正々堂々、真っ向不意打つ
正々堂々、真正面からの不意打ち。
矛盾するようですが、そうとしか言いようがありません。
シモンの繰り出した攻撃は右拳による正拳突き。
目にも留まらぬほど速いわけではありません。
むしろ速さに関しては遅すぎるくらい。常人並みの動体視力しか持たないレンリや周囲のギャラリーにもはっきり見える程度です。まるで、そういう『演武』であるかのような、ゆるり、とした動作。
だというのに、対するライムの反応は遅れに遅れました。
突然現れたシモンに驚いたというだけでなく、拳を突き出す動作があまりに流麗で、完成されたフィギュアスケーターの演技のように美しく……そう、あろうことか目の前に迫る攻撃の美しさに見惚れてしまっていたのです。
「!?」
ようやくライムが動いたのは向かってくる拳が前髪に触れた刹那。
胴体が腰から半分に折れそうな勢いで身を反らし、そのままバク宙の格好で大きく後ろに跳び退きました。考えてから動いたのでは決して間に合わなかったでしょう。肉体に染み付いた反射による回避行動です。
結局、シモンの拳は額の皮膚に触れたかどうかという程度。
肉体的なダメージは一切ありませんでした。
「な、なん……っ!?」
が、今起こった事実を前に心穏やかでいられるはずなどありません。準備運動であれほど身体を温めておいたのに、今や冷や汗で全身が氷のように冷たく感じられます。
このままシモンからの追撃を喰らえば、心身の体勢を立て直す暇もなく総崩れになっていたかもしれません。そうならなかったのはライムの幸運、あるいは人徳によるものでしょうか。
「こらこら、シモン君! キミね、遅刻してきた分際で……いや、ギリギリセーフかな? いやまあ間に合ってたとしても、立会人の私を差し置いて勝手に始めるんじゃあないよ。反則負けになりたいのかい?」
時間に関しては恐らくギリギリセーフ。
とはいえ遅刻寸前でやって来た者が、自分のペースで一方的に開始を宣言して攻撃を仕掛けるというのは、立会人であるレンリの心情的にもよろしくなかったようです。
決闘における立会人が審判と同義であるかは微妙なところ。
そもそも明文化されたルールがあるわけでもありません。仮にレンリが反則負けの裁定を下したとしても、シモンに従う意思がなければ気にせず続けることもできますが、
「おっと、これはすまぬ! つい気が逸ってしまったようだ」
「だってさ。ライムさん、いいかい?」
「……ん。許す」
彼としても、このまま我を通す気はなさそうです。素直に非礼を詫びました。
幸いライム側にもダメージはありません。今の不意打ちモドキはなかったことにして最初から仕切り直すことになりました。が、その前に。
「それにしても、自分から時間を指定しておいて遅刻ギリギリとは随分じゃないか」
「うむ。それに関してはだな――」
厳密には遅刻ではないとはいえ、シモンが正午の一秒前まで現れなかったのは確かです。シモンがそれについての説明、あるいは弁解をしようとすると、
「遅刻じゃない。兵法」
ライムが彼の言葉を遮って代わりにレンリに答えました。
「兵法? ってことは、わざと遅刻寸前まで遅れてきたってことかい?」
「そう。遅れて来て相手を焦らす作戦」
彼が遅れてきたことに関して、ライムはそういう作戦だと解釈したようです。
この場で大っぴらに説明するわけにはいきませんが、ライムもシモンも二刀流で有名な日本の剣豪の、かの巌流島でのエピソードを聞いたことがありました。
そのエピソードの実在性はさておき、決闘の場にわざと遅れて現れることで相手を焦らす作戦というのは、成程、確かに単純ながらも効果がありそうに思えます。
実際思い起こしてみるに正午直前までのライムは、ついでにレンリや観客も、もしかしたらシモンが約束の時間に現れないのではないかとハラハラした気持ちにさせられていました。彼が現れた後の初撃に対応が遅れたのは、その心配のせいで心理的に揺らいでいたせいも多少あったかもしれません。
それで生まれる隙などほんの数秒程度のものでしょうが、強敵相手に数秒の隙を稼げる可能性があるならば、そうした兵法を実践する価値は十分すぎるほどにあるでしょう。
「それって卑怯じゃない?」
「ううん。卑怯じゃない」
このあたりの是非は人それぞれの価値観によるでしょうが、少なくともライムはシモンに限らず戦う相手がそうした作戦を用いることが卑怯だとは思っていません。それもまた強さの一要素。ライム自身は用いずとも相手は自由に使えば良い。そうした盤外戦術すらも込みで全力を尽くす姿勢は、むしろ相手に対する誠意の表れだとすら考えています。
とはいえ、そうした姿勢がシモンらしくないとはライムも薄々感じていました。
しかし今回はそこまで必死に勝ちに来ているのだろう。ならば、それはむしろ自分に対しての誠実な態度であるとして、どうにか納得して呑み込もうとしていたのですが。
「いや、何というか……すまぬ。兵法とかそういうのではないのだ」
残念ながら、実態はライムの想像とは違いました。
「実は普通に遅刻しそうになって慌てて走ってきただけでな」
シモンは冗談や謙遜で言っている風ではありません。
つまり先程から説明している兵法云々はすべてライムの買い被り。さっきから訳知り顔で語っていた内容は全然的外れだったわけで、これはなかなか恥ずかしい。ライムは赤くした顔を両手で覆って隠してしまいました。
「いや俺もな、念の為、遅れないよう一時間以上前に屋敷を出たのだ。それで時間があったから途中で何か軽く腹に入れていこうと思って目に付いた喫茶店に入ったのだが、そこで注文を忘れられてしまってな」
「忙しい店だとたまにあるよね。でも、それで遅刻しそうにまでなるかい?」
「ああ、それなのだが……三回だ」
「三回って、何が?」
シモンが口にした回数の意味が分からずレンリが聞き返しました。
「三回、その店に入ってから注文を忘れられてしまったのだ」
「そんなに連続でって、それはまた随分そそっかしい店に当たったものだね」
「最初はそう思ったのだが俺以外の客は普通に飯を食ってさっさと入れ替わっていくし、どうも俺だけ見えていないような感じでな。何度か声をかけてようやく気付いてもらえたが、それでも忘れられて仕方ないからまた声をかけて……俺、そこまで目立たないほうではないと思うのだがなぁ」
「どちらかというと必要以上に目立って困るタイプだと思うけど、まあ、何というか運がなかったね?」
シモンから事情を聞いても、なかなか要領を得ない話です。
十分な余裕を持って家を出てきたはずが、立ち寄った飲食店で何度も注文を忘れられて遅刻ギリギリになってしまった。要点をまとめるとそれだけの話なのですが、どうも釈然としないものが残ります。
ちなみにシモン個人が知らぬ間に店の恨みを買って嫌がらせを受けていたという線はありません。彼曰く、何度も忘れたことでかえって恐縮するほど謝られてしまったのだとか。
「我ながらよく分からん話だが、詫びとして店の名物だというシフォンケーキをサービスしてもらえたし、食い終わってから大急ぎで走ってきたら間に合ったし……うむ、よくよく考えたら何も問題はないな!」
「ああ、シフォンケーキが名物っていうと大劇場の東側の屋根が見える辺りの店かな? そうそう青い看板の。あの店ならパスタもオススメだよ。トマト系のやつ」
「ほう、それは良い話を聞いた。また近いうちに行ってみるか」
「あはは、今度は忘れられないといいね?」
「はっはっは、それは違いない!」
どうして、こうなってしまったのやら。
すっかりライムそっちのけでシモンとレンリが雑談で盛り上がっています。
もちろん二人とも悪気はないのですが、今の話での彼のように目の前にいるのに存在を忘れられてしまったかのようです。兵法云々の件で予想を外したことといい、ライムとしては恥ずかしいやらイラつくやら。
「……むぅ」
「はて、ライム? ……そうだ、俺はここに決闘をしに来たのだった!」
「ああ、そうだった! あれ、私もなんで忘れてたんだろう? もしかして、ネム君……は、そこにいるけど特に何もしてないっぽいね」
一体、何が起きているのか。
レンリが呼んだネムが、また以前のように良かれと思って妙な真似をしたわけではなさそうです。安全装置役のモモがずっと彼女の隣にいますし、もし彼女の能力なら自力で違和感に気付くのは難しいでしょう。
「よく分からないけど、これ以上話が逸れないうちに始めようか?」
「うむ」
「ん……」
「じゃあ早速、始め! さあ、どっちも死なない程度に頑張りたまえ」
名状しがたい違和感はあるものの、決闘そのものを取り止めにするほどのトラブルは見当たりません。立会人であるレンリが改めて開始の合図をした直後。
「……シモン。始める前に約束して」
「いいぞ! 何をだ?」
ライムが彼に告げました。
「負けたほうが勝ったほうの言うことを一つ聞く」
「うむ、いいぞ。我が父と我が師の名に懸けて誓おう」
「あと、それから、まだちゃんと言ってなかったけど」
「はて、他にも何かあるのか?」
負けた側が勝った側の言うことを聞く。
その条件を彼が呑んだことを確認したライムは、続けてこう伝えました。
「私は、シモンが好き」
そう口にした次の瞬間のことです。
空間転移によりゼロ秒で彼我の間合いを詰めたライムは、愛情や照れ隠しや憂さ晴らし等々の気持ちが溢れんばかりに込められた左拳を、シモンの脇腹に思い切り叩き込みました。




