シモン、新たな指針を得る
「シモン、私は」
ライムはシモンに告げました。
「貴方が……貴方に、幸せになって欲しい」
果たして、それは本当に言いたい言葉だったのか。
ですが、これもまたライムの本心であることに違いありません。
「う、うむ? その気持ちは嬉しいが、それが今の状況と何か関係が」
「ある。関係ある」
親友が自分の幸福を願ってくれている。
無論シモンとしても悪い気持ちではありませんが、今現在、彼らが置かれた状況でそんな言葉が出てきたことへの戸惑いは隠せません。その気持ちで何かが変わるのだろうかと疑問を抱くのは自然なことでしょう。
ですが、関係はあるのです。
少なくともライムはそう信じていました。
「今のシモンは、ただビックリしてるだけ」
「ビックリ……うむ、それはまあ物凄く驚いたが」
「貴女も、レンリもそう。ビックリして困ってる」
「ライムさんに名前で呼ばれるの、なんだか珍しいね。それにしてもビックリか。うん、なるほど。私達はビックリしていたのか。言われてみれば、平常心を欠いていたのは否定できないな」
今度はシモンだけでなくレンリにも言いました。
二人とも突然のことに驚いて冷静さを欠いている。
現状を鑑みれば仕方ないとはいえ、たしかに否定できない事実です。
これから何をどうするにせよ、まず自分の状態を把握するのが第一歩。そんな基本すら覚束ないのでは解決も何もあったものではありません。
「しかし、ライムよ。そのビックリと先程の俺の幸せがどうとかと関係があるのか?」
「……ん、関係は、ある」
ライムは言葉を続けます。
胸の内にある感情を押し殺しながら、淡々と。
「さっき、シモン達は新聞を見て初めて知ったみたいに驚いてた。だから本当にそういうことはなかったんだと思う」
先程二人の慌てる様を見て、内心、ライムは安堵していました。
迷宮に住処を構えるライムが噂を知ったのは、いえ正確には噂と同じ勘違いをしてしまったのは、レンリとシモンが互いの呼び名を変えた日のこと。偶然にその時の会話を聞いてしまった時点まで遡ります。
その日からしばらくの間は、それこそビックリのし通しでした。
修業だの狩りだのも手に付かず、その間の記憶すら定かではありません。
不安や嫉妬、更にはそんな気持ちを抱いてしまう己への自己嫌悪。
シモンさえ幸せなら自分はどうだっていい……なんて、綺麗事で強がろうにも自分の心は騙されてくれません。考えれば考えるほど胸が苦しくなるばかり。
そんな状況が変わったのは、つい昨日の話。
ルカ達がライムを訪ねてきたのです。
いよいよ新聞に載るほどに噂が広まって、ようやくルカやルグもそういう話があることを知りました。ですが、流石にそのまま信じ込むはずもありません。
特にルカなど毎日のようにレンリと顔を合わせている上、シモンと同じ家に住んでいるのです。もし噂が真実だとして、何かの事情があってそれを隠していたのだとしても、大なり小なり普段の態度に違和感として現れるものでしょう。
それで疑問を持ったルカが、知る限りで最もシモンをよく知る者に意見を聞こうとライムを訪ねて、そこで初めてライムの精神的不調が明らかになったのです。
ライムも久しぶりに人と話すことで自分の考えのおかしさに気付けました。その後で久しぶりにちゃんとした食事と睡眠を摂ったおかげで、こうして直接シモンに会って確かめようと思えるまでにも回復しました。
その上で先程の初めて噂を知ったような慌てぶりを見て、この一連の話は完全に誤解と杞憂でしかなかったのだと確信を得るにも至ったのです、が。
「私は、シモンには幸せになって欲しい」
「ふむ、ここでそれか? 俺にはどうも話の繋がりが読めんのだが」
「だから、シモンはちゃんと考えないといけない」
「何か、俺に考えが足らぬ部分があるということか?」
「……ん。貴方は、貴女達はまだ考えていない。身に覚えのない噂に驚いて、それが誤解だったから否定するのは仕方ない。でも、それはただ間違いを正しただけで、そうなる可能性をちゃんと考えた上で断ったわけじゃない」
噂が事実と異なっていたから否定した。
レンリと良い仲になるつもりがないから否定した。
どちらも同じ否定ではありますが、その意味合いは少なからず違ってきます。
そしてシモンは、レンリも、後者の可能性に関してはそもそも考慮に入れてすらいないとライムは言うのです。
「考えて、それでやっぱり否定することになるのは別にいい。でも、最初から全然考えないのはダメ。今回だけじゃなくて他の時も。他の人でも。そうじゃないと、きっとシモンは昔みたいに誰かのことを本気で好きになれないから」
昔みたいに。この場でその意味が分かるのはライムとシモンの二人だけ。
当時のシモンにとっては決して愉快とは言えない結末に終わった苦い記憶ではありますが、同時に今も色褪せない大事な思い出でもあります。
その話を持ち出されて、シモンにも思うところがあったのでしょう。
「ライムよ。俺は、俺の周りの皆が好きだ」
「ん。知ってる」
「だが、俺が幸せになるにはそれでは足りないのだな?」
「……うん。そう思う」
「そうか。ああ、そうだな」
シモンにも心当たりはありました。
人が幸せになるためには、ただ誰かに好かれるというだけでは不足。
自分が誰かを好きになるからこそ、より深い幸福を得られるのです。
いえ、別に恋愛的な意味でのパートナーがいなければ不幸だというわけではありません。世の中には、そうした要素以外の価値に重きを置いた上で幸福な人生を歩む者もいるでしょう。しかし、それはその人物がしっかりと考えて当人なりの納得を得たからこそ。
最初から思考を放棄していたのでは決して納得は得られません。
自分の人生に本気で向かい合わずして幸福を得られるはずがありましょうか。
「礼を言うぞ、ライム。改めて言うのは気恥ずかしいが、俺は俺が幸せになるために力を尽くすとしよう」
「私は、別に何も……え、えっ?」
まだ実際に何かが解決したわけではありません。
それでもライムの言葉はシモンに新たな指針を与えたようです。
具体的にはライムの腰に腕を回してグイっと抱き寄せました。
急な動きに反応できず、珍しくライムが固まってしまっています。
「さあ、皆も寄ってくれ。まず差し当たり、この場から逃げるとしよう。当の俺達がいなければ噂のし甲斐もあるまいよ」
更にシモンはレンリやルカ達も同じように腕を伸ばして全員抱え込むと、なんとそのまま大ジャンプ。自分達にかかる重力を魔法で反転させて、周りの人々の遥か頭上をふわふわ飛び去ったのでありました。
「あの、シモンさん……これ、考えた……結果、なんです?」
「うむ、如何にも。目の前で噂をされるから気になるのだ。ならば俺達が都度場所を移せば問題あるまい。考えてみれば簡単なことであったな、はっはっは!」
「ライムさん……大変、そう……」
「む、ルカよ。何か言ったか?」
「あ、いえ……なんでも、ないです」




