむ。平たく言えば、そなたら二人が婚約したことを正式に発表するための会だな」
王族にまつわる慶事ともなれば、そういった類の催しも必要でしょう。シモン達が首都に来た当日の乱痴気騒ぎとは別物の、王家の威厳をちゃんと保った上での公式発表の場というわけです。
「要は集めた貴族連中に姿を見せて挨拶と紹介をするという、まあ、よくあるやつだ。普通であれば大した問題にはならんのだろうが……ううむ」
「兄上?」
そういった場に国内の有力な貴族やその家族を招くことにも不思議はありません。そんな祝いの席で問題を起こせば王家の顔を潰すことになりかねないので、招待された側の貴族達もおかしな振る舞いをする可能性は低い。通常であれば特に大きな問題もなく平穏に終わるはず、なのですが。王には何やら心配事があるようです。
「他の者ならともかく、婚約したのがシモンだというのがなぁ……」
「ええと……何か問題でもあるのですか、兄上?」
シモンには王が何を案じているのか分かりませんでした。
彼が知る限り、今回と同じような王族関連の催しで何か問題が起きたという話も聞きません。王の口ぶりからするに、その問題というのは婚約したのがシモンであることに由来するようなのですが……。
「うむ。シモン、お前、モテるだろう?」
「は? ええと、そうなのですか?」
「やはり自覚なしか。まあ、いい。お前は自分で思っているより軽く百倍はモテるのだ。そういうことで話を進めるぞ。特に貴族の娘連中などずいぶん熱を上げていた者も少なくないのだが……そこに今回の婚約だ」
シモンとしてはピンと来ない話ではありましたが、なるべく頑張って想像しました。思い起こしてみれば、たしかに時折首都に帰省した折などに年若い貴族令嬢、あるいは年頃の娘を持つ貴族などから晩餐会や茶会に招かれることがよくありました。
正直シモンとしては苦手な空気ではあったのですが、それでも嫌な顔ひとつせずに紳士的な対応を心掛け、相手の家の爵位や容姿に関わらず誰に対してもなるべく優しく接し、相手の好みそうな話題を引き出して楽しいひと時を過ごしたわけです。
彼としては全てひっくるめて社交辞令の一環のような感覚だったのですが、非の打ちどころのない理想的な王子様からそんな風に優しくされたら、うっかり勘違いしてのぼせ上ってしまう者が出てきても不思議はないでしょう。
「シモン……」
「ライム、そんな可哀想なものを見るような目で俺を見るな……しかし、そうだったのか。それは、なんというか……なんだか悪いことをしてしまったような気がする。兄上の懸念も分かったような気がします」
そんな貴族令嬢達が彼の婚約を知ったらどう思うか。想像に難くありません。
単に王家との縁故や経済的な利を求めて近寄ってきた相手ならまだいいのです。損得勘定で親愛の情を向けてくるような者ならば、公的な場で妙な真似をしたりはしないでしょう。
問題は、シモンに対して本気で恋慕の情を向けていた真剣恋タイプ。こちらが実に厄介です。現実的な身分も損得も関係ない一個人としての純粋な好意。それが突如として裏切られたと感じた場合、果たして人はどんな気持ちを抱くものでしょうか。反転した愛情が後先を考えない攻撃的な形で発露しないとも限りません。
「余としてはシモンが娘連中に頬を引っ叩かれる程度なら見ないフリをしてやるのも吝かではないが、ライム殿が攻撃の的になった場合はそうも言っていられぬからな。余の杞憂であればよいのだが」
「お義兄さん。私は平気、です」
たしかにライムの実力をもってすれば、か弱い貴族令嬢が刃物を振り回そうが、攻撃魔法をぶっ放そうが、数千数万の傭兵を雇って首都に進軍してこようが物の数ではありません。
ですが、そういった分かりやすい反撃が許されない形での攻撃。たとえばマナーの粗を指摘して陰で笑い物にするだとか、根も葉もない悪評を広めるとか、犯人の特定が困難で陰湿な形での攻撃に対して堂々と殴ってやり返すわけにもいきません。王は、そういった悪意に晒されてライムの心が傷つかないかを心配していたわけです。が、しかし。
「大丈夫。私なら平気」
ライムはもう一度、自分なら平気だとはっきり言い切りました。
◆イリーナ姫は迷宮レストランの時にもちょっと出たキャラですね。当時の中二病を黒歴史扱いするようになる成長パターンも考えましたが、いっそそのままのスタイルを貫く感じにしてみようかと。ちなみに旦那の王子様のほうも前作でほんのちょっとだけ出てます。
で、前に本編でも語りましたがレンリの父と姉が彼らの教育係をやってます。世間は狭い。




