根性スラッシャー
『要するにそういうことなの。ほら、よく速く走ろうとして音速を超えようとすると空気が邪魔になるでしょ?』
「いやいや、そんな『あるある話』感覚で言われても分からないけど、まあ、仕組みは大体分かったよ」
戦いの見物をしながら……まあ戦っている当人達と迷宮達以外にはもはや目視できていないのですが……レンリとウルは、ライムの使っている技について話していました。
音速の何倍も速く走る突進技。
その仕組みは至って単純です。
日常生活においては抵抗力などないも同然の空気も、音速に迫るほどの速度で動くと鋼鉄の壁と変わりません。そこで無理にスピードを上げようとすれば、全身を強く打ちのめされて自滅も同然の末路を辿ることでしょう。
ライムが戦いの序盤で使っていた貫手突きも、その抵抗力を軽減するための工夫の一つ。拳や掌底といった面の打撃に比べて空気抵抗を大幅に減らすことができます。が、それでも音を超えられるのは精々が肘から先の一部のみ。全身丸ごとの音速超過は不可能です。
強化魔法の出力を上げて肉体の耐久力を増して強引に耐えようとも、加速すればするほどに空気の抵抗力は天井知らずにどんどんと増していきます。とても実用的ではありません。
しかし、そこでライムは発想を逆転させました。
要するに、空気があるからこそ空気抵抗があり速度の限界が生じるのです。
ならば、もし空気がなかったら?
空気抵抗など発生することなく、身体能力と魔力に任せていくらでも加速していけます。邪魔な障害物など、どかしてしまえばいいのです。
流石に、自分自身を真空中に閉じ込める、などというイカれた魔法は本など探しても見つかりませんでしたが、既存の魔法が存在しないのなら新しく作ってしまえばいいのです。ライムには十分にそれが可能な知識と才覚がありました。
自分の周囲と進行方向上の空気を操作して取り除き、一時的に固定する。
同時に空気中にあった砂粒や不純物も取り除ければなお良いでしょう。
幸い、と言うべきかはともかく、そう難しい魔力のコントロールは必要ありません。魔力の消耗もライムにとっては微々たるものです。術式そのものはあっという間に完成しました。
自分から相手に向けて伸びる真空のトンネルです。
技の発動時にクラウチングスタートの姿勢を取っていたのは、初速を上げるためという理由もありましたが、攻撃相手の顔まで真空に晒されて技の仕組みがバレないようにするためでもありました。
更には大気操作以外にも、普段の戦闘時より脚部への魔力の割り振りを増した身体強化、加速した視界を認識するための思考加速、スタート時の重量軽減、衝突時の重量増加、部分的硬化、部分的柔軟化、地面との摩擦力強化、精神高揚……などの術式を必要なタイミングで無詠唱連続発動。
無論それらに加えて体術の行使もあるわけで、はっきり言って何もかも異常です。戦闘センスの異常な高さもそうですが、そんな思いつきを本気で実行するのが異常です。
ウルも先程言っていましたが、当然、人間は真空中で生きられません。
人間じゃなくてエルフだから大丈夫、なんてトンチも通じません。
眼球や口腔からは凄い勢いで水分が失われていきますし、臓器の中にある空気が膨張して心肺を圧迫。身体各部の毛細血管もどんどん破裂していきます。ダイビング選手が急激な気圧の変化で減圧症という症状に襲われることがありますが、それを更に酷くしたものを想像すればいいでしょう。
ライムもダメージを軽減すべく魔法で体内気圧の調整などしていますが、流石に完全に防ぎ切れるものではありません。なので、ライムは……。
◆◆◆
根性!
足りない分は根性でカバーすればいいのです。
(根性!)
ライムは本気でそう思っていました。
そう思いながら呼吸も根性で我慢して走り続けていました。
攻撃の終わりから次の攻撃までの繋ぎが早過ぎて、一瞬魔法の効果が途切れても、空気が戻ってきて息をする前に次の真空の展開を完了してしまいます。一旦攻撃の手を休めて距離を取れば呼吸もできるでしょうが、全身全霊、息も吐かぬ連続攻撃でようやく保っている均衡が崩れるのを嫌っているのです。
息を止めたままの全力ダッシュを何十回繰り返したでしょうか。音速がどうこう以前に一般的な速さの短距離走でも普通は死にます。良い子は絶対に真似をしてはいけません。
(根性!)
ずっと真空中にいるせいか眼球の毛細血管が破裂して視界は赤く染まっていますし、手足の先もだんだんと痺れて感覚がなくなってきました。
しかしライムはまだ根性で我慢する、我慢できてしまうのです。あるいは彼女の最大の才能とは魔法や体術のセンスなどではなく、その特異な精神性、無限大とすら思える根性なのかもしれません。
(……根性!)
そして、それだけの根性を出した成果がようやく見えてきました。
前後左右からシモンを囲むようにして延々体当たりを仕掛けてきたせいで、周囲一帯の地面はもうボロボロ。そのダメージは地表を見ただけでは分からない地下にまで及んでいたのでしょう。
「お? おお、足場が!?」
次なる斬撃を繰り出そうと構えたシモンが足幅を広げた途端、彼の身体がぐらりと大きく傾いたのです。恐らくは土中に埋まっていた岩などが度重なる地面への衝撃で粉砕していたのでしょう。結果、シモンの右足は新雪の積もった野に踏み出したかのように足首の上まで土に埋まってしまいました。
ライムが狙ってやったことではありません。
しかし、偶然だろうがチャンスはチャンス。
(……っ、根性!)
この千載一遇の勝機を逃すまいと、彼女はこれまでよりも一層強い根性を振り絞って体勢を崩したシモンへの突撃を仕掛けようとして……それがいけませんでした。
「――――見えた。ソレか」
突然シモンが剣で空を、ぶん、と薙いだのです。
ライムは未だ突撃を仕掛ける前。もちろん剣が当たるはずもありませんし、これまでの攻防で幾度もしていたように、世界を斬って空間を歪めたわけでもなさそうです。周囲の空間に切り口らしきものは見当たりません。
一見すると意味のない素振り。
焦って技を仕損じたようにすら思えます。
今この瞬間に突撃を仕掛ければ、それで決着のはず。だというのに。
「……んっ、痛っ!」
ライムは発動直前だった技を止め、構えを解きました。
より正確には、解かされました。
「な、何……っ、痛っ、痛い!」
何をされたのかライムにも分かりません。
いえ、考える余裕もありません。
全身に蓄積した大小無数のダメージが痛くて、ずっと我慢していた息が苦しくて、状況を冷静に考えるどころではない。痛みを我慢することができないのです。
痛くて、痛くて、痛くて、痛くて。
こんな苦しみに今まで耐えられていたのが信じられない。二本の足で立っていることすらできず、地面に倒れ込んでのたうち回ってもまだ痛い。果たして、シモンは何を斬ったというのでしょうか。
「これは、気合、反骨心……いや、根性か? 大した我慢強さだったが、おかげでようやく感じ取れた。お前の心、斬らせてもらったぞ」
斬ったのは、心。
より詳しくは様々な心の中のうち根性だけ。
相手の特定の種類の精神力を強制的にゼロにする技、という理解でもいいでしょう。
今のシモンの練度では、どんな心でもすぐさま感知して自在に斬れるというわけではありません。が、皮肉なことに好機を得たライムの心の働きがひときわ強くなったことが、シモンに対して急所を曝け出す結果となってしまったのです。
奥義そのもので肉体的なダメージは一切発生していません。
ただ、既にあった身体の痛みを我慢できなくなっただけ。戦いの中でシモンから受けた傷と、恐らく痛みの半分以上はライム自身の無茶な戦い方の反動によるものでしょう。
「う、ううぅぅ……!」
「……すまぬ。効果は一時的なもののはずだが」
ライムはもう言葉を発することもできずに唸るばかり。あまりに痛すぎて気絶することもできないようです。剣を収め、すぐ間近にまで近寄ってきたシモンの言葉が届いているのかも定かでありません。
「もう休め。目が覚める頃にはいつも通りのお前に戻っているはずだ」
シモンは少しでも早くライムの苦しみを和らげようと、絞め技で意識を落とすべく彼女の首に腕を回し…………。




