戦う前から勝負は始まっているのです
決闘の舞台として選ばれた訓練場。
要はだだっ広いグラウンドを想像すれば分かりやすいでしょうか。
主に学都方面軍の体力練成などに使われる場所ですが、現在ではより幅広い用途にも使われています。元は軍と民間の距離を縮めるために始めたことですが、日によっては民間人に簡単な護身術や健康促進の体操なども教えており、これがなかなか好評なのです。
使用スケジュールが埋まっていない時間帯には、非番の兵や民間人が私物の道具を持ち込んで球技に興じたり自主鍛錬に励んでいたりもします。仮にも軍の施設としては扱いが緩すぎると感じる向きもあるかもしれませんが、まあこのあたりは責任者であるシモンの方針ゆえでしょう。
さて、そんな訓練場のど真ん中にて。
「やあ、ライムさん。ずいぶん早いじゃないか」
「ん」
決闘の立会人であるレンリが到着した時には、すでにライムが準備を始めていました。まだ約束の正午までには一時間近くあるのですが、入念な柔軟体操と準備運動を入念に繰り返して筋肉を温めているようです。
やって来たレンリ達に一度は目を向けるも休みを入れることはなく、今度は虚空を相手にシャドーボクシングを始めました。あまりにハンドスピードが速いので、レンリやルカの目には肩から先がブレたように映ってほとんど見えていません。
「今からそんなに動いて疲れないかい?」
「大丈夫」
「大丈夫って言うなら、それはまあ大丈夫なんだろうけど……ちなみに、どのくらいの時間コレやってるの?」
「ん……たぶん六、七時間くらい?」
「だいたい夜明けくらいからってことか。流石に気合が入ってるね」
ヒトの身体というのは平常時の状態からいきなり全力を出せるようには出来ていません。
身体を温めずにいきなり高強度の運動をしようとすれば、思うように動けないばかりか故障の原因にもなり得ます。ゆえに一般的なスポーツ競技などでも試合前に身体を動かして温めておく行為は普通に行われているものです。
とはいえ、流石にここまで念入りな準備運動をする者はそういません。
並の競技者であれば準備だけで疲労困憊してしまうことでしょう。
なあなあで済ませる気など一切無し。
勝負の最初から全力で仕留めにかかる気概が伺えます。
レンリ達は邪魔をしないよう訓練場の隅に移動して開始時間を待つことにしました。
「あれ……なんだか、人が……?」
「ああ、言われてみれば増えてきた気がするな」
正午まであと二十分を切った頃から目に見えて場内の人が増えてきました。
レンリが万が一の安全対策として呼んでおいた迷宮達は第一、第三、第四、第五の四人が来ているようです。まだ姿を見たことのない第六と第七の迷宮に関してはレンリ達も元より来るとは思っていませんでしたが、第二の姿が見えないのは少々気にかかります。
ですが、それ以上に気になるのは迷宮達ではない普通の人間達の存在でした。最初は単にスポーツやトレーニング目的の使用者かとも思われましたが、どうもそういう雰囲気ではありません。
集まってきた人々は特に身体を動かすわけでもなく訓練所の端に移動し、現在レンリ達がしているように場内中央で動いているライムの様子を眺めているようなのです。
「ちょっと聞いてみようか」
幸い、集まってきた人々の中にはレンリ達と顔見知りの騎士や兵士が何人かいました。そこで彼らに事情を聞いてみたのですが、
「見物? 決闘の?」
なんと彼ら彼女らはシモンとライムの決闘見物が目的だというのです。
どこから決闘の話が漏れたのかというと、それは当のシモンから。
昨晩、休暇中のシモンが唐突に職場に顔を出したかと思ったら、本日正午前後での訓練場の使用申請をしてきたというのです。それも例の如く馬鹿正直に理由を明かした上で。
「なるほどね。それでこんなに野次馬が」
ちょっと前から騎士団内ではシモン達の恋愛事情が話題になっていました。
こんな状況で不用意にそんな真似をしたならば、当然、見物目的の野次馬も集まるでしょう。どうして恋の話が決闘に繋がるのかは理解できずとも、それはそれ。強者として名が知れた者同士の対決としてだけでも話題性は十分です。
非番や休憩時間中、パトロール中のサボりなど。街中の騎士団関係者が百人以上は集まっていそうです。数は少ないものの、どこで話を聞きつけたのか事情通の一般人の姿もちらほらと見受けられます。
なお、余談ですが。
「さあ、張った張った! 我らが団長君とライムちゃんの大一番! どっちが勝つか当ててみよう!」
「えっ……お、お兄ちゃん? ここで、何、してるの?」
「やあ、ルカじゃないか。ちょっとお小遣い稼ぎに賭けの胴元をねぇ。はいはい、シモン君に一口ね。そっちのお兄さんはライムちゃんに三口。はい、賭け券をどうぞっと。ええと、お次の人は……ああ、いや違うんですよ? これは別に違法なアレではなくて、ほら、このお金はその人達が落したのをたまたま拾っただけで……おおっと、急用を思い出したからこれで失礼するよぅ!」
「お、お兄ちゃん……あ、衛兵さん……いえ、他人の空似で……はい、全然知らない人です……」
野次馬の中には無謀にも騎士団員相手に違法賭博の胴元をやろうとしていたルカの身内もいたりしました。決闘が始まる前に姿をくらませた上に(小賢しくも化粧で変装していた甲斐あって逃げ切りました)、今回の本筋には全然関係ないので別に忘れて構いませんが。
◆◆◆
さて、いつの間にやら正午三分前。
総勢二百人近いギャラリーに囲まれて、ライムは訓練場の中央でシモンを待っていました。念入りな準備のおかげでコンディションは万全です。
立会人として指名されたレンリもすぐ近くに待機しています。ですが。
「ええと、彼、まだ来ないね?」
「……むぅ」
「まさか遅刻? こういう場合って遅れた側が不戦敗になったりするのかな?」
シモンの姿は影も形もありません。
自分から時と場所を指定しておきながら、この有様。
離れて見ている野次馬達もだんだんザワつき始めています。
ライムやレンリの脳裏には、まさかの不戦勝の可能性も浮かんでいました。
もしそんな形で勝ったとしても、とても喜ぶ気にはなれないでしょう。
本来決闘にあるべきソレとは違う種類の焦燥感が時間の経過に伴って増していき、残り一分、三十秒、十秒……そして、とうとう正午になると同時。
「うむ、時間だな。では始めるか」
「え」
間違いなく一秒前まではその場に存在しなかったはずのシモンが、決闘の開始を宣言すると同時に先制の拳打を放ちました。




