クッキングマスター・ライム
「うん、良いね! このソースが実に良い」
ライム宅にて。
レンリは次から次へと作られる料理の試食を、それはそれは凄まじい勢いでこなしていきました。現在はハチミツとマスタードのソースで味付けした鶏肉ソテーを味見しています。
「ただ、お弁当として持ち歩くならソースをそのままかけて詰めたんじゃ他の物と味が混ざっちゃいそうだね。どうせなら薄切りにスライスした肉をソースと一緒にパンに挟んで、サンドイッチにする手もアリかも?」
「なるほど。参考になる」
ただ味見という名目で暴飲暴食しているだけかと思いきや、意外にもレンリはしっかり役目を果たしていました。自分で料理を作るスキルこそありませんが、食べる側としての経験は常人の何倍も重ねています。
高級店から庶民的な大衆店まで何百何千と食べ歩いてきた経験のおかげか、食べ物関係の知識やアイデアは人並み以上にあるようです。
「おいっ、追加の食材買ってきたぞ!」
「やあ、ご苦労、ルー君。それじゃあ、次はこのメモに書いてあるのをよろしくね」
「くそ、またおかわりか! 今更だけどレンの胃袋はどうなってるんだ? もう朝から数えて自分の体重くらい食ってないか?」
「ふふふ、女の子の身体には秘密がいっぱいあるのだよ」
試食の開始時点でも大量の食材を買い出してきたルグは、その後半日の間に何回も迷宮と街とを往復する羽目になっていました。なにしろ両手いっぱいに抱えてきた食材が、次に戻ってきた時には綺麗さっぱりレンリの胃袋に収まっているのです。ダッシュでの行き来を繰り返すばかりで彼はロクに休む間もありません。
「今度は……パウンドケーキ、作ってみた、けど……まだ、食べられる?」
「お、いいね。甘い物は別腹って言うし、まだまだ余裕さ」
「すごい」
レンリが食べる物を作るルカとライムも当然動きっぱなしです。
ライムも住む家のキッチンには、建物の規模に比してかなり立派な魔力式オーブンや冷凍・冷蔵庫まであり、その気になれば手の込んだ料理も可能。そのせいかライムだけでなくルカの料理熱にも火が付いてしまったようです。
食材の購入費は元々この家にあった調味料などを除いてレンリが出していますし、なんでも好きな物を作り放題、普段は手を出しにくい難しい技法にも挑戦し放題。
ちょっとやそっと失敗してもレンリが綺麗に片付けてくれます。この機会に新しいレシピを増やそうと考えるのは悪いことではないでしょう。
加えて、参考資料としてこの世界と日本それぞれの料理本など。
一通り日本語の読み書きができるライムがいれば、ルカだけでは分からなかった細かなレシピや正確な分量なども分かります。この機会に語学学習を進めたいレンリも一緒になって、どんどんと解読を進めていきました。
材料によってはこちらの世界で手に入らない物もありますが、風味が近い食材で代用できないか考え、実際に試してみるのも楽しいものです。
作っては食べ。
作っては食べ。
レンリ以外の皆もたまに食べ。
そうして日が暮れて一通りの片付けが済んだ頃。
「もう、くたくた……疲れた、ね……」
「ん。疲れた」
武術や魔法のトレーニングとは疲労の性質が違うのでしょう。
体力に優れたライムもすっかりクタクタ。
今すぐベッドに倒れ込みたい気分です。
しかし、疲れに見合うだけの手応えもありました。
普段、自分が食べるために作るだけの家事としての料理とは違います。
皆で協力しながら色々な工夫を考え、成功と失敗を何度も重ねる繰り返しの中には、着実に前に進んでいる実感がありました。
「料理、楽しい」
元々、ライムはコツコツと努力を積み重ねるのが性に合っているのでしょう。
普段は身体を動かす分野にばかり興味が向いていますが、その努力を楽しめる性質が他の分野に発揮されないわけではありません。一度、関心のスイッチが入ったなら、後は放っておいてもどんどん練習して勝手に腕を上げていくはずです……が、しかし。
「それじゃあ、今日はここまでだね。ところで、皆。明日はまた朝からここに集合で大丈夫だよね?」
「……明日?」
「うん、明日」
流石のライムもレンリのこの発言には耳を疑いました。
朝から夕方まで半日ずっと作り続け、食べ続けてフラフラになるまで疲れたばかりだというのに、レンリはまた明日も同じように「協力」する気でいたようです。
「何事もたった一日の猛練習でモノになるわけがないだろう?」
「それは、たしかに」
たしかに間違ってはいません。
一日猛特訓しただけで目標とする腕前を得られるはずもなし。
なのでライムとしては明日以降は自分一人でも可能な範囲で料理の修業を続ける気でいたのですが、なんともありがたいことにレンリはライムが満足いく水準に達するまで毎日付き合う気でいるようです。
決して、ただ食べたいだけではありません。レンリに振り回されることに慣れているルカやルグも、何かを諦めたような目でライムに同情しています。
こうなればライムとしても覚悟を決めるしかありません。
自分自身で満足いくだけの腕前を得るために。そして何よりもシモンのために。今日と同じような厳しい修業が、この日から数えて九日間にも渡って休みなく繰り広げられ……そして。
◆◆◆
そして十日後の昼。
騎士団本部、食堂。
「お、団長。今日は弁当ですか?」
「うむ、出がけにライムの奴に渡されてな。なにやら妙に疲れたような顔をしていたのが気にかかったが」
「へえ、ライムの姐さんが。またデカい魔物でも仕留めたんですかね」
シモンは職場の食堂でライム手作りの特製弁当を開きました。
ライムがシモンに食べ物を差し入れるのは以前からも時折あったことです。
イキの良い猛獣だの魔物だの。
塩漬けや燻製、生肉のままのこともありました。
どれも味は良いのですが、あまりにもワイルドすぎます。
そんな過去を知る周囲の職員やシモン本人も、まあ今回も似たようなブツが出てくるものだろうとすっかり思い込んでいたのですけれど。
「なんか、普通ですね?」
「うむ、普通だな? いや、普通に美味そうで結構なのだが……どれどれ」
二段重ねの弁当箱を開けると、中には丁寧に詰め込まれた料理の数々が。
パッと見て分かる限りでも、一段目には大ぶりの鶏照り焼きや白身魚のフライにミニオムレツ。彩り豊かな野菜類は酢でマリネされているようです。各料理の間は防水紙の仕切りで区切られており、タレの味が他の料理と混ざったりしない工夫が見て取れます。
二段目には小麦の芳ばしい香りがするパンやデザートの果物。
更には『おやつ用』と書かれた紙に包まれたクッキーまで。これは昼食ではなく小腹が空いた時につまむ間食用ということなのでしょう。
見た目に関しては完全にプロ級。
そして肝心の味はというと。
「美味ッ!? なんだこれ、メチャクチャ美味いな。これも、こっちも美味い!」
当然、味も栄養も満点。宮廷料理人の作る美食や勇者や魔王やらの料理に慣れたシモンをして、思わず唸らされるほどの美味さです。
まあ、実はこれには仕掛けがあるのですが。
単純な調理技術に関しては、いくらライムが猛特訓をしたといっても一流の本職にはまだまだ遠く及ばないでしょう。それにも関わらずシモンが絶賛しているのは、これらの料理が完璧にシモンの好みにピッタリ合致しているからに他なりません。
恐らくシモン以外の誰かが同じ物を食べても、ここまで大きな反応はしないはず。誰が食べても同じように美味いと思わせるプロとは根本的な方向性が違います。この料理は、あくまでシモン一人に喜んでもらうためだけに作られたのですから。
料理は愛情。
この言葉は単なる意気込みや精神論ではありません。
愛情ゆえに相手の好みを細かく観察し、喜んでもらうには何をすればいいのかを理解して実行する。かれこれ十年以上もシモンとの付き合いがあるライムだからできる味付けです。
「うむ、実に美味かった。これは後でライムに礼を伝えねば……む?」
「団長、どうしました?」
「今そこに妙な気配があったような、いや、気のせいか」
シモンの喜びぶりに嬉しくなってしまい、食堂の天井裏に潜んでいたライムの気配が漏れて存在がバレそうになってしまいましたが、どうにか気付かれずに済みました。
一般的にストーキングと呼称される行為に思えるかもしれませんが、まあ、これも愛情。可愛らしい乙女心がちょっと勢い余っただけと思えば辛うじてセーフかもしれません。仮にアウトだとしても比較的セーフ寄りのアウトです。
ともあれ、手作りの料理でシモンに喜んでもらうという作戦は大成功。
連日の特訓はとても大変でしたが、その苦労もなんのその。
ライムは以前のオシャレに続くたしかな手応えに大きな満足感を得ていました。
今回で六百話です。
千話までには完結するといいなぁと思います(願望)




