信じる者は救われる。信じる者は(足を)掬われる
方針が決まったなら善は急げ。
まずはネムに信仰のエネルギーを与えて、覚醒を促すことから始めます。
モモの仮説が当たっていれば、これで精神面の不安定さが解消され、強大な能力を使いこなすに足る思慮深さを獲得できるはず。
で、どうやって不足分の信仰を捧げるかというと単純明快。
「……ねえ、これで本当に大丈夫なのかい?」
ネムに向かって両手を合わせて瞑目。
つまりはレンリ達が直接祈る形になります。
「いざ祈るとなると意外と何を考えればいいか分からないもんだな」
「ええと……皆が、健康で……過ごせます、ように……とか?」
ルグやルカも隣で手を合わせていますが、傍から見ると少年少女が寄ってたかって幼女を拝んでいるわけで、なかなか奇妙な光景となっています。
そもそも急に祈れと言われても頭の中で何を思えば良いのやら。
普段から神殿通いをするような人物ならともかく、レンリ達は大して信心深いわけではありません。
『大丈夫、大丈夫。それだけできれば上等ですよ。こういうのは形から入れば自然とそれっぽくなっていくものなんです。神殿のお偉いさんの中にも、お祈りのポーズはしてても頭ではどうやって喜捨金を懐に入れるか考えてるような人もいますし、それに比べたら全然マシですよ』
「それ、私達が聞いてもいい話なの?」
『ええ。いつの時代にもそういう人は多かれ少なかれ出てくるものですし、おいたの度が過ぎた場合は適切に処理していますので。あ、でも別に秘密裏に死刑にしてるとかじゃないですよ? 表向きには健康上の理由での隠棲ってことにして、辺境の地への布教の旅に片道で出ていただく程度で』
ですがまあ、この分野のプロフェッショナルである女神がお墨付きを与えているくらいなので、レンリ達の祈り方で大丈夫なのでしょう。アドバイスついでに世界的な巨大宗教組織の闇の部分が明るみに出そうになっていましたが深く気にしてはいけません。
「それで、ちゃんとエネルギーのほうは溜まってるのかい?」
『ええ、わたくしの見立てだとこのままのペースなら……大体二時間くらいで必要量を満たせるんじゃないかな、って』
「え、待って待って。長くない? もしかして、それまでずっとこのまま?」
『そうなっちゃいますねえ。でも、もっと真剣に強く祈れば、それだけ時間が短縮できますから。皆さん、気合でファイトです!』
すでに時は夕暮れ時。
今から二時間待っていたら完全に暗くなってしまうでしょう。
これが一日がかりの時間が必要とかであれば日を改めて仕切り直すか代案を考えようとなったかもしれませんが、我慢しようと思えば我慢できなくもない微妙な時間なのがかえって嫌らしいところです。
『あらあら、皆様なんだか大変そうですね?』
『はいはい、ねーちゃんはこっちで大人しくしてるのですよ』
ちなみに、この作業に迷宮は参加できません。
信仰エネルギーを受け取る側であるネムは当然としても、モモが一緒に祈ったり、他の迷宮を呼んできて協力してもらう手は使えません。あくまで信仰とはヒトが神やそれに類する存在に捧げるものだということなのでしょう。
「…………お腹空いたなあ」
『こらこら、集中力が乱れてますよ』
「くそぅ、終わったらヤケ食いしてやる!」
まあ細かい理屈の部分はさておき、もう仕方がないのでレンリ達は頑張って祈りました。それはもう一所懸命に。市民の皆様からの奇異の視線にも耐えながら。ちょうど夕飯時であることを思い出してしまってからは襲い来る空腹感と戦いながら祈りました。
そして時が経つこと九十分弱。
モモに言われた通り大人しくしていたネムが反応を示しました。
『あら、あらあら? なんだか急に、身体の調子が良いような?』
『見た目では全然変わりませんからねえ。どれどれ……ええ、ちゃんと神性が芽生えてます。皆さん、お疲れ様でした。思ったよりも随分良いペースでしたね』
『きっと、お姉さん達がすごく頑張ったおかげなのです』
こうして、なんとも盛り上がりに欠ける形でネムは覚醒を果たしました。
……が、本題はここからです。
「すごく疲れたけど、まずは確認しないと。ネム君、調子が良いっていうと具体的にどのくらいのことが出来そうかな?」
『うーん、そうですねぇ……この街くらいの我から近い範囲でしたら、過去百年くらいの間に亡くなった方を全員生き返らせるくらいはすぐにでも』
「キミ、思ったよりだいぶとんでもないね!?」
『あ、でも、実際にはやりませんよ? 生き返っても住むお家がないと大変ですからね』
「それならいいんだけど、これは……大丈夫ってことなのかな?」
一応、さっきまでより物事を考えるようになっているようです。
住む家がないので無差別に人を生き返らせることはしないという、もし仮に十分な数の住居があれば何を仕出かすのか分からない不安の残る回答ではありましたが。それでもダメな理由を自分で思いついて即実行に移さないあたりは改善が見て取れます。
「まあ、でも、やっちゃったものは仕方ない。どっちにしろ後は信じるしかないか。それじゃあ、モモ君。あとは任せたよ」
『はいはい、モモにお任せなのです』
そして、この作戦はネムを覚醒させただけではまだ半分。
残りの、最後の決め手となる要素はモモにあります。
『それじゃあ、ねーちゃん。これからはモモがいつも一緒にいるようにしますから、モモが良いって言った時だけ能力を使うようにするのですよ』
『はい、分かりました。モモお姉様』
モモの最後の案とは実に単純。
一日中、朝も昼も夜も常に誰かがネムと一緒にいるようにして見張っておく。
そしてネム自身の代わりに能力の使い時、使い方を考えて指示を下す。人間にはとても不可能ですが、生きるための食事や睡眠を必要とせず、複数体の化身を生み出せる迷宮ならば難しくはありません。
「うん、モモ君に任せておけば大丈夫だろう」
『ええ、わたくしからもお願いしますね』
今日ここまでの活躍のおかげもあるのでしょう。
普段はやる気なさげにぼんやりしていようとも、やる時はやる。そんな切れ者イメージをたっぷりと印象付けたおかげか、レンリ達や女神まですっかりモモを信じているようです。
『それでは、わたくしはこれで失礼しますね』
「ああもう、こんな時間か。それじゃあ私達は帰ることにするよ」
「そ、それじゃ……また、ね」
「もう暗いから二人共俺が送ってくよ。モモ達は迷宮が家みたいなもんだから、すぐ目の前か。それじゃあ、またな」
信頼できる仲間に任せたのだから、これでもう大丈夫。すっかり安心したレンリ達は、モモとネムを迷宮前に残して家路に就いたのでありました。
◆◆◆
そして、すっかりレンリ達の姿が見えなくなった後で。
先程まで代弁していた女神の意識が向いていないのを確認して。
『あ、ねーちゃん。もう能力を止めてもいいですよ』
『はい、お姉様』
ネムはずっと発動させていた『復元』をようやく止めました。
能力を発動させたのは女神が会話に加わってくる直前のタイミング。
遠隔で話していた時と同じく、モモが音なき声でネムに頼んだのです。
効果は覿面。
ごく弱い『復元』でしたが、だからこそ余計気付かれにくかったのでしょう。
先刻、広場で大騒ぎをしていた群衆を見たことで、『復元』の影響化にある人間はあのように愉快な気分になって一目でそれと分かるほどハイになるのだ、という誤った先入観も多少あったかもしれません。
本来であれば明らかに違和感を抱く会話、不安を感じる提案だろうとも、ついつい相手を信じて受け入れたくなってしまう。また一時的に疑念を持とうとも時間の経過に伴って自然と意識の隅へと追いやられてしまう。そして自分ではその事実に気付くことができない。
『女神様にまで効かせられるかどうかは賭けだったのですけど、上手くいってホッとしたのです』
また『復元』の効果は女神にまで及んでいました。
本来であればそれは不可能。
なにしろ相手は肉体を持たない不完全体とはいえ、れっきとした神。
覚醒前の迷宮がその精神へ影響を与えるのは難しいでしょう。
ですが何事にも裏技はあるものです。
先程、モモは女神の声をほぼリアルタイムで遅延なく代弁していました。
それは人間の依代に憑依して全ての肉体感覚を共有するほど完全な一体化ではありませんが、女神がモモに強く意識を向けていたことに違いはありません。
街のほぼ全域に影響を与えられるほどのネムの能力のほとんど全部をモモの小さな身体へと集束させ、そして更にモモ自身の固有能力を上乗せすることで辛うじて神に手が届きました。
『まあ時間が経ったら自力でカラクリに気付くかもですけど。あのお姉さん達にも、モモの能力のことは教えちゃってますし。でも、それならそれでいいのです』
そうしてネムの能力を利用することで自分に対して向くはずの疑念を打ち消し、皆の信頼を集め、最終的にほとんどモモの狙い通りの結果になりました。能力が効き過ぎたことでレンリ達の祈りの力が増し、女神の予想よりもだいぶ早くエネルギーが集まった時にはその時間差から違和感を持たれるのではと心配もしましたが、それも杞憂に終わりました。
今や、ネムの能力の使用権は事実上モモが握っています。
使いようによっては世界を救うことも、逆に世界を混沌に陥れることも可能な危険すぎる力。モモであれば、力の持ち主であるネム以上に使いこなすこともできるでしょう。
『それでは、モモお姉様。これからどうしましょう?』
『そうですね、とりあえず手始めに――――』




