最後に支えるもの
もう何度目かの絶体絶命。
熟練者による絞め技は、頸動脈を押さえて血流を止めることで劇的な効果を発揮します。気道を圧迫する窒息では強く感じられる苦しさもほとんど無く、それどころか人によっては意識が急速に消えていく感覚が気持ち良いとすら感じられるのだとか。
シモンの技量ならばライムにこれ以上苦痛を与えることなく意識を落とすことができるでしょう。恐らく、時間にして十秒もかかりません。彼は膝立ちの姿勢で上半身を起こしたライムの首に腕を回し、そして……。
「なに?」
信じられないことが起こりました。
シモンにも、ライム自身にも信じられませんでした。
激痛に喘いでいたはずのライムが、なんと自分の頭越しのハイキックをシモンの顔面に見舞ったのです。直立姿勢のまま自分の被っている帽子を蹴り上げられるほどの恐るべき柔軟性。しかも驚きはこれだけで終わりません。
蹴りの回転力を利用して頭を引き下げ、極まりかけていた絞め技から脱出。更にその勢いのまま両手を地に着けた倒立姿勢となり、縮めていた手足を一気に伸ばす勢いも加え、両足でシモンのアゴを蹴り上げたのです。
「ぐ、ぬ……!」
元々、膝立ちで頭の位置が低くなっていたこともあり、シモンへの効果は絶大。
アゴに良いのを貰ったせいで軽めの脳震盪を起こしているのでしょう。咄嗟に飛び退いて距離を取ったものの、膝がガクガクと笑っています。
姿勢の関係で深く蹴りが刺さったせいもありますが、喰らう瞬間まで全く技の予兆に気付けなかったこともダメージを実際以上に大きく感じさせていました。
いえ、それ以前に今のライムがまともに戦えるはずがないのです。
心を斬られた今、彼女の精神力は無垢な赤子同然。
どんな痛みにも耐えられる強靭な精神力があったからこそ、それが急に失われた時の反動も大きいはず。度重なる無理によって蓄積した肉体のダメージは、それこそのたうちまわって絶叫するほどの苦痛を与えているはずです。
「ううむ、今のは効いたぞ! まさか痛いフリをして……ではないな?」
「……うん。今も痛い、すごく」
シモンの技の効果が思ったより浅く、途中で回復していた。痛みにのたうち回っている演技をしながらも、冷静に反撃の機会を窺っていた……というわけでもありません。あれはライム自身にも完全に予想外の反撃だったのです。
シモンの奥義は確実にライムの精神的な耐久力を奪っていました。
その証拠に今もまだ彼女は両目からボロボロと涙を流しています。立っていられるのが不思議なほど。あそこで反撃しないでいれば今頃は楽になれていたのにと、内心で後悔する気持ちすらありました。
しかし、そんな状態にも関わらず実際にライムは反撃してみせたのです。
一流の格闘家は戦闘中に意識が朦朧としていても無意識的に肉体が動いて戦い続けることがありますが、この場合もそういった類の現象なのでしょうか。あるいは、トレーニングで染み付いた動作を身体が条件反射的に繰り出したのか。
本人の意思とは無関係に出された技ならば、当然、殺気や闘気はごく薄いものとなります。シモンが攻撃の起こりを察知できずに喰らったことにも一応の説明は付きます、が。
「それで、どうする?」
「…………」
シモンの問いが意味するものは明瞭です。
すなわち、まだ戦いを続けるか否か。
いくら身体が戦いを続けたがっていても、心が折れていては結果は見えています。次からはシモンも無意識の反撃に備えてくるでしょう。そう何度も幸運は続きません。
「まだ、続ける」
「……そうか」
が、ライムはそれでも戦い続けることを選びました。
身体はとっくにボロボロ。
その身体を支え続けていた我慢強さも一刀にて断ち切られました。
戦いを楽しむ気持ちも流石に打ち止めです。
ならば、いったい何が今の彼女を踏み止まらせているのか。
そんなもの、最初から何も変わりません。
「まだ続ける。続けないと。だって……私がシモンを好きな気持ち、まだ全部伝えられてないから……」
好きだから。
どんなに彼のことを好きか伝えたいから。
心の中にある全部の「好き」を伝えきるまでは、どんなに痛くても諦めるわけにはいかない。最早、そんな不器用な恋心だけがライムの最後の支えとなっていました。
「それに……勝ち方は、もう分かってる」
それに、まだ勝機が完全に潰えたわけではありません。
人の心をも斬るシモンの奥義は恐るべきものですが、ライムもまた紛れもなく天才。
その天才性が、この過去最大の窮地にあって大いなる飛躍を遂げようとしていました。
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《本編の内容とは特に関係のないオマケ》
◆2/22は猫の日です(遅刻)




