最後に残ったもの
剣を振る。剣を振る。剣を振る。
山に籠ってひたすらに剣を振り始めたシモン。
日が落ちて暗くなろうが、零時を超えて日付が変わろうが、やがて朝が来て日が昇ろうがおかまいなし。極度の集中状態に入っており、周囲の光景の変化もロクに目に入っていないのでしょう。
「二〇一〇五……二〇一〇六……二〇一〇七……」
道中で食料として集めた木の実や野草にも手を付けた様子はありません。
物も食べず、水も飲まず、眠りもせず。
流石に心身共に疲労困憊で全身が鉛のように重くなってきます。
いくら常日頃から鍛錬を積んでいるシモンといえど、普通ならこれほど身を削るような無茶はしません。過度のトレーニングは無意味どころか有害ですらあるのです……が、そんなことは元より承知。
あるいはそれは自らに課した罰の意味合いもあるのでしょうか。
何についての罰かといえば、気付けなかったこと。つい数日前までライムの気持ちに気付くことができず、それで彼女を長く苦しませてしまった。その罪に対する罰。
ライム本人が聞けばそんな真似をする必要はないと言うでしょうし、実際、このことに自己満足以上の意味などないのでしょう。シモンだって他の誰かが似たような自傷行為をしていれば冷静に諭して止めようとするはずです。
修業と言ってはいたものの、これは最早強くなるための行為ですらない。
が、そこまで全部分かっていながら彼は剣を振るのを止めようとしません。
「六五三六一……違う、六五三六〇……六五三六一……っ」
一度昇った日は、またもや沈みつつあります。
とうとう、不眠不休のまま丸一日が経過しました。
いえ、その前日にライムと出かけた時から数えれば丸二日半ほど。
しかも昨日からは意識して心身に負荷をかけるよう努めているのです。
如何にシモンがタフでも肉体と精神の限界は遠くないでしょう。
その眼光はギラギラと鋭く光り、彼らしくもない荒々しい気配を纏っています。
山に棲む魔物が幾度か近寄ってきた際も、その抜き身の蛮刀のような殺気に気圧されて、襲い来ることなく離れていきました。
そんな些事は気にも留めず振り続ける。
そこから更に丸三日が経った頃。
山に入って四日目のこと。
「……っ、……む」
もう何万回振ったでしょうか?
確実に十万回、いえ二十万回は優に超えているはずですが、シモンも正確な数は見失ってしまいました。途中、剣を振りながら何度も意識が飛びそうになり、半ば以上失神しているような状態になっても身体だけはまだ動き続けています。
もう全身の痛みも疲労も感じられなくなりつつありました。
それどころか陽だまりで微睡んでいるかのような心地良さすら感じられます。
一振りするごとに余分なものが消えていく。
思考も意識も感覚も、己という存在を構成するものが削げ落ちていく。
身体は動いているも剣を振っているという意識はありません。
ただ、在るべきように在るのみ。
自分の肉体と剣との境目がだんだんと曖昧に溶け合っていく。
その曖昧さは次第にどんどん広がっていき、周囲に満ちる空気や地面、山に生きる動植物、そしてそれらを内包する世界そのものまでもが自分自身の一部であるかのように感じられます。
周囲を威圧するような精神の力みが抜けたせいでしょうか。
鋭く光る眼光はいつしか普段以上に優しく穏やかなものとなっていました。
荒々しく発散されていた殺気もまた同様です。
苛烈な生存競争が常である野生の中で、今この場だけは絶対的な平穏を約束された楽園であるかのよう。いつの間にやら山に棲む小鳥や小動物がシモンを見守るように集まり始めていました。それどころか本来狂暴な種類の魔物達までもが、他の生物と争うでもなく心地良さげにゆったりとくつろいでいます。
「……ライム、俺は」
そんな異様とも言える周囲の様子に気付いているのかいないのか。ここまで文字通り一切の休みなく剣を振っていたシモンが剣を振り下ろした体勢で動きを止め、ぽつりと独り言を口にしました。
「会いたいな」
意地、虚飾、先入観、罪悪感、他の色々な何もかもを削ぎ落していき、そして最後に残ったもの。心の一番奥深くからごく自然に出てきた気持ちがそれでした。
そして、いよいよ限界を迎えたのでしょう。
シモンはその言葉を最後に糸が切れたかのように崩れ落ち、そのまま一昼夜以上もの間泥のように眠り続けたのでした。
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《おまけ》
今年もよろしくお願いします。




