第五迷宮ネム
『くすくす。これはじっくりと念入りにおもてなしをさせて頂かないと』
完全なる意識の空隙。
時間にして二秒か三秒ほど、思考が状況に追い付くまでの間が生まれました。
無理もありません。
なにしろこれまで姿を隠していた犯人が真っ正面から堂々と現れたのです。
もし、この隙を意図して作り出すためだとすれば大した度胸と言えましょう。
『それではお客様がた。立ち話もなんですし、どうぞこちらへ』
しかし、その隙を利用して何かを仕掛けてくる様子は皆無。
それどころか、くるりと背を向けて広間から伸びる通路の一つへと歩き出しました。向こうからすれば不意の侵入者であるはずのレンリ達を警戒する様子はまったくありません。
あるいは、警戒するまでもないというのか。
言葉や表情は柔和そのもの。初対面でありながら親愛すら感じさせる穏やかさですが、そんな態度にかえって底知れぬものを感じずにはいられません。
「ええと、これってついて行っていいのかな?」
『それは大丈夫だと思うけど……うーん、やっぱりあの子苦手なの……』
困惑はあれど、話を聞かないわけにもいきません。
直接会うのは数年ぶりとはいえ、この中で唯一面識のあるウルも安全性に問題はないと言っています。一行は戸惑いながらも白い幼女の後を追って裏側の迷宮を進みました。
そして歩くこと数分。
そこには予想外の光景が広がっていました。
「これは」「なんと」「ビックリ」
「ううむ、見事な庭園だな。俺の実家にある庭にも勝るとも劣らぬ」
暗闇を抜けた先には、穏やかな日差しに照らされた庭園が広がっていました。
表側の砂漠ともまるで違います。
よく手入れされた色とりどりのバラが咲き誇り、流れる小川には鮮やかな色合いの魚が泳ぎ、果樹の枝では小鳥が唄う。広さは石棺の広間と同程度。どういう仕組みになっているのか、庭園の外は爽やかな青空が広がっています。
そんな庭園の中央には可愛らしいデザインの丸テーブルとイスが設置されていました。どうやら、ここでお茶を楽しめるようになっているようです。
『くすくす、ここでお客様をおもてなしできるなんて夢のようです。それでは、こちらにお掛けになって下さいな。すぐにお茶の用意をしますから』
「いや、気遣いはありがたいのだが、それより先に……なっ」
とりあえず即座に敵対する意思はなさそうです。
とはいえ、流石にのんびりとお茶を楽しむ気にはなれません。シモンは話題を変えて事件のことを聞こうとしたのですが、ここでまたもや予想外の事態が起こりました。
何も置かれていなかったテーブルに、突然、湯気を立てるティーポットや食器や砂糖壺、甘いお菓子やサンドイッチが満載されたケーキスタンドが出現したのです。
『このお茶、マスカットのような香りで美味しいんですよ。ああ、それともコーヒーのほうが宜しかったかしら? お茶菓子もお好きな物を召し上がってくださいね』
「ええっ、なにこれ魔法!? それとも何か迷宮としての特技とか……あ、おいしい」
『いやいや、我もこの子がこんなこと出来るって知らなかったのよ!? なんで、お茶とかお菓子とか……あ、おいしいの』
「いや、そなたら少しは警戒したほうが……」
食べ物や飲み物は幻というわけでもなさそうです。
レンリとウルが実際に食べてみたのでそれは確実。
しかし、どうやってそれらを出現させたのかはさっぱり分かりません。
魔法の中には召喚魔法という種類があり、生き物を呼び出して使い魔として操る以外にも遠くの場所に実在する岩や水、特定の道具などの非生物を取り寄せる術もあるのですが、目の前にあるお茶やお菓子はあらかじめ作り置きされていたようには見えません。
お茶は淹れたて、お菓子類も出来たて。どこか違う場所にあらかじめ用意した物を召喚しただけなら、こんな状態を保つことは無理でしょう。
一方、これは第五迷宮の固有能力というわけでもなさそうです。
迷宮達はそれぞれ固有の特殊能力を持ってはいますが、ウルの知る彼女の能力では“人を生き返らせる”ことはできても、お茶やお菓子を無から生み出すなんてことはできないはずなのです。
「不思議だねえ」「不思議だなあ」「おいしいねえ」「おいしいなあ」
「いやいや、まったくだね。ええと……ああ、そういえばまだ名前を聞いてなかったっけ。ちなみに私はレンリで、こっちの顔が同じ二人がサニーマリー君、そのお兄さんがシモンさん。ウル君のことは知ってるよね?」
『あらあら、これはご丁寧に。我はネムと申します。どうぞ、よしなに』
第五迷宮の化身である白い幼女はネムと名乗りました。
未だに意図は見えてきませんが、依然敵意は感じられません。
「このクッキーも美味しいね。どういう仕組みで出したかは分からないけど、もしかしてネム君の手作りかい?」
『いえいえ、お恥ずかしながらそういうわけでは。外国の有名なお店の物だそうですよ』
「誰かに貰ったとか? それとも、まさか自分で旅行したり?」
『いえいえ、そういうわけではないのです。あ、お代わりはいかがですか?』
次の瞬間、空っぽだった菓子皿は山盛りのクッキーで満たされました。
砕いたナッツが練り込まれたクッキーは、つい今さっきオーブンから出してきたかのように熱を持っていました。レンリとウルとサニーマリー達は疑問を抱きながらも、それはそれとしてモリモリと出てきたお菓子を頬張っています。
「ううむ、分からんことがどんどん増えていく……」
こんな和やかな空気の中でもシモンだけは真面目に、お茶にもお菓子にも手を付けずに警戒心を保ってました。まだネムのことを信用するには判断材料が不足しています。
この丁重なもてなしが本題から意識を逸らすための演技という線も……彼自身、それは多分違うのだろうと思ってはいても一応確認しないわけにはいきません。
「ネムとやら、一つ聞きたいのだが」
『はい、なんでしょうか?』
「単刀直入に尋ねるが、そなた、この三週間ほどの間に他の迷宮で死んだ人間を生き返らせはしていないだろうか?」
『あらあら、よくご存知ですね。ええ、お節介かとも思いましたが』
どうやら、その点を誤魔化すつもりはなさそうです。
あっさりと自分が生き返らせたことを認めました。
「それは何のために?」
そして、その動機に関しても。
『だって、可哀想ではありませんか。目の前に死んでしまった人がいて、たまたま我に助けられる力があった。それならば見過ごすことなど出来るはずがありましょうか?』
非の打ちどころのない純粋な善意。
私欲や悪意など微塵もありません。
しいて言えば、人を救いたいと願う欲があるばかり。
生き返らせた対価を求めることなど考えてすらいない。
シモンも、他の皆も、ネムの言葉に嘘はないと直感的に理解しました。
『まあ! そんな噂になっていたんですのね。それはそれは、ご迷惑をお掛けしました』
「ああ、いや頭を上げてくれ。そなたは立派なことをしたのだ。結果的に少々の混乱があったとはいえ、誰に恥じることがあろうものか」
そして、どうやらネムは自分のしたことが迷宮の外で噂になっているとは知らなかったようです。しかし、それもこうしてキチンと説明を受けて把握しました。
今後はもっと目立たないやり方を考えるか、それともいっそ堂々と正体と能力を公にした上で人助けに励むか。そのあたりを慎重に考える必要はあるにせよ、蘇生現象の仕組みさえ分かっていたのなら方針の立てようもあります。
『くすくす、今日は楽しかったです。それでは皆様、ごきげんよう』
こうして行方不明者は無事に発見され、連続活人事件の真相も見事解き明かされ、すべては丸く収まった。めでたし、めでたし……といけば良かったのですが。
もしネムがそんな物分かりの良い迷宮ならば最初から封印などされていなかったことでしょう。
最善最悪の問題児。
純粋善意の怪物。
その恐ろしさをレンリ達が思い知るまで、そう時間はかかりませんでした。
◆ネムについて
外見的な特徴は腰まで伸びた白髪とフリル多めの白いドレス。
いつもニコニコ。上品な振る舞いや口調とあいまって童話のお姫様っぽい雰囲気の子です。
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