傍迷惑な戦い
先に動いたのはライム。
両手を地に着けたクラウチングスタートのような姿勢から始動。踏み込みの一歩で音速へと迫り、二歩で音を超えて更に速く、三歩目を踏んだ時点で音速のおよそ三倍にまで加速を完了していました。
狙いは真っ直ぐ一直線。レスリングの低空タックルのようにして、シモンの下腹部から太腿のあたりに向けて頭からぶつかっていく意気込みです。
対するシモンは、やや足幅を広く取っての上段構え。
これがもっとフットワークの軽さを重視した構えであれば、この速度のタックルの軌道を読んで膝蹴りを合わせてきたかもしれませんが、今回のようなどっしりとしたスタンスであれば蹴りの心配はないでしょう。最早、小技は無用。あくまで剣技によって迎え撃つ気です。
この両者真っ向からの激突は、やや意外な結果となりました。
いえ、正確にはそもそも激突してはいないのですが。
「ん?」
ライムは予期していた手応えがないことに違和感を覚え、それについて考える前に即座に足を踏ん張って制動をかけました。なにしろ、これほどの速度。気を緩めれば一瞬のうちに自分の技の勢いで場外負けを喰らいかねません。
ライムは間違いなく真っ直ぐシモンに向かっていました。
同時にシモンの剣が振り下ろされるのも確認しています。
しかし自分の攻撃が当たった感触も、逆に斬られたダメージも感じません。つまり両者ともに攻撃を外したようではありますが、この極限の状況で二人揃ってミスをするなどあるものでしょうか。
二人が交叉した瞬間にいったい何が起きたのか。
その答えは、わざわざ推理するまでもありません。
速度を緩めて後ろを振り返ったライムは一目でその現象を理解しました。
「なるほど」
ライムとしては間違いなく一直線に進んだつもりでした。
現に、技を発動した地点からしばらくは真っ直ぐに地面が抉れています。音速を遥か超過する速度で駆ければ地面が粉々に粉砕するのも当然です。
しかし、地面に一直線の跡があるのは途中まで。
シモンに衝突する直前の位置から、異様な急カーブを描いてライムの現在位置まで続いているのです。地面に刻まれた踏み込みの破砕痕が、彼女自身の認識と明らかに食い違っていました。
第三者が見ればライムが自分の意思で走る軌道を変えたように映るかもしれませんが、彼女自身は真相がそうではないことを知っています。それに何より急カーブの少し先。その空中に残るモノを見れば答えは明らかです。
奇妙な、細長い布を広げたように揺らめく「何か」が見えました。
極彩色。正確には一瞬ごとに色を変えているかのようです。
目を凝らして見てもその正体は掴めません。大体その辺りにあるということは分かっても、大きいのか小さいのか、分厚いのか薄いのかも不明です。
それでも強いて表現するならば、まるで傷口。
シモンの斬ったものとは、すなわち。
「おお、本当に斬れてしまったな。世界」
シモンが斬ったのは世界そのもの。
空間に広がるのは切り口を通して見える世界の外側というわけです。
シモンの斬撃によって世界は両断されて大きく切り開かれ、周囲の空間そのものに急激な捩れが発生。ライムの意識としては一直線に進んでいるつもりが、現実には急カーブをしていたのは、そうした空間の歪みによる影響でしょう。
空間転移の魔法のように特定の場所、特定の世界へ向けて通路を開いたのも違います。あえて言うなら、どこの世界でもない、どこでもない場所。
正確な形が見えないのも当然で、人間の脳には「世界の外側」を知覚する機能が備わっていないのです。あるいは認識してはいけないとでも言うべきか。
カラフルな色合いや曖昧な形状は、それを見た各人の脳が本来認識できないものを認識しようと補正をかけた結果でしょう。今見えているのは脳が見せている幻覚のようなもの。それでも心の弱い人間が長時間見ていたら、心を狂気に囚われてしまうかもしれません。
まあ、それはそれとして。
シモンの奥義は世界を斬る剣……ではないのです、実は。
たしかに凄まじい絶技には違いありません。
また、斬撃の余波で空間を歪める現象をコントロールできれば、この世界の内側で起こり得るあらゆる威力を逸らす絶対防御の盾としての運用もできるかもしれません。
しかし繰り返しになりますが、これはあくまで奥義の一端。
正しくは、世界“も”斬る剣技。
今の彼に斬れるのはそれだけではないのです。
◆◆◆
初撃が不発となった後も、ライムは続けて二度三度と突進を繰り返します。急激な加速と制動の連続で、周囲一帯の地面は見るも無惨に荒れ果てていました。
シモンへと一直線に狙いを定めて突っ込み、しかし最初の交叉と同じく突進の軌道を逸らされてあらぬ方向へ。ならば今度はあえて狙いを外して彼の横を走り抜け、背後を取ろうとしましたがこれも不発。
これだけの速度だと急な進路変更はどうしても難しく、また曲がるために速度を落としては本末転倒。技の強みが失われてしまいます。今はシモンも空間を斬り歪めて攻撃を逸らすことに専念していますが、ライムが隙を見せたら即座に勝負を決めにくることでしょう。
逆に言えば、ライムが速度を落とさずに攻撃を続けているうちはシモンも迂闊な反撃ができません。なにしろ突進の始動に完璧にタイミングを合わせて奥義を使わねば、超音速の体当たりを受けて一撃で敗北必至。
威力を思えば大砲の弾を前後左右から連続で撃ち込まれ続けているようなものです。受け技を使っても到底流し切れるようなダメージではないでしょう。たとえ怪我を負わずとも、下手な角度で切り込めば剣が折れたり曲がったりする恐れもあります。
激しく動き回ってはいるものの、実質、両者共に決め手に欠けた膠着状態。ライムとシモンは、そんな状況に焦るどころかスリルを楽しむようにしていましたが……。
「ひえっ!? ウル君、助けて! あの二人、もう全然周りが見えてない!」
『はいはい、仕方ないから守ってあげるの』
レンリや観客は無邪気に楽しんでもいられません。
ライム達が戦っている訓練場の中央から幾らか距離はありますが、それでも凄まじい土埃が暴風雨のように場内一帯に吹き付けていますし、土中の岩が砕けた欠片も飛んできます。
このままでは決着が付くより前に怪我人の山が出来かねません。レンリが念の為に迷宮達を呼んでいたのは実に正しい判断だったと言えるでしょう。
ウルが両手の指先から生やした大量の植物の蔓が、ものの数秒で場内全てを囲むほどに伸びました。見た目は頼りない蔓ですが、一本一本の強度は鋼鉄以上。これらが臨機応変に動いて飛来した岩石を弾き落としてくれるようです。
またウルの対応に合わせてヒナも三態操作の能力で土中の成分を液化し、訓練場そのものをドーム状に覆っています。これなら影響が街中にまで届くことはないでしょう。
「助かった……さっきも言ったけど、あの二人、全然周りが見えてないね」
『あれが恋愛モノのお芝居とかで言う二人の世界ってやつかしら? ルカお姉さん達とはずいぶん違うの。愛のカタチって色々あるのね。恋愛の道は奥が深いの』
「いやいや、これはいくらなんでも深すぎるでしょ」
レンリはウルの小さい背中に隠れるようにして、今も続いている激しい戦いを眺めています。とは言っても、ライムは動きが速すぎて残像すらほとんど見えませんし、シモンが剣を振るたびに空間に浮かび上がる切り口を見ていると心がぞわぞわと不安定な気持ちになってきます。
もう立会人がどうのと言っていられる余裕もありませんが、それでも今更何もかも忘れて立ち去るわけにもいきません。
「ねえ、ウル君はちゃんと二人の戦いが見えてるんだろう? 今どっちが押してるかとかって分かるかい?」
自分の目で戦いを追えなくなったレンリは、ウルに解説してもらうことにしたようです。いつぞやの鬼ごっこの時のように視覚を自主的に制限してもいませんし、当然、ウルの目は今もライム達の動きを捉えています。そんなウルが言うことには、
『うーん、多分、シモンさんが有利なの』
「そうなのかい? 別にどっちかが大きなダメージを受けたってわけじゃないんだろう?」
ウルはシモン有利との判断を下しました。
たしかにレンリの言う通り、今の局面に入ってから現時点まで双方クリーンヒットはなし。互いに決め手に欠けた互角の展開にも思えますが、
『うん、別にダメージがどうとかじゃないのよ。でも、エルフのお姉さんのあの速く走る技って長期戦には向かないっていうか……』
今のウルの目にはライムの突進技の仕組みがしっかりと見えていました。
まるで空気抵抗を一切無視したように音速を遥かに超えた加速を可能とする。音の壁を突破した際の破裂音が発生しない。様々な種類の魔法を使えるライムなら、それらを可能とする条件を整えること自体は難しくないでしょう、が。
「長期戦に不向きっていうと、魔力や体力の消耗がすごく激しいとか? それはまあ見たまんまって感じだけど」
『ううん、それもそうなんだけど、そうじゃなくて! もっと根本的に頭おかしい発想なの。だって、人間のヒトって――――空気がないと死んじゃうんでしょ?』




