一番悪いのは誰?
『あのぅ、よく分かりませんが平和なのは良いことなのでは?』
「そうだけど! そうなんだけど!」
いきなり平和を守るだの守らないだの言い出したレンリを前に、ネムはきょとんと小首を傾げるばかりです。非常にシンプルな思考をする彼女に、果たしてどんな風に言えば意図が伝わるのやら。
「あれ? よくよく考えれば、なんで私が必死になって世界平和を阻止しなきゃいけないみたいになってるんだろ……?」
別にレンリは平和そのものを阻止したいわけではありません。
愛も平和も大いに結構。それで世の中が穏やかになれば、ヘンテコな事件に巻き込まれて苦労することも少なくなることでしょう。
しかし、平和でさえあればなんでも良いわけではありません。
「いやいや、でもやっぱり方法は選ばないと。ネム君のやり方は精神衛生上良くないと思うんだ。まあ精神面の状態はむしろ良いんだけど、ほら、それが逆に良くないというかさ」
『はい? なんだか難しいお話ですねえ』
「分かりやすく言うと洗脳とか良くないと思う」
優れた洗脳の条件とは、それを受けた人間が自分は洗脳されていると絶対に気付かないこと。その点、ネムの能力は完璧です。なにしろ彼女の能力を知っていようと関係なく、自身の状態に疑問を持つことすらできなくなってしまうのですから。
世界中の人間の精神がネムの影響化に置かれれば、たしかに表面上は素晴らしい世界になるかもしれません。人と人とが当然のように全力で助け合い、他者の幸福を我がことのように喜び、不幸や不安は感じることすらできない。
そんな世界では戦争や貧困などの問題はたちまち過去のものとなるでしょう。
オマケに怪我や病気で死ぬリスクも消え、それどころか死んでなお蘇ることができるのかもしれません。
まあ、どれだけ素晴らしかろうと結局は洗脳の賜物なのですが。
『人間の皆様はいつも明るく楽しい気分でいたいのだと思っていたのですけれど、もしかして違うのですか?』
「それは私も否定しないけどさ、でもやっぱり、それを誰かに強制されるのは違う気がするというか変な気持ち悪さがあるというか。あくまで私個人の意見だから、そのあたり全然気にしない人もいるかもだけど」
正直、レンリとしてはネムの影響を受け入れたい人間が自己判断で受け入れる分には構わないとも考えています。そうすれば悩みや不安から解放されるのであれば、事前に能力について説明を聞いた上でも受け入れようと思う人間は少なからずいるでしょう。
『ははあ、そういうものですか。人間の方々は奥が深いのですねえ』
「この子、本当に分かってるのかな? 不安だ……」
しかし、そのあたりの機微をネムが理解しているのかというと、これがどうにも判断が付きません。仮に今回のような能力の使い方は二度としないと約束して、その上で彼女がうっかり忘れることなくキチンと約束を守ったとしても、その約束には抵触しない形で今回以上にマズい事態を引き起こす可能性は決して低くないでしょう。
「うーん、どうしたものかな?」
困ったことに現状を打破する糸口が掴めません。
舌先三寸でヒトを騙したり丸め込んだりするのが得意なレンリですが、それらはある意味で相手への信頼があるから成り立つのです。
話し相手と大小様々な常識や前提を共有しているからこそ「こう切り出せば向こうはこう考えるだろう」というような予測を立てることが可能となるのですが、ネムに限ってはそれが通じません。ある意味、レンリのようなタイプとは最悪の相性と言えるでしょう。
ですが一応、対処法がまったくないわけではありません。
第五迷宮にあった石棺にネムを叩き込んで再封印を施せば、目の前の問題を先送りすることだけはできるでしょう。あの石棺がそのまま再利用可能な物なのかを確認する必要はありますが、すでに一度封印はできていたのです。仮に石棺の再利用はできずとも、なんらかの代替手段があっても不思議はありません。
「でも、それは気乗りしないなぁ……」
『レンリ様、先程から何か浮かないお顔をされていますね?』
「ああ、うん、ちょっとね」
一切の悪気なく、ただ良かれと思って行動していただけの少女を監禁するような真似は流石のレンリでも気が引けます。そして、そこから更に考えを巡らせていくと……。
「……なんだかムカっ腹が立ってきたぞ。そもそも、こういうことは保護者の仕事じゃないか。あれだけの騒ぎに気付いてないはずがないだろうに、なんで何も言ってこないのさ」
『あの、レンリ様? 我が何かお気に障るようなことをしてしまったのでしょうか?』
「いや、ネム君は悪くないよ。まあ色々と迂闊ではあったかもだけど悪くはない。うん、だから、悪いのは――――」
レンリは日の落ち始めた空を見上げて言いました。
「どうせ見ているんだろう、神様? ちょっとお話をしようじゃないか」




