欠陥奥義と綺麗な魔法
全部で二百を超える魔法の球体。
相手に命中するまでは何度避けても追い続けるという恐るべき魔弾……の、はずなのですが。シモンに殺到していたそれらが全て、ピタリ、と空中で止まっています。
「おお、意外となんとかなるものだ」
先程から何分間も休まずアクロバティックな回避を披露していたシモンも、これでようやく一安心。最も近い魔法球は彼の顔から一歩分の距離まで迫っていましたが、まるで近付いてくる様子もありません。やっと一息吐くことができました。
「な……っ」
が、のんびりしているのは、こんな真似をやってのけた張本人だけ。魔法を放ったライムはもちろん、レンリや観客達はビックリし過ぎて歓声を上げることすら忘れています。
シモンの周囲、大体半径20mくらいの範囲でしょうか。
何もない空中に色とりどりの魔法球がピタッと縫い付けられているのです。
パッと見は何か祝い事のイルミネーションのようにも見えますが、ちょっとでも触れたら大怪我間違いなしの危険物と知っていれば印象は大きく違ってきます。
果たして、どういった仕組みによる現象なのか。
たとえばライムの師匠であれば他人が放った魔法に後から干渉して、制御権を奪った上で撃ち返すくらいやっても不思議はありませんが、幾らなんでもシモンにそこまでの魔法の腕前はないはずです。ならば、どういう原理によるものなのか。
「む? ああ、特に大したことはしていないぞ」
それについては、なんと皆が不思議そうにしているのを察したシモン本人が親切にも解説してくれました。特にその辺りを出し惜しむ気はないようです。
「いわゆる斥力というやつだ。重力結界の応用だな」
「斥力? 引力の逆?」
「うむ、それだ。しばらく前からこっそり練習していたのだが、使い慣れていない技というのは咄嗟に使う判断が出てこなくて参ったものだなぁ」
厳密には惑星の自転による遠心力なども関係してくるので「重力」と「引力」はそのままイコールではないのですが、それはさておき。シモンは魔法の力で斥力、つまり物を引き付ける引力とは逆の、物を引き離す力を自分を中心に発生させていたのです。
彼の奥義である重力結界の重力の向きを変えた応用編。
実のところ、先週頃にライムや子供達と鬼ごっこをやった時にも密かに発動させていたりしました。今回ほど広範囲ではなく精々手の届く範囲ではありますが。ライムの貫手が奇妙な感触に阻まれて届かなかったのはそのせいです。
「へえ、本当だ。この辺から近付けないや」
「ん」
シモンの説明を聞いたレンリやライムが、結界の端のあたりで斥力の感触を実際に確かめています。周囲に停止している攻撃魔法に注意しながら手を伸ばすと、ぐいっ、と押し戻すような感触がありました。どう見ても障害物など見当たらないのに、レンリの貧弱な脚力ではシモンの周囲20m以内には立ち入れません。
ライムのほうは強引にパワーで突破してシモンとの距離を詰められなくはなさそうですが、それでも斥力結界の中で十全の力を発揮するのは難しいでしょう。転移魔法で距離を詰めても攻撃の踏み込みが甘くなってしまいそうです。
「むぅ。困った」
ライムとしても攻略法が見えてきません。
弓矢や攻撃魔法のような遠距離攻撃全般に対して無敵にも思える防御力がありますし、強引に結界内で接近できる実力者の戦闘力も大幅ダウン。一見するとかなりすごい魔法のように思えます。
「いやいや、そう大したものではないぞ」
ですが、この応用奥義。
実はとんでもない欠陥技でもあるのです。
シモンの言葉は謙遜ではありません。
「なにしろ、呼吸ができん。身の周りにある物は空気まで引き離してしまうのでな。こうして話が出来るということは完全な真空状態というほどではないのだろうが」
と、そういうわけです。
説明を聞いた皆は思わず脱力してしまいました。
自分を中心に強力な斥力を発生させているせいで、魔法を使っている間は息を吸うことができません。シモンが人間離れした心肺能力に物を言わせて普通に喋っているものだから、ライム達もその欠点に気付きませんでした。
つまりシモンがしたのは単なる時間稼ぎ。
このままでは息が切れるか結界を維持する魔力が切れるかして、いずれは周囲に留まり続けている魔法を雨あられと浴びることになってしまいます。
「ははは、これは困ったな。どうしたものか……うん、これは?」
そんな危機的状況にあって、シモンがおかしなことを言いました。
いえ、ここ最近の彼はずっとおかしなことばかり言っているのですが、その中でも特におかしなことを言いました。彼はライムのいるほうを向いて一言。
「……綺麗だ」
「き、きれ……っ」
予想外の台詞にライムはドギマギしてしまいます。
まさか息が続くうちに彼女の心を完膚なきまでに口説き落して、周囲の魔法を解いてもらおうとでも言うのでしょうか。
いいえ、流石にそんなはずはありません。
そもそも今の「綺麗」はライムに向けたものではありません。
「綺麗だな。ライムの魔法は」
「ま、魔法?」
「うむ。考えてみれば、撃ち出された後の魔法を間近で観察する機会などそうはないからな。ほれ、キラキラと光って綺麗だぞ?」
果たして、シモンは自分の状況を理解しているのか。
いくら鍛えている彼でも無限に息が続くわけではありません。
それにも関わらず自身の周囲に留まっている魔法球を、まるで貴重な宝石や芸術品でも鑑賞するかのように興味深そうに眺めています。
ライムとしては、そんな彼の奇行に戸惑うやら呆れるやら。
挑発のために余裕があるフリをしているという風でもありません。
過酷な修業によって危機感を感じる神経が切れてしまったのでしょうか。
まあ正直その可能性は否定できません。
ですが、結果的にそうして魔法を観察したことが彼に気付きを与えることになりました。この窮地を脱するための気付きと、そして己の中に芽生えつつある力への気付きを。
「おお、こっちの白混じりのオレンジ色は爆発の魔法だな。ううむ、実に力強い美しさを感じる。持ち帰って飾るわけにはいかぬだろうが……む? むむ、これは?」
幾つもの魔法球を鑑賞していたシモンが、ふと動きを止めました。
そして、おもむろに目の前の攻撃魔法に手を突っ込んだのです。
彼が手を触れた瞬間に爆発の魔力を秘めた魔法が発動し、思い切り吹っ飛ばされたシモンは結界の守りもなく次々と迫る魔法をまともに喰らうことに……なりませんでした。
「これをこうして、おお、上手くいったぞ」
シモンが手を触れても魔法は発動しません。
それどころか魔法球の中に突っ込んだ手を軽く振ると、これまで球形を維持していた魔法が宙に溶けるようにフッと霧消してしまったのです。見ている皆には何がなんだか分かりません。
「うむ、なんかコツを掴んだ気がするぞ」
続いて彼は同じように周囲の魔法に触れては消していきました。
そして十個も消したところで完全にコツを会得したようです。
「一個一個消していくのも面倒だな。まあ、多分大丈夫だろう」
そして今度はあろうことか自分の生命線であったはずの斥力結界を解除。当然、残っていた魔法の全てが再始動してシモンへと殺到しましたが、それらも最初の数個と同様に。
「よっ、ほっ、っと!」
向かってくる魔法を突き、蹴り、叩き、その度に恐るべき威力を秘めた魔法が発動することなく消えていきます。時には手足どころか肩や背中での体当たり、頭突きでも同じように。燃え盛る炎の中に身体を突っ込んでも火傷一つ負った様子もなし。凍り付くことも、感電することも、水に濡れることすらありません。
そうして、ほんの十秒か二十秒で彼を囲んでいた魔法球は全て消滅してしまいました。ライムや皆の驚きようといったら先程の結界の時の比ではありません。
「消してしまうには惜しかったかな? それにしても、ううむ、実に空気が美味い!」
そんな中、シモンだけがのんびりと深呼吸をしていました。
◆もう結構前の章ですが、この魔法を素手で消す技は本作中ですでに登場していたりします。あの時のシモンは消された側でしたけど。




