反撃開始
シモンがいくら腕を上げたとて決して無敵の存在ではない。
先程、ライムが無意識に繰り出した蹴りには、それだけで形勢を逆転させるほどの効果はありませんでしたが、形はどうあれ攻撃が当たったことの意味は小さくありません。
世界を斬り、人の心をも斬る奥義。
なるほど、たしかに凄まじい技ではあるのでしょう。
しかも、恐らくシモンはまだこの技を完全に使いこなしているわけではない。不慣れな、覚えたての段階であの威力。もしかすると、他にもまだ思いもかけない何かを斬ってくることも十分に考えられます。
が、それでも決して完全無欠というわけではないはずです。
現に、ライムにアゴを蹴り上げられた彼は見るからにフラつき、追撃を警戒して飛び退いていました。いくら凄い技術を習得しても肉体の耐久力まで上がるわけではないですし、剣技である以上は互いが密着するほどの至近距離では思うように技を出せないのでしょう。あるいは出せても十分な効力を発揮できないか。
ライムの推測も少なからず混じるため奥義の詳細までは不明ですが、そもそもの話、奥義の謎を解き明かすことは勝利の絶対条件ではないのです。
不可解な現象を数多く目にしたせいで、ライムも慎重になり過ぎていたのかもしれません。慎重さが知らず知らずに思考の幅を狭め、相手を必要以上に強大に思わせていた。
まあ、頭に血が上っている時にはよくあるミスです。
しかし痛みで一度頭が真っ白になり、更に彼女自身にすら予想外だった反撃が、そんな思考の固さを解してくれました。
「シモン。あの技、名前は?」
「技の名前というと……はて、そういえば分からんな? 師匠に教わった時も言っていなかったし、多分、そういうのは無いと思うぞ。特にそういうのにこだわるタイプでもなさそうだしな」
「そう」
もし技の名前が聞けていたら、技名から奥義の正体を推測するヒントを得られたかもしれませんが、それは流石に都合が良すぎるというものでしょう。
唐突に雑談を切り出した目的は僅かにでも時間を稼ぐため。
これからライムがやろうとしている戦法を実行に移すために、シモンの周辺の足場の状態チェック、この後で使用する魔法術式の微調整、治癒魔法による体力回復など、時間はいくらあっても足りません。
「だったら、後で一緒に格好良いのを考える? 私に負けた技の名前」
「わはは、二人で技の名を考えるというのは楽しそうだ。なにしろ、お前を負かすほどの奥義であるしな、精々、知恵を絞って格好良いのを考えるとしよう」
ライムらしくもない挑発的な言葉。
シモンも楽しそうに応えます。
彼もこの会話が時間稼ぎを目的としたものだと勘付いてはいるのでしょうが、無理に会話を打ち切るつもりはないようです。なんなら会話の途中でいきなり不意打ちでも飛んでこないものかと、期待しているフシすらあります。
「ん……よし」
そうやって稼げた時間は二十秒か三十秒か。
何もかも準備万端とはいきませんが、ひとまずライムの準備は整いました。
最後に一度、大きく深呼吸をして酸素を肺に取り込むと、先程までと同じように両手を地に着けたクラウチングスタートの姿勢に…………は、ならず。
「よーい、ド」
「よーい、ドン」の「ド」のタイミングでのフライング。二本足で立ったままのスタンディングスタートで、一気にシモンとの距離を詰めたのです。
「お?」
これにはシモンも虚を突かれる形となりました。
先程まで何十回と突進を続けていた時も、ライムは毎度同じようにクラウチングスタートの姿勢を取ってから動き出していました。ですが、実はそれ自体が一つの仕掛けであったのです。
実のところ、この技にスタート時の姿勢の縛りはありません。
にも関わらず、何十回と律儀に両手を地に着けてから走り出していたのは、シモンの意識に技のタイミングを刷り込むため。両手を地に着けてから攻撃が来ると思わせてからの、一度限りの不意打ちです。
「うお、お!?」
予想していたタイミングよりも半秒ほど速く迫るライム。
流石のシモンもこの状況には焦りました。現在は剣を頭上に構えた状態。今からではライムが彼の位置に来るまでに剣を振り下ろす動作が間に合いません。
「お、おおおお!」
が、それでも辛うじて回避を成功させたのは、シモンの技量というよりも幸運によるものでしょう。クラウチングスタート時よりもやや遅い初速。そして今も全身を苛む激痛がライムの速度を奪っていました。
おおよそ先程までの最高速の半分、いえ、三分の一以下。
結果、咄嗟に横っ飛びに逃げたシモンを掠めるような形でライムは通過。
ほんの僅かに触れただけで皮膚が裂けて血が噴き出るほどの威力がありましたが、筋肉や骨格へのダメージは軽微です。戦闘に支障はありません。
「ううむ、掠っただけでコレか。まともに喰らいたくはないものだ」
今の、スタート姿勢のフェイントが通用するのは恐らく一度きり。
ここまで温存してきたそれも軽傷を負わせるのみの結果に終わりました。
即座に体勢を立て直したシモンは、己の背後へと駆け抜けていったライムに向き直るべく背後を振り向き、そして。
「……いない? っ、ぐぁ!?」
背後から、つまり直前まで向いていたのと同じ方向からの攻撃を受け、大きく吹き飛ばされることになったのです。




